「おうレノ!今からみんなでトランプすんだけどよお前もどうだ!」
「伊春くん。そうですね…まぁ、時間もあるし…」
「こいつまた名字さんのとこ行くつもりなんじゃねーの?」
「懲りねぇなぁお前も」
「別に迷惑かけてないですし、俺も勉強になるんですよ」
「よいしょっ…あ、みんなお疲れ様」
「名字さん!どこか行くんですか?」
「うん、ちょっと買い出しに」
「ごめん伊春くん!また今度!」
「ちょ、!おいレノ!」
「市川くん、みんなは大丈夫なの?」
「はい、特に大した事ではないので」
「そっか、」
医療室の扉が軽くノックされた。
「失礼します。」
聞き慣れた落ち着いた声に、机へ向かっていた李灯が顔を上げる。
「あ、市川くん。」
レノはいつものように姿勢よく一礼した。
「今日は肩の可動域を見てもらえればと。」
「うん、もちろん。」
カルテを開こうとした、その時だった。
「班長ー!」
医療班の隊員が慌ただしく部屋へ飛び込んでくる。
「備品の包帯と消毒液、在庫切れそうです!」
「あっ。」
李灯は棚を見上げ、小さく困ったように笑った。
「ほんとだ……今日補充に行かないと。」
「今からですか?」
「うん。」
時計を見る。
訓練も終わり、今日はこのあと急ぎの予定もない。
「今のうちに買ってこようかな。」
そこへ。
「ほな市川。」
医療室の入口にもたれかかる保科が、にやりと笑った。
「暇やろ。」
「え?」
「荷物持ち、行ってき。」
「……俺ですか。」
「他に誰がおんねん。」
保科は面白そうに肩をすくめる。
「班長一人じゃ大変やろ。」
「いや、でも……。」
李灯は慌てて首を振る。
「そんな、市川くんは訓練終わったばっかりなのに。」
「俺は大丈夫です。」
レノは即答だった。
「筋トレになります。」
「……筋トレ?」
「荷物持ちです。」
真剣そのもの。
李灯は思わず吹き出してしまう。
「ふふっ。」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。」
「はい。」
その返事だけで、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
保科はそんな二人の背中を見送りながら、小さく笑った。
「筋トレて。」
便利な言葉覚えたな。
ショッピングモール
夕方のショッピングモールは、仕事帰りの人たちで賑わっていた。
「まずは医療用品だね。」
「はい。」
李灯は買い物メモを片手に歩いていく。
棚の前でしゃがみ込み、包帯の種類を見比べる。
「あっ。」
「?」
「こっち特売になってる。」
少しだけ嬉しそうな声。
レノは思わずその横顔を見つめた。
(……。)
いつもの白衣姿とは違う。
今日は淡いベージュのブラウスに、紺色のロングスカート。
髪もゆるくまとめていて。
防衛隊の医療班班長というより、街を歩く普通の女性だった。
(……こういう顔もするんだ。)
自然と口元が緩む。
「市川くん?」
「……っ。」
慌てて視線を逸らした。
「いえ。」
「そう?」
不思議そうに首を傾げる李灯。
その仕草まで、なんだか新鮮だった。
「よし、全部買えたかな」
「俺持ちます」
「え、いいよこれは軽いから」
「大丈夫です。筋トレなんで」
「いいのいいの、あ、ねぇちょっと小腹空かない?あれ食べようよ」
「え、ちょ名字さん」
ショッピングモールを出ようとした時。
「あ。」
李灯が立ち止まった。
「どうしました。」
「あれ。」
視線の先には、小さなジェラート屋さん。
色とりどりのジェラートが並んでいる。
「ちょっと小腹空かない?」
「え。」
「付き合ってくれたお礼。」
「奢らせて?」
「いや。」
レノは首を横に振る。
「そんな。」
「だめ。」
李灯は少しだけいたずらっぽく笑った。
「今日は班長命令。」
「……。」
レノは数秒考えて。
小さく頷く。
「……じゃあ。」
「市川くん何食べたい?」
「いや、俺は…」
「ちょっとだけ寄り道しても大丈夫だよ。買い物付き合ってくれたお礼に奢るから」
「じゃぁ…ビターチョコで」
「はい!あそこに座って食べよう」
夕方の風が、優しく吹き抜ける。
しばらくは、お互い黙ったままジェラートを食べていた。
沈黙なのに。
不思議と気まずくない
「美味しいね」
荷物を置いてジェラートを食べる彼女。
満足そうに笑うその姿にレノも素直に可愛いと微笑む。
短い返事。
でも。
その声はどこか柔らかかった。
李灯はほっとしたように笑う。
「よかった。」
また沈黙。
レノはジェラートを一口食べてから、隣を見る。
夕日に照らされた横顔。
ふわりと揺れる髪。
穏やかな笑顔。
(……綺麗だ。)
思った瞬間。
(何考えてるんだ。)
慌てて視線を戻す。
胸の鼓動が少しだけ速い。
「市川くん…美味しくない?」
「え?」
「なんか思い詰める顔してたから…」
「いや…その、」
「ん?」
レノがぽつりと口を開いた。
「ん?」
「一つ。」
「お願いがあるんです。」
李灯はスプーンを止める。
「お願い?」
レノは少しだけ俯いた。
「……その。」
言葉を探すように息を吐く。
「…市川って呼ぶんじゃなくて」
「……」
「名前で呼んでほしい、です」
「……え?」
「いや、なんか俺だけ苗字っていうか」
「亜白隊長も保科副隊長も苗字だよ?」
「……いや、いつの間にか伊春くんだって名前で呼んでたし、四ノ宮も……」
「……」
「……」
時間が止まった。
「……え?」
李灯は目を丸くする。
思ってもいなかったお願いだった。
「だ、だめですか。」
少しだけ不安そうな声。
その表情を見た瞬間。
李灯は慌てて首を振った。
「ち、違うの!」
「だめじゃなくて……!」
「急だったからびっくりして。」
胸がどきどきする。
名前で。
呼ぶ。
ただそれだけなのに。
こんなにも意識してしまうなんて。
「……。」
一度深呼吸をして。
少しだけ照れたように笑った。
「……れ、レノ、くん」
その瞬間。
レノの動きが止まる。
耳が、ゆっくり赤く染まっていく。
「……うす」
「……」
たった二文字返すだけで精一杯だった。
その反応が可愛くて。
李灯は思わず笑ってしまう。
「……俺も名前で呼んでいいですか」
「……へ、あ、うん」
「……名前さん」
名前。
初めて呼ばれた。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
嬉しい。
こんなにも。
誰かに名前を呼ばれるだけで嬉しいなんて。
知らなかった。
「……うん」
みるみる顔が赤くなる。
嬉しい、こんなに名前を呼ばれることが嬉しいなんて。
その優しい声が耳に届いた瞬間。
胸の奥へ、大切にしまっていた想いがまた静かに溢れそうになる。
(だめ。)
(嬉しい。)
(こんなの。)
(もっと好きになっちゃう。)
夕焼けに染まるベンチで。
二人はまだ気づいていない。
一人は「もっと近づきたい」という想いを恋とは知らず。
もう一人は「好き」という気持ちを必死に胸の奥へ押し込めながら。
それでも、互いの名前を呼び合えたことが、何よりも嬉しかった。
「……レノくん、今日はありがとう」
「いえ、こちらこそです」
「あの、次の休日って、空いてますか」
「え?うん」
「良かったら出かけたいんですけど、2人で」
「……え、うん、いいよ」
「じゃ、また連絡します」