エジプシアン・ブルー
これは、私が零様の偽物の妾になって、あまり日が経っていない頃のお話。
「零様のお誕生日……」
私の呟きに、侍女の人は淡々と「さようです」と呟いた。まだ外は太陽の光が煌々と降り注ぐ昼間。窓の外の日差しを見て零様はフラフラしていないだろうかと心配したところだった。
「夜は盛大なお祝いの宴がありまして、妾様は出席が叶いません。ですのでその後にお渡し出来る贈り物を準備致しましょう」
「そっか、お誕生日は沢山お祝いするものでしたね」
私の故郷では誕生日を祝う習慣がなかったのでいまいちピンとこないが、以前私の誕生日を聞いてくれて、その後お祝いしてくれた零様を思い出す。あの時ねだったお勉強を教えてくれる時間と一緒に甘いお菓子を食べた時間は、未だに私の中で楽しい記憶として鮮明に残っているのだ。
「でも私、ちゃんとお祝いの品を選べるかな……?まだお誕生日祝いってよくわからないし、零様が喜ぶものが何かわかりません」
私がポツリと不安を漏らすと、侍女の人の目がニンマリと細まった。思わずビクリと肩が跳ねる。
「それでしたらご安心ください。わたくしどもの方で数点お選び致しましたので、そこからお好きなものを」
「え?」
パンパン!と侍女の人が手を叩くと、部屋にゾロゾロと更に女官さんが入ってきた。手には沢山の布を持っている。
「唯一お妾様だけが旦那様に差し上げられるものといえばこちらかと」
まるで部屋に薄いヴェールを掛けたように、光に透ける薄い布が目の前に広げられる。時折チカチカと窓の外の光に反射しているのは間違いなく宝石だろう。
そう、侍女の人たちが準備したのは私の衣装だった。いつも以上にスケスケのヒラヒラで、大事な部分の布面積が異様に少ない。明らかに『夜』用である。思わず悲鳴を上げて、私は一歩あとずさった。
「ひぇっ」
「さぁさ、どれに致しますか?わたくしどものおすすめは旦那様の瞳の色と同じカーネリアンの……」
「こ、これ、隠れてないです!はみ出る!」
「まぁそんなこと、」
そんなこと?!と聞き返しそうになったけれど、彼女たちからしたら私と零様は名実ともにれっきとした妾と主人の間柄なのだ。ならばこの衣装の具合も納得である。
そこには納得だけれど、他は納得できない。
「あ、あの!綺麗なお衣装もいいけど、こういうのはダメですか?」
私は衝撃のあまり鈍くなりつつある思考をどうにか無理やり回して提案をした。必死に言葉を並べて、自分の体験談も重ねて、それもいいけどこれも、と侍女の人たちの苦労を踏み躙らないように気を遣いながら必死に説明をした。
結果、私の意見は通った。けれど同じくらい通ってしまった別の意見に内心ため息を吐きつつ、零様のお誕生日当日まであくまでこっそりと準備を進めたのである。
「戻ったぞい」
お誕生日当日。ちょっと機嫌の良さそうな零様の声が部屋に響いてから、バタンと重い扉が閉まる音がした。私はいつものようにぺったりと床で頭を下げて主人である彼を出迎える。裾を踏まないように注意しながら頭を上げると、月明かりと部屋の照明に照らされた零様の紅い瞳が優しく煌めいていた。
「お帰りなさいませ。宴は楽しまれ、ましたか?」
まだ慣れない丁寧な言葉を使うと、零様が近づいて来てそのまま私を抱っこする。いつもあまりにも軽々しく抱えられるので、すっかり慣れてしまった。
「うむ、そうじゃな。久々に旧友たちとも会えて良い宴を開いてもらったぞい。なまえちゃんも出られたらよかったのにな」
「いえ、私は」
これが例えば彼の妻であるとか、そうでなくとも妻に近い立ち位置の妾である側室ならば主人の祝いの席に参加出来たかもしれないけれど、私はどちらかというと女官に近い妾だ。おいそれとその空間にいていい存在ではないのである。
「わかっておるよ。待っててくれてありがとうな」
窓の近くにある大きなカウチに、私を膝に乗せたまま腰掛けた零様は距離が先ほどより近くなった顔を寄せて一度頬に唇をちょんとくっ付けるキスをしてから、柔らかく齧ってきた。こうしてたまに彼がふざけてくるようになったのは、最近の事である。
「またかじった」
「美味そうなんじゃもん」
よくわからない理由を呟いてから強く抱きしめてくれる。微かにする宴の残り香だろうか、いつもの零様の香油の香りと、葡萄酒と、それから美味しそうな料理の香りがする。嗅いだことのないスパイスのような香りは、お客様の為のお料理だろうか。
「え、我輩くさい?」
「ううん。いい匂い」
「そ、そう?」
何故かちょっと照れたように声を崩した零様を放って、はしたなくもすんすんと匂いを嗅いでいるとそこでようやく当初の予定を思い出した。私は勢いよく埋めていた彼の胸元から離れると「待ってて!」と言い放ち部屋の隅まで走っていった。何故か空中をかくように手を泳がせている零様を放って、私はあらかじめ用意しておいたポットにお湯を注いで、そこにサラサラとお茶の葉を入れる。シナモンやリンゴの香りがふわりとしてきたところでガラスと金属で出来たカップに注ぎ、綺麗な絵の入ったお皿に乗ったお菓子と一緒に彼の元へ持っていった。
絨毯の上にお盆を置いてから、私はカウチに座る零様の足元でまたぺたんと床に頭を付けて言った。
「零様。お誕生日おめでとうございます」
顔を上げてにこりと笑うと、彼はくすぐったいような少しだけ情けなく眉を下げて、それでもつられてか笑ってくれた。
「私からの贈り物……というには粗末なんですけど、よかったらこれを」
私が侍女の人に提案したのはお茶とお菓子だった。きっと宴でお酒もお料理も食べて来ているだろうから、甘いものを少しと落ち着けるようなお茶でゆっくりして欲しかった。
「ありがとう、嬉しいのう」
零様がひょいと皿の上のお菓子を掴む。薄いパイ生地にナッツを包んで焼いたものは、私の故郷では結婚式のお祝いの時に食べる特別なものだ。ここでは茶菓子にすらならないかもしれないけれど、私が作れる一番のお菓子はこれなのである。
「む、美味しいのうこれ。初めて食べた」
「あのね、あの、これ、私の故郷でお祝いの時に食べるものなんです」
「もしやこれおぬしが作ったのか?」
私は一つ頷いたけど、その瞬間少し不安になる。庶民が作ったものだからと嫌がる零様ではないけれど、美味しいものを沢山食べた直後にしては粗末すぎただろうか。
しかし零様は一つぺろりと平らげると、また一つと口に運んでくれる。嬉しくてそれを眺めていたら、私の口にも入れてくれた。
「わざわざ我輩の為に作ってくれたんじゃのう。本当に嬉しい」
もぐもぐとナッツを咀嚼していると、零様がまた照れたように笑う。私の目には本当に喜んでくれているように見えて、すっかり安心して私はつい口を滑らせた。
「あのね、私の誕生日の時零様がくれた甘いお菓子を一緒に食べたの、私はすごく嬉しかったんです。だから零様にも甘いお菓子を贈りたいなって思った……」
と、胸に秘めておこうとした事をつい話してしまい私はカッと顔を赤くする。零様はきっと色んな人から沢山高価な贈り物をもらっているはずで、きっとその中には私の作ったお菓子では到底敵うはずもない高級なお菓子もあることだろう。
庶民である自分が嬉しかったから零様も喜んでくれるだろうと安易に考えてしまった事を、私はつい話してしまった。それを言わなければ豪勢な夕食を食べたから軽いものを選んだのだと大人っぽく物事を察したいい妾を演じる事が出来たのに。
「そんなに喜んでくれていたのか」
しかし零様はポロリとそんな事を言った。私は耳まで真っ赤であろう顔を上げると、彼が手招きしているのが目に入る。勿論それに従ってカウチに座る彼に立ち上がって近づけば、思い切り腰に抱きつかれた。その力が強くて思わず呻きそうになったけれど、当の零様は私のお腹に顔を埋めたままである。
「あ、あの。ごめんなさい。子どもっぽくて」
「なんの」
彼の顔に掛かるくせのある髪をそっと耳にかけると、私は思わず目を見張った。
零様の耳が、私のように真っ赤である。
見てはいけないものを見た気がして顔を背ければ、零様が耳にかけた髪を自ら無言で下ろした。
「お誕生日、おめでとうございます」
改めて祝いの言葉を口にすると、零様は「うん」と小さく頷いた。なんだか可愛く見えて、私は彼の頭をよしよしと撫でたのである。
「?」
しかしその直後、零様が顔を上げる。そして唐突に私のガウンの前をガバッと開けた。
「っきゃーー!!」
「えっなにこれどうしたんじゃ」
中には昼間侍女の人が持ってきた衣装の中で比較的布面積が広かった衣装を着ている。妥協案としてガウンを羽織っていたけれど、恐らく腰の部分の装飾具が零様の顔に当たったのだろう。私は慌ててガウンの前合わせを掻き寄せようとしたけれど遅かった。一気に脱がされていつも以上にヒラヒラのスケスケな衣装が顔を出す。零様の顔はどちらかといえば『ポカン』だ。
「みっ、見ないで見ないで」
「いや我輩に見せる為のものじゃろそれ。ほれ、くるくる回って。くるくる〜」
「やだ!」
しゃらんしゃらんと腰の細い鎖が鳴るのが、まるで私を嘲笑っているようだった。
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