→OfficeLove。


※満員電車の続き。




お疲れ様でした。そう言ってそれぞれが定時で上がっていく。独歩は今日もその波に乗れずパソコンと向き合うしかなかった。名字さんも今日ひま?誰かが彼女の名前を口にした。瞬間、自分の手が止まり無意識に耳を澄ました。名字さん、以前、同じ通勤の電車内で痴漢から助けた女性。それからというもの、何故か彼女の姿を気付けば意識していた。いつも気にすることなんてなかったのにお茶を出してくれる時も、書類を渡す時も、昨日とは違うワイシャツだなとか、少し髪切ったなとか。あれ、俺ってきもい。
今日の18時に駅前の居酒屋な!
あぁ、名字さんも飲みに行くのか。そりゃそうだよな。俺なんかただの同じ会社の上司ってだけで、今時の若い同僚たちと飲みに行った方が楽しいはず。いつも俺にお茶を出してくれる笑顔もみんなと同じように接してるだけ。
でも、でも、…その隠れるように、少し目線をくれるのは、淡い期待なんだろうか。チラリと、目が合ったと感じて、彼女はぺこりと恥ずかしがるように頬を染めて微笑むのは、俺の勝手な思い込みなのだろうか。やっぱり俺ってきもい。

「あー、…くそ」

ガシガシと頭をかいて目が虚ろする。微かに耳に残った彼女の声を背に意識が飛んでいった。



*

日も落ちた夜。会社のオフィスから漏れる光に気がついた。もはや自分だけかと思っていたから誰がいるんだろうと中を覗く。
いつも見慣れたデスクに突っ伏す頭が見えた。書類がたくさん散らばる上に乗っかったふわふわの赤い頭。規則正しい寝息を肩で上下しながら瞳をとじていた。

「観音坂さん…?」

もう会社も閉めるというのに、声をかけても起きる気配はない。こんな時間まで、いつも残業してたのかな…。目の下にある濃い隈をみて疲れてるのだろうとは思っていたけれど、1人でこんなに頑張って、本当に心配になる。
あどけない寝顔が、以前、電車で助けられた時とは別人のように違って、観音坂さん、可愛いな、なんて場違いなことを思ってしまった。髪の毛もふわふわだし。長い前髪、彼の綺麗な瞳を隠してしまってもったいない。

「…前髪、ふわふわ」

もう知っている。彼の綺麗な瞳を。カッコイイ観音坂さんを。そっと手を伸ばして長い前髪に触れる。
ぱち、と観音坂さんが目を開いた。鼻と鼻がくっつきそうなほど近い彼の顔は端正な、白い、肌と、碧い瞳。

「…え、」
「ご、ごごごめんなさい…!!!」
「…い、や、あの…」

驚いたように目を見開いた。時が止まったかのようだった。慌てて手を離して距離をとる。顔に熱が集まるのを感じて必死に背を向けた。

「…名字、さん…?」
「す、すすみません…!忘れてください!…観音坂さん、寝てると、思って、呼んでも、起きなくて、その…」
「…いや、すみません…」
「な、なんで観音坂さんが謝るんですか…」
「え、いや、なんとなく…」


少し沈黙が訪れた。気まずそうに目を逸らす観音坂さんが口を開いた。

「どうして、名字さんが…」
「え?」
「いや、飲みに行くのかなって、思ってたから…」
「あ、それは、…お断りしました」
「え?」
「その…あまりそういうの得意じゃないですし…仕事も終わってなかったので」

そういうと観音坂さんは、そうだったんですか、と小さく呟いた。

「観音坂さん、今から会社閉めるんですけど、仕事終わりました?」
「え、…あ、やべぇ…寝てた…」

もうそんな時間だったのか、と項垂れる観音坂さんに、手伝いましょうかと声をかけると驚いた後にいやいやいやと全力で手と首を左右に振った。でも、このままではきっと彼は帰ることなんてできないだろう。押しを強くして言うと、渋々彼は折れてくれた。意外と頑固だなって分かった。
二人でやれば数分で終わった。観音坂さん、寝てた分、死ぬ気でパソコンに打ち込んでいた。彼の集中力は凄い。その後は抜け殻のようになっていたけれど。
会社を出て、駅まで歩く。

「その…本当にありがとうございました」
「いいですって。観音坂さん、頑張りすぎですよ」
「え?」
「優しすぎです。みんなに仕事押し付けられて…もう少し、その…頼ってください」
「名字さん…」
「私じゃ…頼りないかも、しれないですけど…」

夜の暗闇、街灯の光が彼女を照らした時に見えた赤い耳にドキリと心臓が跳ねた。こんな俺なんかに。優しすぎるのは彼女の方だ。照れている彼女にこんなにも愛おしさを感じるのは何故だろうか。あぁ、神様今日は残業してよかった。ありがとう。彼女のおかげで仕事も早く終わり、電車にも間に合った。ぺこりと頭を下げて先に最寄り駅に降りた彼女。隣にいた温もりが夜風に冷えて消えてしまうのが心なしか寂しく思えた。


「…あ、観音坂さん」
「…え?」
「…あ、…えと、…」


目線を逸らしながら、何か言いたげに口篭る彼女。また頬を染めながら俯く。あ、もう。耳まで真っ赤で。くそ、可愛いな。やめてくれよ。俺もクズみたいな男だから。勝手に勘違いしてしまうから。

「…えと、…ま、また、明日」
「…え、…あぁ、また明日」


この言葉が嬉しくて嬉しくて。明日も会えるんだ。って。眩しい笑顔を最後に彼女は電車を降りた。今までくそみたいな明日がこんなにも楽しみになるなんて。不思議だった。今日は心なしか安心して眠れそうだ。



HOMEtop prevnext
ALICE+