アジュール・ブルー
夕食を終えて、今日は仕事を早く終えて帰ってきた零様と部屋でのんびりしている時、彼がそういえば、と何かを思い出したように呟いた。
「のう、なまえちゃんの誕生日はいつ?」
「誕生日?」
「うむ。妾の誕生日を知らないってのもおかしな話じゃろ。ちゃんとお祝いしなくてはのう」
「誕生日…」
はて、と私は一旦思考を巡らせる為に斜め上を見た。私の村では誕生日を祝う風習があまりない。今日誕生日ね〜くらいの言葉は両親に掛けてもらえるけれどその程度だ。なので誕生日を思い出すのに時間がかかるのである。
「えっと…え〜っと…」
「た、誕生日思い出すのにそんなにかかっちゃうの…?」
「だってお祝いって文化あんまりなくって…あ、」
そこでハッと思い出した。
「昨日です」
「えっ」
「昨日でした」
すっかり忘れてた。と言うと、零様は呆れたような、それでいて哀れんだような目で私を見てきた。私はその視線を不本意、と言いたげに余所へ放り投げる。別に、村にそういう文化がなかっただけだから哀れまれても困ってしまう。
「ふぅむ、折角話題に出したのに昨日だったからじゃあお祝いは一年後っていうのも味気ないのう」
「別にいいですよ。ここの屋敷で働いている人たち私のことを零様の妾だって信じて疑ってませんから、妾のお誕生日の一つや二つ祝わなくてもカモフラージュは出来てると思います」
というよりも零様が私をだいぶ猫可愛がりするせいですっかり愛妾だと思われている。約束だから一緒には寝るけれど、何もされたことないのに。
私は宝石商を営む都の大富豪、朔間零様の偽物の妾だ。富豪には珍しくハレムを持ちたがらない零様と、跡継ぎのことを考えてハレムを持って欲しい側近の人がせめぎ合っている最中、村の代表としてここに働きに来た私は側近の人に騙されて零様の妾候補として寝所に忍び込まされたのだけど、零様が更にそこを逆手に取って今は屋敷の者の目を欺くために偽物の妾をやっている。
この屋敷で必死に下働きをするものだと意気込んできたのに、今やのんびり勉強をしたり零様の話し相手をする程度の役割しか与えられていなくて、それはそれで背中がむずむずするのは確かなのだけれど。
「そうじゃな…じゃあ、何か贈り物をやろう。欲しいものはないかのう?」
「欲しいもの?」
なんでもいいぞい。と鷹揚に零様が笑った。勿論偽物の妾なのは十分に理解しているが、美しい彼の表情に思わず心臓を掴まれたような感覚がするのは仕方のないことだ。
私は欲しい物を頭の中で思い浮かべる。とにかく本が欲しかった。物語の本でもいいけれど、出来ればお勉強の教本になりそうなもの。以前零様がくださった商売の基礎の本と、宝石の特徴が一覧になっている本は何度も読んだせいで暗唱まで出来てしまう。
「我輩明日は休みで一日屋敷にいるから、一緒に買いに行こうか」
「えっそうなんですか?」
「うむ。何が欲しい?服でも宝石でも好きなもの買ってあげちゃうぞい。我輩の妾として頑張ってくれているご褒美じゃ」
「ありがとうございます」
じゃあ、と私は一番欲しいものを言った。
「じゃあ…零様」
「えっ」
我輩!?と言いながらさっと胸を隠すように両手を重ねているのがわざとらしくて腹立たしい。でも今のは私の言い方が悪かったかもしれない。
「零様の時間をくださいって意味です。お勉強教えてください」
ついでにお古でいいんで教本をくださいと言えば、零様はわざとらしく「なんじゃ、つまらん」などと言いながらも私の頭を撫でてくれた。
「我輩の愛妾は謙虚じゃのう。これでなまえちゃんが贅沢大好きな子だったらこの家とうに潰れているかもしれぬ」
「…私偽物の妾なんですから、それはないでしょう」
「さて、どうかのう」
零様にじっと見つめられるのには弱いので、私はさっさと負けを認めるように目線を外した。彼の瞳は私が宝石の教本の中で一番気に入っている石、ルビーにそっくりだ。
「とまぁ冗談はここまでにして、本当にそれでいいのか?」
「はい。だって着る物も飾るものも、食べる物も十分頂いてます」
妾を飾るのは男のステイタスらしいので、私の着ている服はものすごく上等なそれだ。宝石だって初めは壊したらどうしようと震えながら身につけていたけれど宝石のことを勉強してからは怖くなくなった。
「ふむ、わかった。じゃあ明日はお勉強の時間にしような」
「やったぁ!ありがとございます!!」
「全くこんな事で喜んじゃって…なまえちゃんは健気でいい子じゃの〜」
ほら今日はもう寝ようぞ。と零様は先にベッドに上がり手招きをしているので、私も大人しく従った。大きなベッドの中にするりと入り込む。
「おやすみなさい零様」
「うむ。おやすみ」
かりそめの妾である私は彼と『そういった事』をしたことはないけれど、寝る前に頬や額へキスをしてくるのを零様が欠かすことはなかった。私も私ですっかり慣れてしまったのでたまにお返しをすると、零様は少し嬉しそうにする。きっと飼い猫に舐められて嬉しいくらいだろうけれど。
私はランプを消してシーツに潜り込んだ零様にくっついて丸くなった。これは甘えているからではない。零様の寝相があまりよろしくなく、酷い時はすさまじい力で抱きつかれるからである。試行錯誤した結果、そもそも最初からくっついて寝た方が被害が少ない事に気が付いた。端っこで寝てるとたまに端の端まで追いやられてベッドから落っことされるのだ。
暗闇の中、しんと静まりかえる空気。私はそこでようやく本音を呟くことができる。村にいた頃は絶対に考えなかった、甘ったれた願いだ。
「ねぇねぇ零様」
「なんじゃ」
「一個だけ、もう一個だけわがまま言ってもいいですか?」
「いくらでも」
「明日…甘いお菓子食べたいなぁ」
そう呟くと、部屋が再びしんと静まった。しまった。調子に乗ってわがままを言い過ぎたかもしれない。お勉強を教わるだけでも嬉しいのに、子どもみたいな事を言ってしまった。
「す、すみませんでした。嘘です忘れてください…っ!」
私は慌てた。さすがの零様も怒ってしまったかと思ったのだ。私が半分泣きそうになりながらもう一度謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、零様が掛け布団ごと私に抱きついた。びっくりして、思わず悲鳴を上げる。
「キャー!!」
「もう!!かわいい!!我輩の妾が一番かわいい!!」
「えっなに!?なんですかごめんなさいっ」
「お菓子なんていくらでも買ってあげちゃうぞいっ!!」
零様はひとしきり私を抱きしめたままごろごろと布団の上を転がってから、優しい声で囁いた。
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとうな」
「こ、こちらこそありがとうございます…」
その後テンションが上がったらしく眠れなくなった零様の話し相手を、私は眠気で意識が飛びそうになりながらやりきったのだった。
次の日は、結局二人そろって寝坊した。
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