ダイヤモンド・マイレディ

突然だが、私には大金持ちの婚約者がいる。

たまたま私の母方の祖父が会社を経営していて、そのツテでたまたまお見合いをする事になったのはちょうど1年半前。先方はまだ結婚を具体的に考えているわけではないとのことだが、お相手の男性は身体が弱い事からゆっくりと相手を見つけるべくお見合いを始めたらしい。私の取り柄は今までの人生風邪すらほとんど引いた事が無い、という健康優良児な事くらいで、祖父は金持ちだが父は普通の会社員である一般家庭で育ったものだからお金持ちのお嬢様のような品のかけらもない。つまりはただただ健康過ぎる一般人程度のそれだ。

しかし先方も色んな女性と会ってゆっくり伴侶を決めたいとのことらしく、とりあえず会うだけでも、と気軽な気持ちで受けたお見合いがまさか良い方向にまとまってしまったのは、私の人生史においてかなりのターニングポイントだったように思う。とにかくお相手が気に入ってくださったんだ。と少し嬉しそうな顔をする祖父が小躍りするのも仕方ない。
相手はあの天祥院家の御嫡子で、その方自ら私を大層気に入ってくれた。というのだ。

好奇心半分と驚愕半分を抱えながら、私の一体どこが、と恐る恐る本人に聞いた。すると2回目にお会いした天祥院さん自ら、青く美しい瞳を細めてこう宣ったのである。

「フフ。君、何があっても絶対僕より先に死ななそうだから」

「うーん、それはそうでしょうね…」

「……こういった場なら特に、僕に気を遣った言葉でも言うのが普通の感覚だろうけど君の歯に絹着せぬ物言いも結構気に入ったよ」

「あ、す、すみません…」

「謝らないで。僕が何故君を気に入ったか話しただけだよ。褒めたんだ」

思わずポロリと本音を零しまったけれど、どうやらそれが逆に好感触だったようだ。だって天祥院さんは吹けば消えそうなロウソクの淡い炎のような人である。多分、いや確実に私の方が長生きするだろう。そんな失礼な返答をしたのに、天祥院さんは更に楽しそうに笑った。

「君となら、僕の残り少ない人生を楽しく彩れるような気がしたんだ。もしこんな死にかけの病弱な男が嫌でなかったら、婚約者として交際を申し込んでもいいかい?」

この時点では、きっと私の中には恋愛感情なんてものは一切無かったように思う。正直なところかなり気軽な気持ち…というより天祥院さんの顔があまりに綺麗だったのでそんな人に気に入られたのが嬉しかったのは認めざるを得ないからだ。そこから私は天祥院さん、もとい英智くんの婚約者となったのだった。



「なまえ。待たせてごめんね」

「こんばんは英智くん」

久しぶりのデートは天祥院家が運営するホテルのディナーだった。今までそんな所に行ったことなんてお祖父ちゃんの誕生日くらいなもので、ちゃんとしたドレスコードがある店なんてほとんど入った事がないのに、英智くんと外へ出掛けると大抵こういう店になる。
というのも恐らく英智くんは庶民のデートというものをそもそも知らない、というのが一つ。それからセレブを気取って振りかざしたいんじゃなくて、天祥院グループのホテルやレストランへ行けば特に何も言わなくても英智くんが食べられない食べ物をシェフが熟知している分、彼が安心して食事を摂れるのだ。

「僕は僕用のおまかせコースだけど、なまえは何か食べたいものある?」

「牛肉」

「わかった。黒毛和牛のフィレとかどう?レアで食べるの好きだろう?」

「さっすが〜。ワインは赤でお願いします」

「ふふ、了解」

するとすかさずボーイさんの方から何かを察してこちらへ来た。英智くんがあれこれと話してから彼が去るのを見つつ、個室のvip席みたいな大きな部屋で一息吐く。

「仕事帰りにすまなかったね。来てくれてありがとうなまえ」

「ううん。むしろここのお料理が食べられるって思ってたから仕事頑張ったよ今日は。こちらこそ誘ってくれてありがとう」

英智くんとは、彼の体調次第だが仕事の帰りによくデートをする。ホテルでのディナーだのクラシックを聴きに行くだのが多いから仕事が終わったらトイレに篭って光速でよそ行きの服に着替える必要があるけれど、毎回私も楽しめるような場所へ連れてってくれるので、その日の仕事は私も頑張れるのだ。

すると英智くんがじっとこちらを見つめていることに気がついた。綺麗なアクアマリンみたいな瞳が、ちょっと澱んでこちらを見ている。

「せめて僕に会いたいから頑張ったって言ってくれると僕も嬉しいんだけどな。恋人に対するリップサービスが本当に下手だねなまえは」

「あっごめんね。英智くんにも会いたかったよほんとほんと」

「軽いなぁ」

少しだけ英智くんが拗ねているうちにアミューズが来た。私のはウニが乗っているけれど、英智くんのにはなんだか別の、よくわからない物体が乗っている。

「今日はウニ、だめなの?」

「昼間に魚卵食べたら少しね。だから念の為」

「そっか。大丈夫?」

英智くんの場合、この食べ物がだめ、というより体調によってだめなものが変化する時もあるみたいなので、食事に関しては本当に気を遣っている。万が一本当に彼と結婚した時私は果たして彼の食事を作れるのだろうかと思ったけど、天祥院家にはお抱えシェフがいるじゃんという結論からの一安心に至った。一周回っておにぎりと卵焼きと味噌汁とかなら大丈夫かもしれないので私は庶民の飯を彼に教える係になればいいや。なんて思ったりしている。

「なまえは嫌いなものもアレルギーもないんだったね」

「無いねぇ。逆に好きな食べ物聞かれると少し困るくらい」

「フフ、君はお肉大好きじゃないか。メインのフィレ、少し大きめに切ってもらうように言ったからね」

すっかり見抜かれていた事が恥ずかしくて、小さな声で「ありがとうございます…」と呟けば、英智くんは満足そうに頷いた。

アミューズのウニのムース(英智くんのは野菜のムースみたいな色をしていた)をペロリと食べて、前菜はフレッシュチーズとなんかの野菜のサラダ。ドレッシングはオリーブオイルに何かハーブの香りが付いたもの、と、正式名称がわからない料理を食べながら、私は英智くんのやや演説めいた話にうんうんと相槌を打つ。

彼は天祥院家のエンターテイメント事業を一手に担っているので、若いながらになかなか苦労をしているのである。
とはいっても学生時代に作った縁で人気のアイドル達にライブを頼んだり出来るみたいで、私も以前一度だけチケットをもらった事がある。彼の代わり、という事でUNDEADのチケットを融通してもらったのだが、観に行く前に何度も何度も英智くんに「いいかい?朔間零の策略に嵌ってはいけないよ…」って言われ続けたのだけれど、今になって考えればあれは彼なりのヤキモチだったのだろう。こんなに美しい顔をして健康な身体以外は全て持ってそうな人なのに凡人極まりない私が他の男の子を見ていると嫌悪を覚えるというのだ。なんだか可愛らしい。

「…というわけで、また旧知のクラスメイトに出演を頼まなくてはならなくてね。なまえはKnightsは知ってる?」

「うん知ってるよ。すごい有名どころじゃん。この前ガムのCM出てたし」

「そうそう。悪いけど彼らものすごく人気だからチケットとかの融通は出来ないけどいいよね?」

「も、勿論。ファンの子優先にしてよ」

そう言うと、英智くんはにこりと微笑んで「よかった」と優しそうな安堵したような声で言った。

「君は結構ミーハーだから。ライブの雰囲気とかに呑まれて起こる動悸をときめきと勘違いしそうだよね」

「えー、信用ないなぁ」

やり取りの最後の方は、二人して少し語尾が笑ってしまった。話題をスムーズに茶番に変えるタイミングが、互いに非常によく合うのだ。

喉の渇きを潤す為に、私は赤ワインで口を潤す。英智くんはただでさえお酒が苦手なのに今日はやはりお昼食べた魚卵のせいか、あまり食も進まない様子だった。食べきれない前菜をボーイさんに謝りながら下げてもらっている。

「ねぇ英智くん。もしかして今結構体調悪いんじゃない?」

思い切って聞いてみれば、彼はどこか儚げな笑いでやり過ごそうとしている。その手には乗らない。と、私は高級ホテルのレストランvip席だというのに向かいにいる彼の手首を掴んだ。ものすごく冷たい。

「うわぁ手ぇ冷たい!無理しちゃダメだよ英智くんもう食事ここらでやめよ??」

最悪の場合、このホテルに救急車を呼ぶことになる。そんな事態を想定しておきながら、私はもう一度英智の名前を呼んだ。

「英智くん大丈夫?どうせこの上の階に部屋とってあるんだごっこする為にお部屋取ってあるんじゃないの??そっち行こうよ」

「はは、バレちゃってたのか。恥ずかしいなぁ」

青白い顔でポケットからスイートルームの鍵を取り出すと、私はまずこれから来る予定だったであろう料理はまとめてスイートルームに届けてもらうようボーイさんに伝えた。後で英智くんの調子が戻った時、お腹が空くかもしれないからだ。あとは個人的にまだメイン料理にたどり着けていないからこそである。今日の料理を本当に楽しみにしていたので、その辺は許してほしい。

それから英智くんの背中を支えてスイートルーム直結のエレベーターに乗った。幸いなことに鞄の中にコンビニで何か買った時のビニール袋が小さく畳まれた状態で入ってたので、万が一英智くんが吐き気を催したり過呼吸になってもこれがあれば一時的になんとかなるか。と少し気持ちが楽になる。

「英智くん大丈夫?気持ち悪いとかない?」

「大丈夫だよ。まだ戻すほどではないから…」

やはり昼間に食べた魚卵が何かしらの悪さをしたのだろう。私は片手で英智くんを支えつつも、もう片手で彼のお抱え医師に電話をして今の状況を伝えた。医師はすぐにホテルへ来てくれるという。

「お医者さん来るから安心して。少し横になろう」

「ありがとうなまえ」

「気にしないで。私英智くんの婚約者なんで」

主寝室の大きなベッドに英智くんを寝かせて、なまえは冷蔵庫の中にあったミネラルウォーターを勝手に拝借した。

「英智くんお水飲む?」

「うん」

本当はあまり冷えた水を飲むのは身体によくないらしいけれど、気持ち悪いのなら少し冷たい方が胸がすっきりするだろう。彼がペットボトルから直飲みしている印象があまりにもないので、私はグラスにミネラルウォーターを注いで、英智くんに手渡すと彼はそれをゆっくりと飲み干した。

「大丈夫?お手洗い行かなくて平気?」

「ありがとう、平気だよ。水を飲んだら少しすっきりしたみたいだ」

そうは言うけれど、顔色は相変わらず青白いままだ。

「じゃあこれ以上悪くならない内に服着替えちゃおう。もうお医者さん来たらすぐ寝れるようにさ。手伝うから」

私は彼のジャケットに手を掛けて、脱ぐよう促した。英智くんは大人しくジャケットを脱ぎ、ごそごそとスーツのズボンも脱ぎ始める。私はそれを預かって、クローゼットのハンガーに丁寧に掛けた。ちらりと見えたタグに私でも知っているくらいの超高級有名ブランドのエンブレムが見えて、戦々恐々とする。型くずれなんてさせたら修理にいくらくらい掛かってしまうのか、考えるだけでも恐ろしい。

なんとか上手にハンガーにスーツ一式を掛けて英智くんの元に戻れば、彼はベッドに置かれたアメニティのルームウェアに着替え終えていた。

「シャツどうする?」

「いいよ。新しいの持ってきて貰えるようにフロントに言ってくれるかい?」

「わ、わかった」

何が「いいよ」なのかサッパリわからないが、フロントに連絡をすればあっさりと話が通った。それを英智くんに伝えると、彼はさも当然のように「うん」と答える。クリーニング依頼だろうきっと。あの高そうなシャツを面倒だから捨ててしまうなんてそんな勿体ないことはしないはずだ…多分。

「ごめんね世話をさせてしまって…恋人に服を脱がせて貰うシチュエーションだっていうのに、色気なんて全く出てこない状況に我ながら嫌になるよ」

英智くんはそう言うと、拗ねたようにベッドに横になった。彼も今日を楽しみにしてくれていたのだろう。私は首を振る。彼の体調が最優先なのはお見合いをした時に十分理解している。

「食中りではなさそうだね。疲れてる時にあまり体が受け付けないもの食べちゃったのかな」

私は彼を慰めるようになるべく優しい声で言うと、ベッドに座って自分の膝をぽんぽんと叩いた。すると餌に釣られる子猫のように英智くんは四つん這いでこちらへ来ると、私の膝にゆっくりと頭を乗せた。彼の綺麗な白金色の髪を撫でてあげれば少しウトウトとし始める。身長なんて頭一つ分違うし、沢山の人を従えて事業をしている彼がこんな風に甘えるのが私の前だけだと思うと、優越感と同じくらい母性に似た何かが湧いてくる。
お見合いした時は、単純に彼の綺麗な顔や物腰の柔らかさに惹かれたと言っても過言ではないが、今はもっといい方向に彼への愛情が進化した気がした。

暫くして、部屋のインターフォンが鳴った。すっかり眠ってしまった英智くんにふとんを掛け、私は扉を開ける。そこには英智くんのお医者さんが少し慌てた様子で立っていたけれど、目を覚ました英智くんに簡単な診察をするとアレルギーと疲労回復の薬を置いてすぐ出て行った。大したことはなかったようで、私も安心だ。

「よかった。大事がなくて」

「少し休むようにしないとダメだね。可愛い桃李にも叱られてしまうよ」

可愛い桃李、というのは英智くんと共同経営をよくする姫宮家の御曹司様だ。あまりにも可愛いので彼が可愛い桃李、と呼んでも「わかる…」と呟いて嫉妬の対象にすらならない。私は逆に彼にとって嫉妬の対象らしく、顔を合わせる度に何かしらの攻撃をされるけれど、それすら可愛いのでズルいものだ。

「そうそう。無理だけはしないでね」

「ありがとう」

そう言って笑い合った瞬間、彼の瞳が悪戯っぽく瞬く。あ、キスされる。と目を閉じようと思った瞬間、再び部屋のインターフォンが鳴った。

「ん、誰だい…?」

邪魔をされて、英智くんが不機嫌そうに眉を寄せた。しかし私は反面、来訪者の正体に気が付いていたのでワクワクとベッドから降りて扉を開ける。

「お待たせいたしました。お料理お持ちいたしました」

銀色のカートを押してやってきたのは。レストランのボーイさんだった。私が『まだ食べていないメニューを後で持ってきて』と言ったお願いを叶えに来てくれたのだ。

「はーい!ありがとうございます!」

「すでに盛りつけてありますので、そのままお召し上がれます」

銀色のカートをそのまま引継ぎ英智くんの元に戻れば、ちょっと呆れた顔をした彼の笑顔が私に突き刺さる。が、そんなものは彼に出会って数ヶ月でとっくに慣れてしまった。

「なんか安心したらお腹空いちゃった。私ご飯食べていい?」

「ダメって言ったらどうするんだい」

「お願いって言う」

「いいムードだったのに?」

「ムードじゃお腹は膨らまないんだな〜」

彼のじっとりとした目線なんて意にも介さずに、私は牛のフィレステーキを切り分けて口に運んだ。美味しい。英智くんの恋人になってからというもの、すっかり舌が肥えてしまった。

「僕をこんな風に放置して許されるのなまえくらいだよ。本当に…」

精神が鋼だね。なんて言われたので、折角硬いもので表現するならダイヤモンドって言ってよ。なんて笑えば、英智くんは楽しそうに笑った。

「そういう君の図々しい所、大好きだよ」

全然褒めてないじゃん。

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