見離されても/syp


愛されることはなんだろうか。愛って言葉の意味を調べたことがありますか。私は一度、その言葉の意味を調べたことがある。その言葉を調べてもピンとこなかった。自分には人を愛することができるのか。我儘に生きて自己満足をしなければ馬鹿みたいなことしかない私にそんなものはあるのか

「否、無い」

親の愛は全て兄弟に注がれた。私に注がれたものは従者としていや、愚痴の吐き捨てるためいや、ただのモノとして扱っているのだろうな。

ネグレクトや虐待は受けてないが家庭内差別は受けてることは正しいことである。その事実は誰も知らないし誰かに知らせる必要も無い。だって今はこうやって生きているし死ねば彼奴らも後悔するだろうな。なんて屑なことを考えて生きているからだ。

汚らしい感情感。

穢らしい心。

とある動画サイトで聴いたあの曲だけが私の心を満たしてくれる。とある日に観たアニメは私に何かを教えてくれた。だから、頑張って生きようなんて思ったのだろうか。

このアニメの最後はどうなるのか気になってそれ以来興味というものが沸いたのか死ぬなんて考えることは減った。

だけども劣等感は消えることは無い。

努力をしてテストの結果を見せれば兄弟と比べられて否定をされる。何が兄弟だ。自分は自分だ。誰が認めようが自分は自分なのだ。

そう思ってから毎日のように努力をした。それからテストは満点を連発する。

「よく頑張りましたね。毎回のように満点取るなんて偉いですね」

ショッピ先生と言われる先生だけは私のことを褒めてくれた。そして私のことを気にしてくれた。

「ありがとう」

なんて言えば彼は「次も頑張りましょう」なんて言ってくれる。その言葉にきっと救われていたのかもしれない。

だから、毎日のように努力をした。だけども自分の親から認められるようなことは1度もなかった。

小学生の最上学年になれば先生も変わるがショッピ先生は三年間も同じ先生でありもう慣れていた頃だ。先生に引き止められて放課後話すことにした。

「最近はどうですか」

「いつもとおりですよ」

「それならよかったんですけど。周りと比べて成績もいいですし中高一貫校に受かると思いますよ」

「それなら良かった。」

なんて会話をしている。私ら中高一貫校の中学受験をする予定なのだ。元々、兄弟が私立に行ったから自分も行かなければ親に見離されると思ったが兄弟のことになると父親は金の話をしているの聞いて私は私立はじゃなくて公立を受けることにした

「中高一貫校を受かったら何をしたいですか」

「楽しい学校生活」

「友達と離れるのは嫌じゃないんですか」

親友と離れるのは嫌だし仲良かった友達と離れるのは嫌だったけども親から見離されればきっと心は穴が空いたまんま、埋まらないだろう。

「いやだけど。受けるって決めたから頑張らないと」

なんて誤魔化すけど先生は見透かしているのか私の目を見て

「そうですか。君が決めたことならいいんだけど。俺は心配ですよ。」

そう言ってくるショッピ先生

「しんぱいしないで。私ならちがう学校に行っても頑張れるから」

なんて言ってランドルを背負って教室を出ていく。


試験当日、私はその言葉は呪いのように心に残りすぎて不合格になってしまったが自分に後悔などない。自分の努力不足。いや、違う。見離されてもいい友達と楽しい生活が送りたいから

「ありがとう。ショッピ先生」









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