マゼラン・ブルー
偽物の妾生活にも大分慣れた。
初めは私を騙してこの屋敷に連れてきた零様の側近たちに仕返しをするために彼と共謀して偽物の妾を演じているのだ。
でもその分起こる弊害に、今現在の私は少し辟易としている。もちろんそれは私に偽物の妾にならないかと提案してきた零様にではなく、弁えるという事を忘れつつある自分に対してなのだ。
「なまえちゃんはどっちが好き?」
夜、寝る前に突如零様が装飾品を二つ広げてきたので、私はそちらに目を向けた。どちらもまだ宝石は埋め込まれていなかったが、宝石が入る場所の空洞の大きさは大体同じ。ただ腕輪とイヤリングなのが違う点だ。何の為に聞かれているのか分からなくて、私は零様を一度チラリと見る。
「ん?」
「ううん」
なに?といった具合のリアクションをされたので、私は装飾品に視線を戻した。恐らく私へのプレゼントではない。それなら彼は私に黙って自分のセンスで決めたがる性質だと、この偽物の妾を勤める期間に理解したのである。
「こっちがいいです」
私は腕輪の方を指差した。華奢なデザインが可愛らしいと思ったからである。
「何故?」
「かわいいです。イヤリングだと少し派手だから、私ならこっちかなって」
「ふむありがとう。参考にさせてもらうぞい」
何の参考にするのだろう。と私はまた疑問を抱える。彼の仕事は確かに宝石を取り扱う仕事だけれど、装飾品を取り扱ってるわけではない。装飾品になる前の石を売ってる仕事のはずだ。
「私のセンスで大丈夫かな」
「なんの、なまえちゃんの意見が欲しかったんじゃよ」
「へぇ……」
えっ。と思ったけれど、そこで私は反射的に口をつぐんだ。思わず妾、しかも偽物の妾という範疇を越えそうになったことに、本能的に気がついたからである。
「んんん、」
「なんじゃ。どうした?」
「な、なんでもない。なんでも」
私はぶんぶん首を振って、早々にシーツの中に潜った。そのまま強く目を閉じてうっかり口にしそうになった言葉にそのまま蓋をする。一方零様はというと装飾品をしまってから、緩慢な動きで横になったのが気配でわかった。いつもは起きている時間なのに、今日はもう眠るのだろうか。私はいつもは彼にくっついて眠るところを少し離れた位置で背中を向けて丸まった。
「……ほら、こっちおいで」
「い、いかない」
なんだか一人で気まずくて彼の「おいで」に思わず拒否をすると、背後からゴソゴソと音がして、不意に背中が温かくなる。私が行かなかったからか、零様の方から近づいてきた。こんなに広いベッドなのに、二人して隅っこにいて何だかおかしい。
「なんで急にご機嫌斜めになってしまったのかのう」
「そんな事、ないです」
寝る、と呟いたら肩をトントンと叩かれた。反射的に身体の向きを変えて振り向けば、そのままちゅっと音を立てて頬にキスをされて、加えてよしよしと頭を撫でられる。
「おやすみ。我輩のかわいい子」
「お、おやすみなさい……」
軽いキスで直ってしまった自分の機嫌が情けなくて、今日はそのまま零様に背を向けて寝た。真夜中に案の定寝相の悪い彼にベッドから落とされたけど、それはそれだ。ベッドの反対側に回り込んでまたシーツの中に入り込む。真っ暗闇の中、零様がベッドをポスポスと叩く音がする。寝入ってるはずなのに、恐らく無意識に私を探しているのだろう。
「……」
なんとも言えない気持ちになって、私はそのまま零様の背中にくっついて寝た。
だって、私はあの時抱いてはいけない気持ちを抱いたのだ。混乱と、焦りと、色んな感情でぐちゃぐちゃになったのだ。
私はあの時、ヤキモチを妬いた。私が選んだアクセサリーを他の女の人に贈ると言う彼に苛立ちを覚え、贈られる名も知らない女の人に嫉妬をしたのだ。
これが本物の妾ならいい。それも仕事のうちだし、そういう感情を吐露してこそだろう。主人が妾のそういう姿が見たいという思いを叶えてあげることだって、場面によってはあるのかもしれない。
けれど私は偽物の妾である。そういう感情を零様が求めているとはおよそ思えなかった。
「ねぇ、誰に贈るの……?」
小さな声で、静かに呟いた。その声は熱砂に溶けて、夜の冷たい砂漠の風に拐われた事だろう。
好き、なのだと思う。
違う。こんなに大事に大事にされて、好きになるなと言う方が過酷だ。でもその気持ちにはちゃんと蓋をして、口をつぐむしかない。私は彼にとっては、ただの偽物なのだから。
「のう、のう嬢ちゃん」
結局すっかり寝不足のままだったせいで、私は次の日の午後うつらうつらとしながら本を眺めていると、突如用意してもらっていた勉強部屋に零様が入ってきた。昼間なのにいつもより元気で、どこか楽しそうな足取りである。
「はぁい」
私は気の抜けた返事をして、彼の方を振り返った。すると零様は昨日持ってきた華奢なデザインの腕輪に綺麗な黄色い宝石をはめたものを手にしていた。太陽みたいな色の宝石は、どこか力強い輝きをしている。
「これ、どうかのう」
「……素敵です。えっと、インペリアルトパーズですね」
宝石の名前を当てると、零様は嬉しそうに頭を撫でてくれた。
「正解じゃよ。いいものが手に入ったんでのう。イメージにも合うし、これにした」
「贈られた方もきっと、喜ばれると思います」
無難な答えを返したように思う。偽物の妾なのだから、誰に贈るかなど考えず、ただ主人を気分良くさせてあげられる返答が出来れば良いのだ。
「そうじゃろうそうじゃろう。今なら間に合うからのう。じゃあこれで贈っちゃうけどよいか?」
「……はい」
何故私に他の女の人へのプレゼントを贈る許可を求めるのかわからない。私は斜めになりそうな機嫌をなんとか持ち直して、彼に微笑んだ。
ぐしゃぐしゃな思考では勉強しても何も頭に入ってこない。その日は結局本を閉じて、勉強部屋でそのまま居眠りをしてしまった。夜になって侍女さんが夕飯だと起こしに来てくれたけどなんとなく食欲も湧かなくて、私はそこに無理を言って毛布を持ってきてもらうよう頼んだ。零様と寝るのは、なんとなく嫌だったから。
こんな所で眠るのですか、と少しオロオロしている侍女さんに持ってきてもらったそれにくるまって、私は本棚の隅で丸くなる。ふと窓をみると昼間に見たトパーズのような眩しい輝きとは違う、どこか甘そうな光を帯びた黄色い月は、飴細工のような綺麗な三日月だった。
「これ、こんな所で何をしておる」
「……」
侍女から聞きつけたのか部屋に私がいないからか、案の定零様が私を見つけて入ってきた。ランプの光はぼんやりとしていて目に優しいのに、私はわざと眩しいと言わんばかりに目を細める。
「おぬし夕飯も食べなかったんじゃって?夜中腹が減っても知らんぞ」
「……減らないからいいです」
拗ねたようにそう言えば、零様のキョトンとした顔がランプの光越しに見えた。それはそうだろう。私はあまりワガママを言ったことがない。偽物の妾だから、当たり前なのだけど。
「またご機嫌斜めじゃのう。どうしたどうした」
零様が毛布にくるまってるせいで芋虫みたいになってる私をつんつんとつつく。意地になって、私はそんな零様に背中を向けた。すると零様は私の横に寝転んで軽く抱きしめてくれた。優しい声が、部屋の中にふわりと響く。
「何か嫌なことがあったか?我輩に教えておくれ」
今度は頭を撫でられる。いつもしてくれるその仕草に、だんだんと私は目に涙が滲むのを堪えきれずにいた。名前を呼ばれたら我慢できなくなって、思わずぽろぽろと泣いてしまう。毛布をゆっくり剥ぎ取って、零様は私を起こすと正面に向かい合って座らせた。
「……、」
「どうした?なぜ泣く?」
寂しくなったか?と聞かれ、首を横に振った。言ってもいいのだろうか。偽物の妾のくせに嫉妬なんて感情を主人に吐露してもいいのだろうか。
そう思ったのに、何故か口はあっけなく本音を吐き出した。
「昼間の、腕輪、」
「ふむ」
「だれに、あげるのかなって……。大事な人にあげるんだろうなって……」
「……」
零様の沈黙が怖くて、私はすぐに取り繕う。
「もちろん、あげていいの。当たり前だもの。でも零様、ほ、他の女の人にプレゼントするものを、偽物とはいえ妾に選ばせちゃ、」
だめ。と言う前に、零様が思い切り抱きしめてきた。あまりに力が強くて、言葉を最後まで繋げない。零様の肩口に思い切り顔がぶつかって、軽い衝撃と痛みの直後、彼の好きな香の匂いがふわりとした。
「……あれはな。あれはおぬしのお姉さんにプレゼントするものじゃよ」
「……え?」
「お姉さんが近々結婚するって、自分で言ってたじゃろ。愛妾の家族が結婚するんじゃから、お祝いくらい贈らねばと思ってのう。おぬしのセンスならお姉さんも喜ぶと思ったから聞いていたんじゃがそうか。勘違いさせてすまなかった」
珍しく矢継ぎ早になっている零様の言葉に、私は羞恥よりも安心が勝ってしまい、しまいには声を上げて泣き始めてしまった。零様が私の家族を気にしてくれたのが嬉しい。けれどなにより、私は彼に他の女性がいなかったことを喜んでいる。
浅ましい。汚い。はしたない。偽物のくせに。
そんなことを思いながら、頭を撫でながらさっきよりも優しい力で抱きしめてくれる零様に甘えて泣く。
「ごめん、なさい。ごめんなさい零様……勘違いで、かわいくないことして、ごめ、ごめんなさい……」
無言でぽんぽんと頭を撫でる零様の手に甘えて、私は彼にしがみついた。
「……なるか?」
すると、不意に零様がポツリと何かを呟いた。思わず涙でぐちゃぐちゃな顔を上げれば、すごく真剣な顔をした彼と目が合った。ランプの炎に照らされて、いつもは真っ白な頬にやや赤みがさしているように見える。彼の薄い唇が、そっと開く。
「ならば、本物になるか?」
「……」
本物の、つまり今の偽物の妾ではなく本当の妾として囲われないか。という事だろう。妾として彼に愛される。それはなんて幸福なことなのだろうか。
けれど私は首を横に振って、またボロボロと泣き出した。彼の服をしがみつくように掴んで、子どものように泣きじゃくる。
「いや、いや、ならない」
「なぜ?」
こう言えば気持ちが見つかってしまう。けれどこれが、彼のことを好きだからこそ否定する為の最適解なのである。
「いつか、いつか零様が奥さんを迎えた時、私ヤキモチでどうにかなっちゃうから、いや。ほんものには、ならない……なれない」
静かな部屋で、私は更に声を上げて泣いた。
「そうか」
零様は静かにそう呟いてからまた優しく私の頭を撫でて、涙で濡れている頬に静かにキスをした。
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