アカプルコ・ブルー

「東の国の王子様とお姫様が結婚…へぇ」

 私はそろそろ仕事で帰ってくるであろう零様を待ちがてら、毎日国の内外の出来事が書かれた紙の束(新聞、というらしい)を読んでいた。零様が朝側近に届けさせ、珈琲を飲みながら読んで、終われば私に教材としてくれるのだ。専門的な事が書いてある記事はまだよく分からないけれど、とにかく今この瞬間でも世界では全然私の予想できないことが起きているのだと思うとお腹がくすぐったくなるような、不思議な気持ちになる。

 村にいたら気が付けなかった世界の広さ。もう帰れないのは寂しいけれど、私は零様の側にいられて良かったと最近は思うようになっている。
 今日の新聞には東の国の王子様と近隣の国の王女様の結婚が決まった、という記事が大きく載っていた。来年には盛大に式を挙げるらしい。

「盛大にって、どのくらいなのかな…」

 街を大きな輿に乗ってパレードしたり?楽団が賑やかな曲を奏でて、象も出てきちゃうかもしれない。

「いいなぁ…楽しそう」

 結婚かぁ。と私は新聞を手放しベッドにバサリと横たわった。一応は零様の妾、ということになっているけど、妾は所詮妾だ。妻ではないのだから、私の結婚歴に零様は入らない。私もいつか誰かと結婚するのかな。なんて漠然と考える。未来は誰にもわからないものだ。

「じゃあ、頼んだぞい」

 扉の外にいるらしい側近に何かを頼んだような台詞を呟くように言いながら、零様が帰ってきた。私は慌ててベッドから降りて、ぺたんと床に額を付ける。これは偽物といえど妾として当然の行為だ。

「お帰りなさい。零様」
「ん?おぉ、ただいま」

 バタン、と扉が閉まる音がしたのでそこでようやく頭を上げる。いつものように穏やかな顔をしているであろう零様の顔を見ようと頭を上げた所で、零様がいきなり私の名前を呼んだかと思えばいきなり抱き上げてきた。驚いて思わず悲鳴を上げるが時遅し。私を高い高いした零様はご機嫌である事を全身で表すようにクルクルと回った。

「ひ、ひええ!!」
「やったぞい〜!!お仕事大成功じゃ!!」
「えっ?は?お、おめでとうございます!」

こ、こわい!!と叫べば我に帰ったのか、すとんと降ろしてくれる。少し目が回った。

「すまぬすまぬ。狙っていた大口の仕事が見事に取れてのう!我輩嬉しい〜っ!」
「お、おめでとうございます!やった…もがっ」

今度は思い切り抱きつかれて、情けない語尾になってしまった。それにしても力が強い。この国は太陽に焼けた健康的な肌をしてる人が多いのに、彼はいつも青白くて不健康そうであるにも関わらず何故か力はものすごく強いのだ。

「折角だから一杯祝杯を上げたくて酒の用意をさせてるから、なまえちゃんも付き合ってくれんか」
「え、お、お酒ですか?」
「うむ。飲んだことないのか?」
「ないです」
「この国は他国に比べると酒を飲んでいい歳が早いゆえ、おぬしももうその歳になったじゃろ。この前誕生日だったし…ふむ、なまえちゃんはいくつだっけ」

 年齢を言うと、零様は「大丈夫じゃな」と満足そうに笑った。

「お酒…初めてです。ドキドキする…」
「なんじゃ、可愛いこと言って…ぶどう酒じゃから比較的飲みやすいと思うぞい。祝杯を共にしてくれるか?」
「はい」
「よしよし。ついでに仕事の話もしてやろうぞ」
「えっやった〜!楽しみです!」
「普通女の子は仕事の話なんて嫌がるんじゃが…まぁおぬしが喜んでくれるならいいか」

 元気よく返事をしたら、強い力で頭を撫でてくれた。痛い。
 やがて側近の人が持ってきたのは二つの杯と、ぶどう酒の入った大きめの瓶が一本、あとはナッツの入った皿の乗った盆だった。

「酌の仕方は知ってるかのう?」

 それはなんとなくわかる。村で宴をする時、お酒を注ぐのを手伝ったことがある。

「ぶどう酒は杯に少ししか注がないんでしたっけ?」
「正解じゃよ。頼めるか?」

 少し緊張しながら瓶を傾けて、零様の持つ杯に注いだ。彼の瞳より少し暗い色味のぶどう酒が杯に注がれていく。

「おぉ、上手上手。ほれ、なまえちゃんも杯を持って」
「あ、ありあり、ありがとうございます…」
「緊張してるのう」

 ほれ、と零様が注いでくれた杯を見つめた。綺麗な色のぶどう酒に、外の月の光が鈍く反射するように瞬いた。今日は満月で月の位置がとても低いからだろうか。しっとりとした情緒にため息が漏れる。先ほどまで高い高いされて二人してクルクル回っていたとは思えない空気だ。

「はい。じゃあ乾杯」
「か、乾杯…えっと、お仕事、おめでとうございます」

 私はそっと杯に口を付け、ぶどう酒を口に含んだ。
 なんとも言えない、舌に残るような渋み。甘いと思ったのに全然甘くなくて、おいしいかと言われれば微妙だ。

「……」
「ククク、どうじゃ初めてのぶどう酒は」
「予想してた味じゃありませんでした…」
「その内おいしいと感じるようになるんじゃよ不思議なことにな。まぁ無理はしない方がよい。ジュースでも持ってこさせるか?」

 私は首を横に振る。子ども扱いみたいで不本意だったのだ。

「まだおぬしが酒に強いかわからんからのう。水を飲みながら飲むとよい」

 零様はそう言うとぐい、と杯を呷った。こんな味のものぐいっと飲んで美味しいんだ。なんて、ちょっと信じられない目で見てしまう。

「…おいしいですか?零様」
「おいしいよ。今日の酒は特に、のう」

 そうだった。私はその話が聞きたくて、思わず前のめりになる。

「そうだ零様。今日のお仕事ってどんなお仕事だったんですか?」
「おぉ、今日のはな…」

 聞くと、先ほど新聞で読んだ東の国の王子様たちの結婚式で使う装飾品に用いる宝石を、数多いる商人を押し除け零様が売ることが決まったという。

「あの国はな、代々結婚式の時の装飾品はオパールという宝石しか使ってはいけないという決まりがあってのう。王子が適齢期になるまでコツコツ良質なオパールが取れる採掘場を押さえておいたのじゃ。すぐに用意出来る、というのは強いからのう」
「すごい…!何年も前から先を見ていたんですね」

 喉が乾くので、ぶどう酒を舐める。だんだんとこの味に慣れてきた気がする。

「クックック、王家の皆々が使う宝石を家来たちが値切るわけないからのう。かなり良い値で売れるぞい」
「…?どうして家来の人たちは値切らないんですか?」
「王家としての矜恃の問題じゃな」
「へぇ…!!」

 零様のお話が面白くて私は話の合間合間に無意識にぶどう酒を口にしていたのだが、途中で気がついた。
 暑い。顔も熱いし、肌も火照っているのか汗ばむ。

「零さま〜暑いです…」
「うん?」
「暑い…」
「え、脱ぐのはダメじゃぞ?」
「脱ぎませんよ…こんなうっすい服着てるのに…」

 私の寝巻きは妾仕様なのでスケスケのヒラヒラだ。もう慣れてしまった。

「うわ、おぬし真っ赤っかじゃな…大丈夫か?」

 私の頬に手を当てた零様が、飲ませすぎちゃったのう。と空いた杯に水を入れてくれたのでそれをぐいと飲む。ほんの少しだけ冷たい水が、全身にじわりと染み込むようだ。

「零様のお話、面白くて…」
「楽しそうに聞いてくれてありがとう。いい子じゃな。ほらもう寝ような」
「一緒に寝る…」
「見事に酔っ払ってるのう。そうじゃよ。一緒に寝るぞい」
「は〜い」

 零様が立ち上がって手を伸ばしてくれたので、私はそれに甘えるように彼に手を差し出せば抱っこしてベッドまで連れて行ってくれた。

「気分が悪いとかはないか?」
「ないです〜」
「よしよし。明日頭が痛くなるかも知れんが病気じゃないから安心するがよい」

 私の火照った身体に反して、零様の腕は胸は冷たい。私はあまり回らない頭で彼の冷たい肌にぺたりと身体を寄せると、その気持ちよさに笑いをこぼした。

「えへへ…零様の肌冷たくてきもちいい…」
「こらこら、お触りは禁止じゃよ」

 丁寧にベッドに下ろされ、シーツに潜り込む。その瞬間、あっという間に眠気に押し流された。


「…えっもう寝ちゃったのか?」

 空いた杯を乗せた盆を部屋の隅に置いて戻ってきた零は、既に深い寝息を立てている可愛い妾を見つけた。肌を赤くして、気持ちよさそうに眠る彼女が明日二日酔いにならない事を祈りつつ、すぐそばに潜り込む。
 そして自身もほんの少し酔っ払った頭で考えた。彼女が眠っているのをいい事に、微かなため息と共に思わずポツリと呟く。

「…さっき、ちょっとだけおいしい展開じゃったのう…」

 なしなし、やめやめ。と彼女の方を向いて目を閉じた。幾度も考えた事のある邪な思考にいつもは固く蓋をしているのに、今宵はアルコールのせいかその蓋が開きかけてしまう。


 彼女を名実共に妾にしてしまえばいいのでは。という、零の邪で独りよがりな、それでも淡く純粋な希望である。

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