円卓とアクアリウム
ひーひーと笑いすぎて呼吸困難になりかけている瀬名泉と、彼の目の前で珍しく気まずそうに俯いている月永レオを前に、朔間凛月は気に入りの紅茶を一口飲んだ。紅茶が美味しいと最近教えてもらったこの店は、夜はバルになるからか個室も完備されており居心地が良い。芸能人である自分たちが外で羽を伸ばす場所というのは限られてくるから、このカフェはちょうど凛月の縄張りに加えたいと思っている所だ。
久しぶりにアルバムを出すことになったKightsの作曲はもちろん全てレオが担当する。他の仕事や学校での活動が残っている嵐や司を見送ってから、打ち合わせの帰りに寄ったカフェで瀬名が何気なくレオに聞いた彼女についての話が、瀬名を呼吸困難たらしめた原因である。
「もう、ちょっと、笑わすのやめてくれるれおくん…!!」
「うるさいっ!セナを笑わせようと思って話したんじゃないぞ!!」
そう言ってまた俯いてしまったレオを、凛月は目を細めて見つめた。
「まぁまぁセッちゃん。月ぴ〜と彼女が順調そうでよかったじゃん」
そう言うと瀬名は笑うのをゆっくりと止め、目線を少しはずす。
「…まぁね。れおくんみたいな変人とそこまで真剣に付き合ってくれる女の子なんてレア中のレアだから。れおくん、絶対手放しちゃダメだからねぇ」
でも、と言葉を繋げてまた吹き出している瀬名を横目に、凛月は口を開く。
「でも月ぴ〜の恋バナを聞くことになるなんて思わなかったよねぇ。まさか彼女と長い間えっちな事してなかったせいでムラムラしてたのを浮気していると勘違いされるなんて…セッちゃんが笑い転げるのも仕方ないよねぇ」
「う〜っ、だから言うの嫌だったんだ!でも誰かに聞いてもらって懺悔して終わりたい!こんな話子どもたちには出来ないからおまえたちに話すしかないんだ我慢してっ!」
「子ども達って…ス〜ちゃんはともかくナッちゃんなんて耳年増だし一番こういう話に適してるのに…」
きっとKnightsのウブな末っ子がこんな話を聞いたら真っ赤になってしどろもどろになってしまうだろう。それは可哀想だと凛月は紅茶を一口、口に含む。
「もういいこの話は終わり!もう解決済だし胸の内に秘めといてっ!あとおまえらに彼女がいる場合は気をつけて!」
「もしいたとしても俺もくまくんもそんなヘマしないと思うけどねぇ」
ようやく笑いのツボが収まったであろう泉がテーブルに頬杖をついた。何だかんだ、レオのよちよち歩きな恋愛を一番応援しているのが彼なのである。
「で、それ以降は順調なの?」
あ、まだこの話からは逸れないんだ…と、凛月はこっそり泉を見た。思えばこんな風にこんな話題を話すのも珍しいのだからたまにはいいだろう。と、凛月も乗っかることに決める。
「ていうか月ぴ〜の彼女ってどんな子なのか知りたい。写真とかないの?」
「えっ」
まさかレオもこの話題を継続させると思わなかったのだろう。ぎくっとしたように肩を揺らす。
「月ぴ〜のめちゃくちゃなワガママに振り回されてくれる女の子って興味湧くよねぇ。写真あるなら見せて」
そう言って凛月はレオのスマホに手を伸ばした。横にあるボタンをカチリと押してロックを外す画面を付けようとしたけれど、画面は落ちたままである。
「ねぇ、これ電源切れてるけど大丈夫〜?」
「ん〜?大丈夫だろ。仕事用のスマホはちゃんと電源入って………ああああああ!!!」
「うるさっ!」
真横にいた泉はレオの大声に顔を背ける。が、レオはお構い無しで慌ててスマホの電源を入れようとしている。焦りのせいで長押しが上手く出来なくて、向かいに座る凛月に放るようにスマホを渡した。
「リッツ!リッツこれ電源入れてっ!!」
「なに?急にどうしたの〜?」
仕方なしに電源ボタンを代わりに長押ししてあげれば、それにも焦れたのかレオは仕事用のスマホを手に持ち、普段の彼からは考えられないくらいのスピードでフリック入力をするとそのまま耳にスマホを持っていった。どうやらどこかに電話しているらしい。
数度目かのコールの後に、やけに大きい女性の声で『はーい』という声がした。なんて事はない。女の声が大きいのではなく、恐らくレオのスマホがスピーカーモードになっているのだ。
「なまえ!ごめんほんっとごめん!!」
レオの焦るような声、謝罪の言葉。泉と凛月はそこで全てを察したのだ。
「うわ、最悪」
苦々しい顔で、凛月が呟いた。それもそのはず。恐らくレオは彼女との約束をすっかり忘れていたのだ。
『いいよ別にカフェ入ってるし。仕事長引いたの?今日は私帰ろうか?』
「う、いや、ちが、」
パニックになっているせいで言葉が出てこないレオにため息を吐いた泉が、レオの手からそっとスマホを取ると、代わりに話し出した。
「はじめまして。れおくんの彼女。ごめんねぇ長い時間待ちぼうけ食らわせて」
未だスピーカーモードのまま、彼女の混乱するような声が全員に届いた。それに気付いた泉がスピーカーモードを解除すると、レオが「セナ返して返して」と手をバタバタさせた。
「今どこにいるの?何駅?…なんだ、近いじゃん。これかられおくんのスマホから店のURL送るからさぁ、そこにおいで。今日のお詫びに奢ってあげる。…え?俺?瀬名って言えばわかる?…そうそうその瀬名さん。いいのいいの仕事の話してないし。あんたとの約束忘れてたこのポンコツが全部悪いんだから。…うん。迎えに行けなくてごめんね。うん、うん。わかった伝えとく。じゃあ後で」
そう言って、レオに断りなしで泉は電話を切った。
「あっ!セナ!!なんで切ったんだよ!!」
「彼女べつに怒ってないって。これからこっち来てくれるってよ」
「えっ、ほんとか?!」
瀬名の言葉にようやく混乱から抜け出したレオが、パッと顔を上げた。
「だからこの店の地図を彼女に送ってあげて」
「はいこれ。電源いれといてあげたから」
凛月がそっとレオの私用のスマホを差し出す。レオが頼んだ通り、先ほど慌てたレオが入れられなかった電源をいれてあげたのだ。
「あっありがとうリッツ」
「まぁいいけど…」
ふぅ、と凛月は一つため息を吐いた。レオのスマホの電源を入れてもロックは凛月では解けないが、ロック画面にメッセージの通知画面が出ていて彼女からのメッセージが見えてしまっていたのだ。
『着いたよ。仕事大丈夫そう?』
という連絡が約二時間前。
『カフェ入っちゃうね。』
という連絡がそれから20分後。
『あと一時間待ってみて、連絡なかったら今日は帰るね。連絡は出来る時でいいから』
という連絡が、だいたい今から一時間くらい前。
つまり彼女はたっぷり二時間、連絡のないレオを待った上に約束をすっかり忘れてた男に怒りもせずここへ来てくれるということだ。
彼女がどういった人物なのかはまだ彼女に会ったこともない凛月が知る由もないが、ちょっと寛容すぎるのではないか。と凛月はあくび混じりで考えた。あちこちに甘えて毎日を過ごす自分のことは、この際棚に上げる。否、自分は甘えた分だけ相手に甘えさせる事も忘れないから、レオとは違う。
「ねぇ月ぴ〜、彼女いくつって言ってたっけ?」
「同い年でしょ。大学生なんだよねぇ」
「なんでセッちゃんが答えてくんの…」
当のレオは真剣な顔をしてスマホをいじっていた。恐らく延々と彼女に謝罪のメッセージを送っているのだろう。もうすぐ来てくれるというのだから大人しく待てばいいのに。と、凛月は紅茶を一口飲む。
「あ〜おれのばか…」
ようやく気の済む言葉を彼女に送り終えたのか、スマホをテーブルに置いたレオがそのまま突っ伏した。
「よくフラれないね」
ちょっと苛めてやれ。と、凛月は口を開く。
「うっ、」
「約束すっぽかすの、今日が始めてじゃないんでしょ?彼女の反応がどう見ても忘れられる事に慣れちゃってるもんねぇ」
「うぅ、」
「一応言っておくけど普通の女の子は二時間も連絡なしで待たされたら激怒だろうし、なんならその場でバイバイって言ってくる子もいると思うんだよねぇ」
「ううう、」
段々と沈んでいくレオとは逆に、ふふふと凛月は楽しげに目を細める。途中瀬名が「くまくん」と小さくだが凛月を諫めるように名前を呼んだが、二時間という凛月の言葉を聞いて口を挟むのをやめたようだ。呆れた、というようにコーヒーをすすっている。
「嫌われたら、どうしよう…」
「え?」
「おれ、なまえに嫌われたら生きてけない…」
小さくレオがつぶやいた言葉に、凛月も瀬名も少しだけ驚いた。
彼は昔から、褒め言葉の一環として「愛してるよ」と言う。素晴らしいと思った物にはまっすぐ賛美を贈ったりと自分が人を愛している事を伝えるのが主で、それを相手に求めたりはあまりしないのだ。愛されたいという願望も、そこまで強くないように思う。
けれど今目の前のレオは彼女に嫌われる不安を口にした。愛することには執着するくせに、愛されることにはあまり固執しなかったレオの変化を、目の前の、長くレオをみてきている二人が見逃すはずもないのである。
少しずつだが、高校の頃に失くしたものを取り戻し始めているのかもしれない。
そう思うと、やはり彼女にレオが嫌われる事はなんとしても防ぎたかった。防ぎたくなったのだ。
「…大丈夫でしょ。全然怒ってなかったし。今更そのくらいでれおくんのこと嫌いになったりしないよ」
「そうそう。ちゃんと埋め合わせしなよ。月ぴ〜印税でお金持ちなんだし、欲しいものプレゼントしてあげたりすれば?」
そんな事を話している内に、店員の後に付いて一人の女の子が顔を出した。突出した美人ではないが、清潔感のある見た目をしている。
「こんばんは〜…」
「あっ!なまえ!!」
レオが反射的に席を立つが、彼女自身がそれを制した。
「あ〜レオくんいいからいいから。すみませんお二人ともはじめまして」
「はじめまして〜」
「どうも」
凛月と瀬名に挨拶をすると、空いている席に何事もなかったように座る。店員が持ってきたメニューを受け取って、パラパラと見始めた。
「あの…なまえ?」
「皆さん何か頼みますか?」
「あ、俺紅茶のお替わり頼もう。ここは紅茶が美味しいよ。ケーキもそこそこ」
そこに凛月が、自然に会話に参加し始める。各々で注文を終えると、彼女が改めて、と席に着いたまま小さく頭を下げた。
「すみません急遽呼んで頂いて…なまえといいます」
「いや悪いのはこのポンコツだから。ごめんね女の子を長い時間待たせたみたいで」
「ごめん…」
本気で反省しているらしいレオをちらりと見たなまえが、小さく笑って手をひらひらと振った。
「いやいや気が付いただけマシかなって感じですし…反省してるっぽいしいいですよ」
「え〜、怒ってないの?」
凛月がわざと煽るように言った。
「まぁ、よくある事ですから」
「えっそうなの?」
「はい」
彼女はそう言うと何事も無かったかのように店員が運んできた紅茶とサンドイッチを食べ始めた。食後には凛月が勧めたケーキも来る予定である。
怒りを我慢しているようにも見えない。ただただ自然に、レオの謝罪を受け入れてくれたようだ。
「ねぇ、本当に怒らないの?二時間も待ったんでしょう?」
瀬名が信じられない、と言うようになまえを見るが肝心のなまえはごく自然にサンドイッチを咀嚼する。美味しいと笑う様を見る限り、機嫌はマイナスどころか上り調子のようだ。
「まぁ怒るときは怒りますけど…本人反省しているしいいかって」
「月ぴ〜も十分変だけどさぁ。あんたも大分変人だねぇ」
お似合いなんじゃない?と凛月がやや皮肉めいた風に言えば、なぜか彼女が照れた。
やはり少しだけ、変わった女の子のようである。
「なんか俺たち見ても反応薄いしねぇ」
瀬名がわざとため息混じりに言う。揶揄いというよりも彼の芸能人としてのプライドが少し引っ掻かれたようだ。
「あ、すみませんアイドルのお二人に会えたのはすごくすごく嬉しいですよ。でも同じ大学に元アイドルの子がいるんですが騒がれるのイヤだって言ってたんで…」
「誰ぇ?夢ノ咲の人?」
「…ナズ」
なまえの代わりに、レオがやや恨めしそうに答えた。
「あ〜なずにゃんか。じゃあ仕方ない」
「ナズは妖精だしな」
「仁兎くん、大学では結構普通の男の子ですよ。それよりなずにゃんて呼び方かわいいですね」
やっぱ変な子。と、凛月は三人の会話を静かに聞きながら口元をほんの少し緩め、温かい紅茶を一口すすったのである。
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