はらわたがむず痒い

「依ちゃ〜ん」

買い物して歩いていると、聞きなれた声に呼び止められた。平日のお昼、主婦たちで賑わう百貨店には縁のなさそうな私服の萩原さんが、試食コーナーの前に立っていた。白いシャツに淡水色のジャケット、紺色のパンツ。うーん、様になってる。横を通る若いお姉さんだけじゃなく主婦のおばさまでさえ、頬染めてるの気付いてるのだろうか。そんな注目を受ける彼に呼び止められ、周りの視線を向けられた私の心は折れそう。振っている方とは逆の手には、今しがた食べていたであろう新発売のブルーチーズ。めっちゃ優雅な時間を過ごせてるようで何より。実を言うと私はブルーチーズの匂いが苦手である。できれば今日の萩原さんには近寄りたくない。

「萩原さん、最近はちゃんと仕事してるの?」

「あ、疑いの目が痛い。でも今日は有給。てか何でそんなに離れてるの?」

近づいて来た萩原さんから、ブルーチーズが苦手だから、とススッと離れると眉を下げて傷付いた表情をされた。くっ…私がその顔に弱いこと知ってるくせに!再度そばに来た萩原さんは流石できる男。スッと自然な動作で私が持っていた買い物カゴを持ってくれた。やだイケメン。

「萩原さんは酒盛りのおつまみでも買いに来たの?」

「いや、もうすぐ松田が誕生日だからさ、プレゼントを買おうと思って見に来たんだよね」

「ブルーチーズ?」

「これはただ試食してただけ。あれ臭いのにめっちゃ高いんだもん、自分じゃ買わないよ」

「日本の警察はそこそこお給料低いもんね」

「あ、痛いとこ突かれた」

へらっと笑いながら、松田の誕生日は何あげたらいいと思う?と嬉々として聞いて来る萩原さん。柔らかい感じの萩原さんと、固く真面目な松田さん。一見2人は全く違うタイプだし、私の中の勢力図ではやや松田さんの方が強いのだけど、破れ鍋に綴じ蓋というか本当に長年連れ添った夫婦みたいにお互い信頼し合ってて羨ましい。ライバル兼親友っていいものだなと、2人を見て思った。

「相変わらず仲良いですね。もう結婚すればいいのに」

「誤解を生む発言はやめなさーい」

ぽすっと頭に軽くチョップが入る。若干目が真面目なのにはちゃんと気づいてるから大丈夫だよ。レジまで荷物を持ってくれた上、私の買い物に付き合ってくれたので、今度は私が彼の買い物に付き合うことにした。クーラーのロッカーに荷物を入れた後、紳士物コーナーを2人で回る。プレゼントを選ぶ萩原さんの横顔は、ワクワクしながらいたずらを準備する子供みたいだ。三十路も過ぎようという男性には失礼かもしれないが、そんな姿が可愛い。

「何か候補はあるの?」

「いや、全然。依ちゃんは何がいいと思う?」

「ん〜私だったらタバコをカートンで買って渡すかな」

「色気のかけらもないな」

「私から残るものもらっても松田さんも萩原さんも困るでしょ?そういうのは彼女に買ってもらった方がよくない?」

そう首を傾げると萩原さんは微妙な顔をする。私の言ったことを否定したいような、したくないようなそんな顔。彼女がいた場合、もし私から贈り物をしたとして、それがあらぬ誤解を生むことは想像に難くない。2人ともモテそうだしね。彼女の1人や2人当たって不思議じゃない。そう言うと、2人いるのは問題だろと突っ込まれた。

「カートンは自分で買えるでしょ?俺だったら依ちゃんが考えてくれたものはなんでも嬉しいけどなぁ」

「萩原さん、そのセリフはチャラ男が言うものって相場は決まってるんだよ」

「俺のイメージってチャラいの?!」

「松田さんよりは?」

結構ショックだったらしい。頭を抱えてふらふらと座り込みそうになった萩原さんの服の裾を引っ張って、精一杯フォローする。チャラいなんて嘘だよ、十分紳士だよ。そうやって慰めているとき、ふとお財布が並んだコーナーに目がいった。そういえば松田さんのお財布は大分年季が入っていたように思う。そろそろ買わなきゃなと呟いていたっけ。

「萩原さん、お財布なんてどう?」

「財布?」

「うん。松田さんのお財布、結構ガタ来てるなってお会計の時思ったんだよね」

「確かにそうだね〜あいつ小物には金かけないからな」

薄すぎず厚すぎず、背広に入るくらいの二つ折りの皮財布を一緒に探す。色は勿論黒だ。皮財布なら長年使えるし、一緒に歳をとることでだんだん熟れて彼が持つにふさわしいものになりそう。萩原さんも賛成してくれて、それを買うことにした。勿論お代は萩原さんだ。

「依ちゃんはあげないの?」

「うーん…萩原さんの意見を参考にするなら、いつでも私のコーヒーが飲める券とか?しかも配達可」

「何それ。ガチで俺が欲しいわ」

「目がマジだね」

「そりゃあ依のコーヒー美味しいからさ。それに飲むとホッとするんだよね」

「そんなこと言ってもらえて、バリスタ冥利に尽きます〜」

そんなこんなでいい時間になったので、プレゼントも買えたし一緒におやつにすることにした。こう見えて萩原さんは甘党だ。可愛い店員さんに案内されたのは2人がけの席。注文を取ってくれた店員さんにデートですか?と聞かれ、デレていた萩原さんには悪いけど、横からきっぱり否定しておいた。勘違いされたら困るのは貴方でしょう。

「松田に依とデートしてますって自慢しよ〜」

「デートじゃないし。ほんと仲良いね」

「依ちゃんちょっとこっち来て。一緒に写ろう」

「女子か」

自撮りする萩原さんに手招きされて、一緒の枠に収まる。悲しきかな、趣味で写真を撮る人間として妥協できないと言う変なプライドが出てしまった。あーでもないこーでもないと、1番いい角度を決めてパシャリ。いい写真も撮れたし運ばれて来たケーキも美味しいし、萩原さんがめっちゃ喜んでた。可愛い。



一方、仲よさげな2人の写真を送りつけられた松田は、額に青筋を浮かべた。こちらは書類の海に沈んでいると言うのに、有給を使い優雅にデートを楽しんでいる萩原に殺意しかわかない。みしり、と握っていた携帯が音を立てた。これはさっさと仕事を終わらせて萩原から事情を問いたださなければなるまい。

「…」

「松田君?どうかした?」

「いや。なんでもねぇ」

急に人を殺しそうな黒いオーラを出し、先ほどよりも2倍速で仕事を片付け始めた松田に、佐藤は首を傾げる。あまりに鬼気迫る表情に、周りも腫れ物を触るかのように遠巻きで見つめることしかできない。皆に見守られる仲、珍しく定時で仕事を終えた松田は挨拶もそこそこに萩原の携帯に連絡を入れた。