偏狭サナトリウム

「…寝たか」

「酒入るとすぐ寝るんだよ、依は」

炬燵に入ったまま、スヤスヤと寝息を立てる依を、赤井と諸伏は見下ろした。自分達がお酒を飲んでいる間に、鍋や使った食器を片付けたのだろう。綺麗に洗われたものが洗い物カゴに被せてある。炬燵の上には酒瓶とグラス、いくつかのつまみが乗せられているばかりだ。依が起きないことを見計らい、再び赤井が口を開く。

「そういえばあの件では世話になったな」

「持ちつ持たれつ、だろ。俺は依からもらったメールの情報をお前に流しただけだ」

「それでも十分だ。組織に金が流れなかっただけでなく、ジンを出し抜けたことは大きい」

依からメールを受信した場合、エラーメールとして彼女には返信が行くようになっているが、実はきちんと手元に届いていることがほとんどである。これは依に矛先が向けられた場合、彼女を巻き込まないようにするため。というのは建前で、彼女の喫茶店にはそれなりの情報が集まっておりそこを利用したいというのが本音だ。それに完全に連絡手段を切ってしまえば情報が入らなくなる上、何かあったときに迅速に保護できない。そんなエゴのもとに生まれた苦肉の策だった。今回の日本のとある銀行で発生した10億円強奪事件についても、依から送られた情報をもとにFBIと諸伏で先手を打っておいたのだ。人一人を救えたことは大きく、またジンへの足掛かりを残すことができたのも事実。今回は依のメールによる功績が大きい。その一方で依についてもまだ分からに事があるため、完全に信用しきれているわけではない。

「お前のことだから調べているとは思うが…彼女は信頼できそうか?」

「赤井と同じで情が厚いから恐らく問題はなさそうだ。一応戸籍も確認したが普通だったよ。ただ、高校を中退してから大学に入るまでが空白。どこで何してたかさっぱり掴めない」

依はどこにでもある一般家庭に生まれ育っている。確認が取れない空白期間は丁度、彼女の両親に不幸があった時期であることは判明しているものの、詳細は分からない。丁度海外にある提携会社と共同研究を行なっていた最中、命を落としたらしい。有名企業ではなかった上、巻き込まれた日本人は依の両親の二人きりだったこともあり、あまり日本では報道されなかったようだ。依は両親の訃報を聞き、直ぐに高校へ休学届を出すと現地に向かった。それから1年半ほど向こうで過ごし、日本に帰って来た。勿論、海外に渡ってからの彼女の足取りは掴めていない。

「その提携会社は?」

「トルコの会社だが今は何も残ってなかったよ。何かの圧力で揉み消された線が有効だな」

一応現地まで行って調べたがやはり何も出なかった。当時の新聞も文献も、提携会社の名前さえ。生き残った社員にも接触を試みたが、その内の何人かは会社倒産後に事故死や病死しており、たとえ会えても皆辛い過去を思い出したくないのか口を割ることはなかった。偶然といえばそうかもしれないが、証拠隠滅を図る組織のやり方に似ている部分はあるが、どちらかといえば国がらみと見たほうが妥当だろう。

「奴らの拠点だったという可能性は?」

「どうだろうな…可能性はないとは言い切れないが、どちらかといえば国だろうな」

「そうか。依に聞くのが一番いいが、話してはくれないだろう」

相変わらず安らかな顔で眠る依には、彼らの会話は聞こえていない。ここで寝ては風邪を引くだろうと、諸伏は彼女の肩を優しく揺すった。その間に赤井がテーブルの上を片付ける。

「依、ここで寝るな。部屋で寝ろ」

「んー…」

ころん、と寝返りを打ったものの起きそうにない。何度か揺すってみたが、当然効果はなかった。無理やり起こそうとしないのは諸伏の優しさである。埒があかないやりとりを見ていた赤井は、炬燵をずらし、彼女の体を抱き上げた。

「部屋まで運ぼう」

「依、部屋に入ると怒るんだよなぁ…」

「風邪を引かれるよりはマシだろう。どこに運べばいい」

こっちだ、と案内する諸伏の後ろを赤井が付いていく。廊下を挟んでバスルームの真正面の部屋が、彼女のプライベート空間らしい。可愛らしいネームプレートが掛けられているが、だいぶ年季が入っている。恐らく、依が小さい頃から使用していたものだろう。扉をあけて中に入ると、リビングの可愛らしい雰囲気とは一転して、殺風景であった。パソコンと机、ベッドにしか置かれていない。セミダブルのベッドに彼女を下ろすと布団を掛けてやり、寝苦しくないようにシャツの第一ボタンを外してやった。

「手馴れてるな、赤井」

「似たような妹がいるからな。他意はない」

「そういうことにしといてやるよ」

にやり、と笑った諸伏は赤井の制止も聞かず手馴れた様子でクローゼットを開け、棚の上に置かれた布団一式を取り出す。泊まっていくだろ、と言われてしまえば彼の行動を止める必要はない。朝起きた時、不愉快そうな表情を浮かべる依の姿を想像することは容易かったが、今更だ。クローゼットを閉める時、一枚の写真が床へと落ちた。小学校の入学式で撮ったものなのか、少し緊張した面持ちの少女を囲むように、穏やかな表情の男性とタレ目の小綺麗な女性が写っている。

「依か?」

「あぁ、如何やら依にも愛らしい時期があったようだな」

「今じゃとんだじゃじゃ馬だもんな」

諸伏のその発言も充分失礼だが、何も言わないでおいた。幸せそうな家族写真を元の場所に起き、2人は依の部屋を出る。次の日、頭を押さえながら起きた依が、リビングで雑魚寝をする男性陣を見て目を釣り上げることになるのは言うまでもない。