慕うカモミールティー・1

 橙に燃える太陽が静かに山の向こう側へと落ちていくのをぼんやり見ながら、なずなはもらった土産物を片手にぶら下げて帰路についていた。今日は縁談を取り持ってくれた家に返礼品を持っていったのに、何故か向こうがあれよあれよと色々なものをくれたので、結局空いたはずのなずなの片手は完全に埋まっている。

 潤う季節になった。南から吹く温かな風によって道の土は舞い、生え変わった草原の草は馬たちの良い糧となるだろう。羊たちもそう遠くへ行かずとも草を食めるようになるはずだ。

「なずな様……!」

 ふと、道の先の方で名前を呼ばれたので顔をそちらに向けると、ついこの間なずなと縁を結んだ娘がひらひらと手を振っていた。向こうも片手に何かを抱えている。なずなは足を早め、彼女へと近づいた。

「お帰りなさいませ」
「うん。おまえもどこか行ってたのか?」

 被(かつぎ)をかぶった妻はにこりと微笑んで、抱えたカゴを見せてきた。中には卵がぎっしりと詰まっている。

「お向かいの方が卵くださったんです」
「そっか。よかったな」

 はい。と笑う妻の被の奥、肩の辺りをなずなは無意識に見た。今日もらった土産物の中に、髪にもいいという香油があったはずだ。
 彼女にあげたら、喜んでくれるだろうか。


 私より可愛らしいので、妻として自信がなくなります。
 そう言われて縁談を断られる事があまりにも多くて、なずなは最近どんどん自信を無くしつつあった。ちらほらと周囲も自身も結婚を気にする歳になり、更にはなずなの友人でありこの辺の集落一体をまとめる朔間の家の長男が結婚したのも大きい。両親が意気揚々と縁談を探すようになったのだが、話が上手くまとまることはなかった。

 おれの何が悪いのだろう。可愛らしいというのは建前で、何か致命的な欠陥でもあるのだろうか。なずなは徐々にこう考えるようになっていた。村の少女たちには優しくしてきたし、華やいだ視線をもらう事をあった。実際問題、縁談自体は舞い込んできたのだが、それが固まることはなかったのである。

 これはまずい、となずなの両親が模索した結果、互いに一度も顔を合わせたことのない山の向こうの娘が選ばれて、彼女は一人馬に乗って嫁いできた。

 なぜ向こうの両親は現れないのだろう。そんな事をチラと考えつつも、結婚式の際に初めて顔を合わせた娘は目を伏せた大人しそうな印象で、とりあえず二人は夫婦になったのだ。

 ただその日の夜、なずなは笑顔より先に、彼女の泣き顔を見る羽目になる。

「ど、どうした……?おまえ、髪……」

 結婚衣装の時は艶やかな長い髪をしていたはずの娘は、衣装を脱いだ途端なずなくらい短い髪になっていた。娘は黙って、衣装と一緒に付け毛らしきものを持ち上げている。

 この地域一帯の女性の美しさの基準は髪にあった。黒く、量が多く、長い方が最も美しいとされ、女たちは生まれてから一度も髪を切る事がないはずである。
 なのに目の前の娘はざっくりと切られた髪と、何かを覚悟した瞳をしていて、そしてそのまま床に額を付けた。

「騙して申し訳ありませんでした」
「や、やめりょ!あたま、あげて!」

 混乱のあまり言葉を噛みながら、なずなは娘に頭を上げさせた。娘はやはり硬い表情をしていて、よく見れば手はガタガタと震えていた。

「こんな髪で嫁いできてしまい、謝れば済む話ではないことは理解しています。持参金は全て差し上げます。故郷には私は病で死んだとでもお伝えください。ですのでこのまま私を故郷には帰さず放逐してくださいませんか」
「な、何言ってるんら……」
「故郷の者…妹たちは、私が嫁いだと聞いて安心しています。どうかそのままでいさせてやってくださいませんか。どうか」

 娘はもう一度頭を下げた。とんでもない新婚初夜である。なずなは慌ててまた娘の頭を上げさせて、話を聞くことにした。こんなに髪の短い女性に会ったのは生まれて初めてだが、何か事情があるに違いないと思ったのだ。

「なぁ教えてくれ。何があったんだ?」

 大丈夫だから。と、娘の震える手にそっと触れる。温かい季節になりつつあるのに、あまりにも冷たい手だった。
 娘は一度なずなの目を見て、それからポツリポツリと話し始めた。

 2年前、娘の家で火事が起きた事。たまたま家を離れていた娘は被害から免れたものの、その時すぐ下の妹の髪がほとんど燃えてしまった事。ずっと片想いしていた幼馴染との結婚話が持ち上がっていたのに髪が燃えてしまった妹があまりにも不憫で、火災が起きた直後ではどうしても買う事が出来そうにない付け毛を自身の髪で作って妹にあげるべく、切って渡してしまった事。段々と涙声になる娘に、なずな自身もじわじわと目頭が熱くなっている事に気がついた。

「こんなにみっともない頭なのに、黙っていて本当に申し訳ありません。ですので……」
「おれさ、」

 必死に謝る娘の言葉を遮るように、なずなは言葉を重ねた。きょとんとした顔になった娘は、思っていたよりも丸い目をしている。

「この辺で本当は縁談を組もうかと思ってたのに、断られ続けたんだ」
「え……」

 驚いた顔をしている。勢いで、涙は止まったようだ。

「理由がさ、妻より顔が可愛いから自信を無くすから、だって。多分そんなの嘘で、おれは背も低いし細いし、頼りなく見えるんだろうな」

 断られる理由は恐らくそれだろうと踏んでいた。男は大きく逞しく働き者な方がよい。そう言われる土地である。

「確かに髪の短い女の子に会った事がなかったから驚いたけど、理由を聞いておれはおまえが来てくれてよかったって思った」
「そんな、」

 首をゆるゆると振る娘の手を、なずなは今度は強く握った。自分の体温を分け与えたい。そう思える相手だと、直感で確信出来たのだ。

「強くて優しい子に来てもらえて、おれは嬉しい。髪はまた伸びるし、伸びるまで、ううん、伸びても一緒にいればいいだけだしな!」

 なずなは手を伸ばし、娘の髪先に触れた。短いながらもきちんと手入れをしているのだろう。何より彼女の家族思いで意志の強い所が気に入った。
 すると娘はまたポロポロと泣き出して、「ここにいていいのですか」と言う。なずなは大きく頷いて、胸を叩いた。

「もちろんだ!もし何か近所のやつら何を言われても安心しろ。おれがちゃんと言ってやる。おれの妻に用があるならおれに言えって、絶対に言ってやるから」
 娘がなずなの手を握り返した。なずなの体温を吸い、ほんの少し温まった手。
 心地いいな、となずなは思った。
 こうして夫婦の生活は、柔らかく始まったのだ。


「なずな様。なずな様は卵はどう食べるのがお好きですか?」

 夕暮れの道を、妻と手を繋いで歩く。たまたま互いの手が片方ずつ空いていて、たまたま手がぶつかったのでそのまま指を絡めたら、妻は嬉しそうに笑った。憂いが晴れたからか元々の性格なのか、妻はよく笑う方でなずなもついつられて笑ってしまう。
 こうしてみると彼女の快活さをその短い髪がよく表しているような気がして、悪くないかも。などと思ったりもするのだ。

「そうだな〜。おれはスープに入ってるのが好きだな。あと羊と一緒に煮るのもうまいよな」
「羊と煮込むの美味しそうですね。お義母様にこちらの味付けを教わろうかな」
「おまえのいた土地の味付けでもいいぞ。ちょっと興味あるし」

 温かくて、細くしなやかな妻の指は、なずなの男にしては少し小さめの手によく馴染んだ。こうして手を繋ぐのが実は大好きだが、恥ずかしくてまだ言い出せたことはない。

「私の故郷は香辛料で結構強めの味を付けるから、なずな様のお口に合うかな」
「へ〜!でもうまそう。今度やってくれよ」
「はい!」

 包みを持った手の中で、香油の入った瓶が何か別のものに当たってカツンと音を立てた。彼女がまた腰まで届く髪を手に入れるのはずっと先だけれど、その姿を見れるまで、否、その先も共にあればいいと、なずなは思う。
 今度市場で少し良い櫛も買ってあげよう。焦らなくていい。ゆっくり伸びる髪のように、長く彼女の隣にいたいとそう願う暮れ時なのである。

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