リオ・ブルー
「あ、その髪飾りきれいですね!それがいいです」
その日の私は侍女の方が思わずポカンとしてしまうほど積極的だった。何枚も用意される新しい衣装は基本もったいないと遠慮してきた私だけれど、今日だけは違う。自分の好きな色の服を着て、用意してくれたアクセサリーを選んで、丁寧にお化粧をしてもらう。髪も結ってもらって、お妾様、とてもきれいです!というお世辞にも笑顔で応えた。
今日は街で遠方からやってくる隊商たちによるバザールが開催しているらしい。零様がそれを教えてくれたのは5日ほど前で、時間を空けたから一緒に行ってみるか?と誘ってくれたのが2日前なのである。いつもなら彼からの提案は大抵遠慮してしまう私だけれど、異国の品物が揃うバザールにはとてもとても興味があった。特に何が欲しいわけではない。けれど珍しいものを沢山見てみたくて、零様からのお誘いが嬉しくてすぐに行きたいと返事をしたのだ。
そして今日がその日である。お気に入りの服を着て、おしゃれをして零様と出かけるなんて初めての事だけれど、私は楽しみで朝からはしゃいでいた。
「準備出来たかのう?」
ひょこりと顔を出した零様はいつもと変わらない服だったけれど、彼の場合いつも格好いいのでそれでいい。私は一つ返事をしてから侍女さんたちにお礼を言って、外出用の外套を羽織って顔を隠した。生まれた村ではそんな風習なかったけれど、街の女性たちは皆風を通す素材の外套やローブで隠している。だから着ている服も実のところあんまり見えないけれど、要は気分だ。素敵な服を着て出かけるという気分を堪能したかったのである。準備が終わったので部屋の手前で待っていてくれた零様に駆け寄って、私はお辞儀をした。零様はそれにひらひら手を振って答える。
「お待たせしました」
「よいよい。頑張っておしゃれしてきたんじゃろ?」
「はい!」
普段の私なら恐縮する筈なのに元気よく返事をした事に驚いたのだろう。零様は一瞬目を丸くしてから、更に私をからかうように外套の裾を振った。
「せっかくのおしゃれ、我輩に見せてくれぬのか?」
きっと普段の私を想像してそんな事を言ったのだろう。やだやだと恥じる私をいじって遊ぼうと思ったであろう零様に向かって、私は外套をパッと開いて今日着ている衣装を見せた。陽の当たり方によっては透ける黒地に金糸の外套を脱ぐと、いつもより上等な衣装が顔を出した。上衣は宝石飾りの多い深い赤のものを。下のフワッとした生地のハーレムパンツは外套を被る事を考えて、少し薄い生地のものを勧められたのでそれでお願いした。サンダルは歩きやすいけれどシャラシャラと足の甲をくすぐる金飾りが私の気分を上げてくれる。
「どうぞ!」
「うわっ、」
せっかくお望み通りに外套を開いたのに、当の零様は何故か驚いて普段出さない声を上げた。
「えっ、似合いませんか……?」
不安になってそう言うと、彼は首を横に何度か振ってから「ちょっと驚いただけじゃ」と少し俯いて呟く。
「突然積極的になるんじゃから、もう……ほれほれ見せて。くるくる〜」
外套を剥ぎ、私の手を取りくるくると回すと、サンダルと上衣の飾りがシャラシャラ鳴った。
「うむ、似合うぞい。かわいいかわいい」
「へ、へへ。ありがとうございます」
一生懸命おしゃれしたものを褒めてもらうととても嬉しい。恥ずかしいけどお礼を言うと、なぜか眉間に皺を寄せた零様と目が合った。
「なんですか?」
「いやおぬしが可愛いから出かけたくない。そもそもなんでこんなに可愛い我輩の大事な子をよその男に見せてやらなきゃいけないんじゃ」
「やだ!出かける!」
今日の私はとことんワガママである。
結局あれからすぐにラクダが引いてくれる車に乗って、私と零様はバザールに出てきた。ほとんど行った事のない街はそれだけで新鮮なのに、どこか浮き足立った雰囲気がするのは異国の空気のせいだろう。街の一角で行われているバザールでは、見た事の無い珍しいものが沢山売られ、食べた事の無いものが食べられるという。
「よいか。バザールの店主は皆が皆親切に見えるかもしれんが騙される事もある。欲しいものを見つけたら我輩に言うのじゃぞ」
「はい」
そう言われても街に出たら右も左もわからない私は零様の側を離れるわけにはいかない。予行練習とばかりに車の中で零様の腕にしがみつくと、彼は満足そうに「よし」と笑った。
バザールに降り立つと、先程感じた異国の空気は一気に濃くなる。あちこちで売られる変わった衣装に刺繍の施された布地、煙の立つ場所では美味しそうなスパイスの香りが漂ってきて、その向かいでは気だるそうに何かを吸う為の店もあった。
「零様。あれなんですか?」
「水煙草じゃな。煙管と似たようなものじゃ。あれは買ってやらんぞい」
「う、うん。大丈夫」
「煙草の味がする舌は、あんまり好かぬからな。我輩」
「何の話ですか?」
結局答えてもらえないままその出店をさっさと通り過ぎた私たちは一通りの店を見て回り、零様があまり悩まずにさっさと買い物をしていくのに圧倒されながら傍を付いて回った。香水瓶や装飾品、お菓子に上等そうな布地をいくつか。それから木のかけらみたいなものを買っていたのでどうするのか聞いたら火をつけたらいい香りがするものと教えてくれた。零様は異国の物についてもとても詳しい。
どんどん召使いに荷物を持たせていく零様に、バザールの人も目をつけたのだろう。あちらこちらで零様に店の品物を見てもらおうとする声が掛かる。こちらの言葉をカタコトで話す人もいれば完全に異国の言葉を話す人もいて、すごく不思議な空間だ。
「ほれ、おぬしも何か欲しいものはあるか?」
零様はそう言ったけれど、多分彼がポイポイと買ったものの中に私へのプレゼントもあるはずなので特に何が欲しいか浮かばないまま、でも一応偽物とはいえ妾としての仕事を全うしようとバザールを見回すと一件気になる出店があったので指を差す。零様が「なるほど」と呟いた。
「本屋じゃな。向こうの国の文字で書かれてるものばっかりじゃが良いのか?」
「あのね、それが欲しいの。ちょっと勉強してみたい」
先程から飛び交う全く聞いた事のない言葉がすごく新鮮だった。零様も店の人とその言葉でやり取りしているから、きっと話せるのだ。ならば教えてもらえるかもしれないと思って、私は異国語の本を欲しがった。
「高いかな、どうしよう零様」
「なんの、買ってあげるに決まってるじゃろ。ほらどれがいい?店主に聞いてやろうか」
私は大人しく彼にお礼を言うと、本屋の店主に零様が話しかけた。中年の店主は零様をじっと見つめてから私を見て、彼に何か話しかけている。すると零様は二言三言何か言った後、いきなり私の外套を肩まで下ろした。びっくりして見上げようとした時には頭を掴まれ逆側に傾かせられると、彼の波打つ髪が首や肩に掛かった。何?!と言う間もなくちゅっと音を立てて私の首筋が一瞬熱くなる。少し湿るような感覚は間違いなく彼の唇で、今この場でするような行動ではないことだけはわかる。
目をまん丸にしたのはきっとその店主だけではなく、むしろ私の方が丸くなっていた筈だ。突然人の首筋にキスをした零様は何事もなかったかのようにまた店主に話しかけると、平積みの本を軽く指差して商品をまとめさせ始めた。
「なっ、れっ、え?」
「お勉強するならこの教本があれば大丈夫じゃろ。あとは実践用にこの辺の絵本でも選ぶとよい。どれがいいかのう」
「ねぇ今何したの零様」
「ほら、これとかどうじゃ?夜空の絵が綺麗」
「ねぇねぇなんで今……」
「おお、これもちょうど良さそうじゃ。よしよし」
人の話を全然聞かないで勝手に何冊か絵本と教本を買うと、私の肩を抱いて彼は出店を離れた。ポカンとする私。同じくポカンとしているだろう店主を置いて零様は「そろそろ帰ろうか」と呟き召使いに車の準備をさせるべく声をかけた。
おしゃれして旦那様とバザールでお買い物なんて、なんて妾らしいお仕事かつ体験なのだろうと思っていたけれど、零様の行動で全ての記憶が吹き飛びそうだった。
せめて異国の言葉がわかっていれば、零様の行動にも納得がいったかもしれないのに。私は帰りの車でそんなことを考えていたのだけれど、結局疲れて眠ってしまったのだった。
ラクダが引く、少しばかり揺れる車の中で零様がまた私の首筋にキスをしていたことは、勿論知る由もない。
「(いらっしゃい旦那!何をお望みですか?)」
「(この子が言葉を学びたいそうだ。手頃なものはあるか?)」
「(おや、妹さんですか?可愛らしいねぇ。年頃も近いしうちの息子の嫁にしたいくらいだよ)」
「(妹じゃない)」
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