恋するミントティー・1

 私がお仕えしている朔間家の次男である凛月様が、ご近所のお嬢様と結婚することが決まった。お二人を祝福しない人などどこにいようか、というくらいお似合いな方々が夫婦になることが純粋に嬉しく、また私が侍女をしているこの家に奥様としていらっしゃるお嬢様のお世話が出来ることは何よりも光栄で、私達侍女はお式の日取りを大旦那様から確認したり、宴の準備に余念がなくなってきた。結婚が決まってからというもの、侍女達の楽しみの一つになっている。

それは紛れもなく本音だった。けれど私は、その歓喜した感情の中にほんの少しだけ、安堵を抱いている。
ご結婚相手は、長男の零様ではなかった。それだけで私は不覚にも泣いてしまいそうなほど、安心してしまったのである。
小さな頃から侍女として奉公させて頂いている朔間家のご長男である零様に、私は身分違い甚だしい恋心を隠し持っていたのだから。


「はぁ…」
そんな安堵のため息を吐いた翌日、私はまた別の種類の深いため息を吐きながら、故郷の両親から届いた手紙をもう一度読み返した。中には父の筆跡で、三番目の妹の結婚の知らせが書かれていた。私の故郷はここから山を二つほど越えなければならない上に、そろそろ雪の季節である。結婚の宴に参加したかったけれどきっと難しそうだから、今日中に手紙の返事を書いて、雪が降る前に手紙を届けてもらわなければならない。後で手紙を書く時間をもらわなければ。と考えて、私はその手紙を懐にしまった。

私は四人姉妹の長女で、二番目の妹はとうに結婚し余所へと嫁いでもう数年になる。一番下の子とは七つほど歳が離れている。私の故郷では末っ子が家を相続する風習があるので、きっと末っ子はゆくゆくは婿を取り家を繋げるのだろう。
そして結婚が決まったという三番目の妹とは五つ。その妹がとうとう結婚するというのだ。

「……そうかぁ。あの子ももうそんな歳なんだね…」

小さく呟いて、私は自分の持ち場に戻るべく一歩足を踏みだした。その足は妹の嬉しい報告で軽いはずなのに、どこか重い気持ちになってしまう。
というのも、私自身は既に結婚適齢期を過ぎ始めているのだ。
私の故郷での結婚適齢期は早い。みんな十代までには結婚をし、家庭に入るものである。
しかし私は十代の早い内に親戚の伝手でこの朔間の家に侍女として働き始め、気が付けばそろそろ十年に届こうとしている。

そんな私に父は私の結婚を諦めてしまったのか、山を二つ超えた先で働く娘に結婚の話を持ってきてはくれなかった。そういうものは父親が決めるものだから私に出来る事といえば待つ事くらいである。自分から結婚の催促をするなんてはしたない事も出来なくて、ついずるずるとこの年齢まで来てしまったのだ。今後、私はどうなるのだろう。と漠然とした不安が、妹の祝いの報告を見たら、小さく漏れ出したのだ。

「嬢ちゃん」
「は、はい!」

不覚に背後から声を掛けられて、私は驚きと一緒に勢いよく返事をした。そこには朔間家のご長男である零様がきょとんとした顔でこちらを見ていた。

「すまんのう、驚かせたか?」
「あ、いいえ。いかがしましたか?」
「少し喉が乾いたから、部屋にお茶を持ってきてくれぬか。カップは二つ頼む」
「はい、かしこまりました」

よろしくな。と踵を返した零様の背中に丁寧にお辞儀をすると、私は持ち場に向かう前に足早に台所へと向かった。紅茶の置いてある棚の内から壺を一つ取り、湧かしたお湯をポットへと注ぎ、茶葉を入れる。良い香りがしてきた辺りでカップや軽い茶菓子と一緒に盆に乗せて、珍しく凛月様とお茶でもするのかしら…と思いながら私は零様のお部屋へと向かった。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
「おぉ、すまんのう」

零様は大きなクッションに背を預けて、ゆったりとしていた。今は午前中だからきっとまだ完全に目が覚めていないのだろう。なのでミントの入った、すっきりとしたお茶を淹れてきたのは正解だったようだ。

「ふむ。いい香りじゃな。ぼんやりした頭がすっきりするぞい」
「ミントの入ったお茶に致しました。お気に召して頂けましたか?」
「いいのう。今の我輩にぴったりじゃ」
「ありがとうございます」

次男の凛月様は比較的深い味わいの紅茶をお好みになるけれど零様はそこまでこだわりが強くない分、意外とお茶選びが難しい。何を持って行っても美味しいと言ってくださるけれど、侍女としてはいつでも美味しいものを頂いてほしいのである。

「時になまえちゃん。先ほど何かため息を吐いておったが、何かあったかや?」
「え…?」
「何かあるなら我輩に相談してみないか?」

零様はご自分の隣の席をぽんぽんと叩くと、おいでおいでと手で私を招いた。零様のご厚意をお断りするのも失礼で、私は少しだけ零様が叩いた場所から距離を置いて座り込む。すると先ほど頼まれて持ってきたもう一つのカップに零様がお茶を注いで私に差し出してきた。もしかしたらこの為にカップを二つと仰ったのかもしれない。

「あ、ありがとうございます…」

私も零様に倣って、ちょうどいい熱さのお茶を口にする。ミントのさわやかな香りは、つい最近来た行商に来ていた女性に教えていただいたものだ。お屋敷にある茶葉でブレンド出来たので最近お茶のレパートリーとして加えたが、これならきっと凛月様にもお喜び頂けそう。なんてうっかり自画自賛してしまう。

「何か、悩んでおるのかのう」
「あ、いえ…」

お茶の香りについうっとりしてしまったが、零様がたかだか侍女の私を心配してくださるのが申し訳ないけど嬉しくて、私は頬を少し熱くした。小さな頃からお仕えしている零様の優しさは骨身に沁みている。私は意を決して、ほんの一部だけ語ることにした。

「父から手紙が来まして、三番目の妹の結婚が決まったと報告があったのです」
「ほう、それはよかったのう。おめでとう」
「ありがとうございます」
「…それが悩み事、なのか?」

私は首を横に振った。ここからはたとえ長くお仕えしている方でも恥ずかしく言えるはずもない。

「いえ。故郷に帰るのはこの季節難しいですから、結婚式には出られないなぁと考えていただけです。今度お祝いを贈っておこうかな。と…」
「そうじゃのう。朔間の家からもお祝いを贈ろうか。なまえちゃんは長い間この家にいてくれているし」
「いえそんな、そのお気持ちだけで十分です」

にこにこと笑う零様のことだから、きっと本当にお祝いをくださってしまうだろう。実家が驚いてしまうような高価な贈り物を。

「お気遣い頂きまして、本当にありがとうございます零様。そんなに悩んでいるわけではないんです。そう見えてしまったのなら、申し訳ありません」

座ったまま丁寧に礼をした私に、零様はすぐ「頭を上げておくれ」と言ってくださる。

「お祝い事が重なり、嬉しいことです。凛月様の結婚式のお日にちも迫っておりますし、奥様をお迎えするのが楽しみですね」

奥様は小さな頃、凛月様とよく遊んでらっしゃった幼なじみだという。この辺りは私の故郷と同様に長男から先に結婚するなんて風習はないので、ぴったりなお相手が見つかった方からご結婚される。

「そうじゃのう。凛月は小さな頃からあの子の事気にしておったから、上手く事が運んで我輩も安心じゃ」

そうだったのか。と、私は以前やきもきした自分の胸がとんだ杞憂だった事に、今更気が付いた。元々零様は、彼女とご結婚するつもりはなかったのだろう。

「結婚式、楽しみですね」
「うむ」
「では零様。私そろそろ失礼致します。どうもありがとうございました」

失礼致します。と礼をして下がろうとした所で、零様がぽつりと呟いた。

「もう少し、もう少し待ってほしい」
「はい、なんでございましょうか」
「…いや、なんでもない」

仕事の合間にすまなかった。と、侍女の私にも丁寧に接してくれる零様に、私は心を傾けないように必死に侍女の表情を作った。
結婚はしたい。したいけれど、反面もし父が結婚の話を持ってきてしまったら、私は二度と零様にお会い出来なくなるのだろうかと思ったら、結婚は嫌だと首を振ってしまいそうになる。
でもいつか零様がご結婚して奥様をお迎えになった時、この無謀な淡い想いを打ち消してお仕え出来るのかは、今の私にはわからなかった。


「なまえ。おい〜っす…」

零様のお部屋から辞して、洗濯と昼食の下拵えを一通り終えた辺りで凛月様はようやく目を覚まされたのか、部屋からひょこりと顔をだして私を呼んだ。

「はい凛月様。おはようございます」

時刻は既に昼間を指していたが、今日明日はお仕事の都合でお二人とも夜にお出かけになる分、日中はゆっくりだった。なので凛月様からしたら早めのご起床である。

「お早いですね凛月様。お食事なさいますか?」
「ん〜まだいいや。お茶持ってきて」
「かしこまりました」

先ほどのお茶をもう一度淹れて、今度は凛月様のお部屋へ向かう。お食事はいらないと仰っていたけれど恐らく喉を湿らせたら食欲が湧くだろうと思って小さなパンとチーズも盆に乗せて、凛月様のお部屋へと向かった。

「凛月様。失礼いたします」
「はい、どうぞ〜」

盆を絨毯の上に置いて、ポットからお茶を淹れる。

「お茶、いい香り〜。新作?」
「はい。行商の方にブレンドを教えて頂きました。ミントが入っています」
「ふ〜ん。確かにミントのいい匂い」

お茶を一口二口飲んだ凛月様は、やっぱりパンに手を伸ばした。私の読みは当たったようである。そして凛月様は先ほどの零様のようにぽんぽんと床を叩いて話し相手になるよう無言で命じた。私は小さく座り込んで、話題を振る。

「花嫁様の衣装、楽しみですね。時期的にそろそろ出来上がる頃でしょう」
「そうだねぇ。中身はよく知る子だけど」

そう言う凛月様は穏やかに笑った。本当に愛する方とのご結婚は、きっと最上の幸福だろうと思う。

「奥様をお迎えするの、侍女たちも楽しみにしております」
「そう?あ、でもあんたは…」
「え?」

凛月様はそこまで言うと、一度考えるように視線を外してから意地悪そうに笑った。

「なまえは結婚しないの?」

今日一日、この話題ばっかりだ。少し泣きたくなってしまう。

「あ、その…恥ずかしながら、父がそういった連絡をくれなくて…」

そんな状態なのに五つ下の妹が結婚する、という話題は出せなくなってしまった。私の結婚適齢期がゆっくり通り過ぎている事を、凛月様も気が付いているだろう。そんな私にその話題は少し酷だ。

「ふ〜ん。兄者のやつ、そっちにまで手を回してるんだ…陰湿〜」
「え、と…。なんの事でしょうか」
「うわ。しかも本人に言ってないんだ」

最悪。なまえ可哀想。などと、凛月様は少しニヤつきながらも零様の悪態をついている。

「あの、凛月様…?」
「なんでもない。とりあえずあんたは兄者が周囲を黙らせるまで、大人しくここで待ってるといいよ。侍女でもやりながらさ」
「は、い…?いえ、侍女を辞めるつもりは今のところ…」

凛月様の言っていることがわからない。私は首を傾げながら、思わせぶりな事を呟く凛月様を見る。

「さすがに侍女をお嫁さんにするのは親族全員納得させなきゃいけないし。そこに時間掛かってるんだろうねぇ」

ま、安心して気長に待ちなよ。と言いながら、凛月様はまたごろんと寝転がった。私は再びモヤモヤとする頭を抱えながら、凛月様のお部屋を辞す。

一体どういう意味なんだろう。侍女を嫁にするって、私のこと?誰が?零様が?あり得ない。こんな大家のご長男が。あり得ない。あり得ない。
そう言い聞かせながら、私は努めて冷静に仕事をこなす。時々ご兄弟のお世話をしながら日々不安と一緒に、それでも自分らしく仕事をしていく。

父から来ない、私の結婚に関する手紙。実はそれは何年も前から零様が父に手紙を出して、私に結婚の話を持ってこないよう頼んでいたと知るのはそれからまた数ヶ月後、零様が長い時間を掛けて朔間家全員を説得し、私に結婚を申し出てくださる時なのである。

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