あの女がもし生きていたら、厄介なことになるだろう。ユラは、あの女に顔を見られているし、何よりボーと話すところも見られている。つまりあの女が生きていたら、トムにユラがシンクレア兄弟の仲間であるとすぐに伝えることだろう。その時点でトムはユラに襲い掛かってくるかもしれないというわけだ。だからこそ、夜までにケリをつけたかった。だが、こうなってしまったからには仕方がない。あとは運任せということだ。
「大丈夫かい、ユラ。顔色が良くないよ」
「平気よ。暗いからそう見えるだけだわ」
ふたりは物陰に隠れながら、ガソリンスタンドの方へ歩いて行った。
何か妙だ。あの女の声がまったく聞こえてこない。それだけじゃない、やけに静かだ。それは、トムも気づいているらしく、歩みを止めた。
「罠かもしれない」
「そうね、静かだわ」
その時、鈍い音がしてトムが倒れた。振り返ると、そこにはバットを持ったボーが立っていた。
「このクソ野郎が!」
そう言ってボーはトムの腹部をどんと蹴る。気絶しているらしいトムはピクリともしない。ボーはトムを背負うとガソリンスタンドの方ではなく、シンクレア家の方へと向かった。ユラはその後を慌てて追った。
「ガソリンスタンドの女はどうしたの?」
「何だ? あの女と友達にでもなりたかったのか? あの女はとっくに蝋人形になってるぜ。おまえらが家の中でいちゃついてる間にな」
あの時トムが見た人影はボーだったらしい。
「いちゃついていたわけじゃないわ。私は隙を見て……」
「どうだかな。今だってこうやってついてくるのは、俺にこの男を殺されたくないからだろう?」
「違うわ! 手柄を横取りされたくないだけよ!!」
ボーは乱暴にシンクレア家の扉を開けた。言い合っているうちにいつの間にか家まで来ていたようだ。家の中に居たヴィンセントとレスターが気まずそうにこちらを見てくる。
「手柄だと!? ……お前らなに見てやがる! 運ぶのを手伝え!!」
レスターは「おお怖え」などと言いながらトムを運ぶのを手伝う。ヴィンセントはユラの方へやってきて、「大丈夫?」と聞いた。
「大丈夫よ。でも、ボーが私の手柄を横取りしたの」
恨めしそうにボーを睨みつける。
「さっきから手柄手柄ってうるせえけどな、こいつを殴ったのは俺だ。おまえはこいつといちゃついていただけだろうが」
「でも先にトムを見つけたのは私よ!」
「“トム”? はっ……すっかりお友達じゃねえか! こいつは生きたまま蝋人形にしてやる。おい、ヴィンセント! 早く用意しろ」
ヴィンセントは「わかった」と言い、慌てて地下のほうへ走っていった。その後をボーとレスターも続く。ユラは少し迷ったが、彼らの後を追うことにした。
ヴィンセントは慣れた手つきでトムになにか薬品を打った。作業台にトムを乗せ、丁寧に毛をテープで取り除いていく。
ボーが突然トムの頬を叩いた。トムは目を覚ましたようだったが、ぼんやりとしている。
「おい、クソ野郎。今からてめえを蝋人形にしてやる。お友達の横に並べて飾ってやるから喜べよ」
「あ……ユラ、は?」
トムは自分の心配より、ユラの心配をしている。それが気に入らなかったのか、ボーはトムの顔を殴りつけた。
「おまえが馴れ馴れしく“ユラ”なんて呼ぶんじゃねえよ」
「ぐ……っユラは……」
ボーがもう一発トムを殴ろうとしたとき、ユラがすばやくトムの首をナイフで切り付けた。
「トム、私は大丈夫よ」
「ユラ……きみ、は……」
こと切れたトムを置いて、ユラは地下を出た。その後を追ってボーも出て行った。
「ふたりとも勝手だよ……僕の仕事が増えた。レスター、掃除を手伝ってくれる?」
「もちろん」
「どうして殺したんだ? あいつが俺に痛めつけられるのを見ていられなかったからか?」
「いい加減にして! あなたが殺す前に殺しただけ。わかるでしょう?」
「わかんねえな。おまえはあいつと抱き合ってたじゃねえか」
そこも見ていたとは。ユラは唇をかんだ。
「抱き合ってたとしても別にいいでしょ。それが私のやり方なの」
「そんなやり方、もう二度とするな」
「……。私は、みんなの役に立てるんだって証明したかっただけ。昨晩、私だけ除け者だったのは、私が何の役にも立たないって思ってるからでしょう? だから……」
「莫迦か、おまえは。おまえの親が死んでから、しばらくまともに眠れてなかっただろ。それが最近になって眠れてるみたいだったから、起こさないほうがいいって思っただけだ。役に立つかどうかじゃねえ」
ユラの頬を温かな雫が流れていった。
「な、なんでそこで泣くんだよ」
「なんか……嬉しいの。ボーが、昔みたいに優しいから……」
ボーはぽんとユラの肩に手を置くと、そのまま抱き寄せた。
「俺だって、いつも優しくしたいと思ってるんだぜ」
「本当に? 嘘っぽい」
「嘘じゃねえって」
ユラが笑うと、ボーも笑った。
翌朝、蝋人形館でトムは楽しそうにピアノに凭れかかっていた。ピアノを弾いているのは、あのガソリンスタンドの地下に居た女だった。
「あのあと、兄さんと何があったの?」
「え? なんのこと?」
ヴィンセントはトムたちの配置を調整しながら、「昨日、帰ってきた兄さんは恐いくらい上機嫌だったよ」と言った。
「そうなの? なんでだろう。わからないわ。ただ話しただけよ」
抱きあったことは話さなくてもいいだろうとユラは考えた。ボーに抱きしめられたなんて思い返してみると恥ずかしい。
「本当にそれだけかなあ。だって、昨日兄さんすごく機嫌悪かったんだよ。ユラは知らないだろうけど」