攫う嵐

「兄貴、例の人物なんですが…」

空気を裂くジッポの音が車内に響く。ウォッカに視線だけ向けて続きを促した銀髪の男の眼光には何にも容赦はしないとの意思が見え隠れしており、長年下についている男でさえも背筋が震えてしまう。

「何にも出なかったんで一旦保留になったようです。どうやらベルモットが一枚噛んでるって噂もありやして…」

「…またあの女か。目星はついてんだ。その気になりゃいつでも殺れる」

「それとバーボンも動き出したと」

「…揃いも揃ってご苦労なこった。まあ、何にも出ねえと思うがなァ」

愉快そうに鼻で笑った男は深く帽子を被り直す。どうやらこの話は彼の中で終わりを告げたらしい。見たものを切り殺すような切れ長の瞳も鍔の奥に隠れてしまい、その表情を読み取ることは困難であった。敵を殺るときによく見せる表情ともとれる含んだ笑いに、ウォッカは今一度ハンドルを握り直しつつ、店と自宅に取り付けた機材の回収を工作員へ依頼することにした。

***

久しぶりにちょっと豪勢な食事をしようと、百貨店での買い物を終え道を歩いていた時だ。持っていたビニール袋が破けて、ころころとリンゴが転がった。入れすぎたという自覚はあったし、袋を2重にしてもらえばよかったと後悔しながら慌てて追いかけると、まるで少女漫画の展開の如く、すらっとした男性が足元に転がってきたそれを拾って渡してくれた。金髪の浅黒い肌を持つ、ベビーフェイスな男性。笑顔で、"どうぞ"なんて手渡された私の心情をお分かりいただけるだろうか。

「有難うございます」

「いいえ。ですがその袋はもう使えないようですね」

「大丈夫です。こんなこともあろうかと、買い物袋の予備があるので」

なんとなく出すのが面倒くさかったので、百貨店のお惣菜コーナーでもらった袋に無理やり入れていたのだ。普段結構神経を使う仕事をしているので、休日のこういったときにものぐさになるのだが、今回ばかりは自分のものぐささに呆れた。イケメンに手伝ってもらいながら袋を入れ替えもう一度お礼を言う。改めて見上げた男性は、太陽すら霞んでしまうほどの笑顔を浮かべそれはもうイケメンだった。私の記憶に僅かながらに残っている、出来れば会いたくなかったイケメン。私を再度その瞳に写した彼は、僅かながらスカイブルーの目を見開いた。それに気付かないほど、場数を踏んできてはいない。

「…以前、どこかでお会いしたことありませんか?」

「やだ、口説き文句ですか?貴方みたいな整ったお顔の方、もし会っていたら絶対忘れない自信がありますが…ごめんなさい、記憶にないです」

私にイケメンの知り合いはいない。大事なことなのでもう一度言う。私にイケメンの知り合いはいない。私の答えを聞いたそのイケメンは、困ったように眉を下げ人差し指で頬を掻いた。騙されないよ。こいつには気をつけろって、釘刺されているんだから。もう一回言っておこう。私にイケメンの知り合いはいません。

「そうですか…僕、記憶力に自信はある方なんですが、すみません」

「いいえ。林檎、拾ってくださって有難うございます」

もう一度を礼を言い、じゃあこれで、そそくさとその場を後にする。視線が背中に刺さるような気がするけど、きっと気のせい。ここで振り向くほうがおかしいし、深入りしない方が身のためであることは油井さんの一件からもう充分身に沁みて分かってる。私が事件に巻き込まれるようになったのは、彼らと関わったからという部分が大きい。全くいつになったら平穏な生活が戻ってくるのやら。その原因となった男性二人とも、もう連絡の取りようはないのだけれど。3人でこたつを囲んだ頃を思い出して、それを打ち消すように頭を振った。ちゃんと約束は守ったからね、2人とも。

「…二度と会わないと思ってたんだけどな」

何でいるの、と言いかけた私の口を塞いだ油井さんは、しーっとその長い人差し指を唇に当てた。色気がありそう?そんなものは感じない。湧き上がるのは怒りを通り越した呆れだ。余計なことは口に出すなと言いたげな目に黙って頷く。音を立てないように上がり込んだ油井さんは荷物を背負ったまま、探知装置を翳して部屋の中を見回り始めた。前もこんなことはあったので、気にせず買ってきたものを冷蔵庫に入れる。

5分くらい経っただろうか。部屋も温まってきた頃、漸く油井さんが同じテーブルに着いた。用意していた珈琲を差し出すと、少しだけ頬を緩めて受け取る。

「…もういいぞ。ここ最近、変わったことなかったか?」

「特には…何か仕掛けられてた?」

「盗聴器の類がな。正確には仕掛けられていた痕跡があった」

「怖っ…不味い展開?」

盗聴器と聞いて、ぞわりと身の毛がよだった。油井さんの生存は誰にも知られちゃいけない。赤井さんが死んだと知らせに来てくれたのを最後に、この部屋へは訪れていないし、電話は勿論誰にもしてないはず。独り言で彼らの名前を出すこともないから大丈夫だと思いたいけど。恐る恐る彼を見上げると、心配すんなと笑われた。

「見た所、仕掛けられたのはここ1ヶ月以内。2週間程度だと思うぜ」

「えー…じゃあお店で電話してた人が言ってたのもそれかなあ」

「なんて言ってた?」

「電話に雑音が入るって。LANのせいかなって思ったけど」

「あー…可能性は高いな。俺が来なくなってから何かしたか?」

そう言われて思い返してみる。阿寒湖に旅行に行って、酪農体験したことが主だ。そこで別に怪しい取引現場に遭遇なんてしてないし、強いて言えば牛が可愛かったくらい。

「別に特別なことは。1ヶ月くらい北海道にいたし」

「呑気なやつ。写真も撮りに行かなかったのか?」

「あ、北海道行く前に一回だけ。何で?」

「その時の写真は?」

「ないよ。気にいる写真撮れなかったし」

全部消した、というがデータを見せろというので、渋々カメラを部屋から持って来て手渡す。一枚一枚確認している油井さんは、捜査官さながらの顔をしていた。あ、捜査官だったわ。

「いつも思うけと、お前、本当に撮るの上手いよなぁ」

「褒めても何も出ないよ」

「残念だ。写真好きの依のことだ。データのバックアップくらい取っているだろ」

「えーどんだけ信頼ないの、私」

「俺達を知ったのも写真だろうし、いい加減腹括れ。バレてんぞ」

ええ、そうです。誰にも言ってないのになぜバレた。確信めいた問いかけにあははと空笑しても、油井さんは流すつもりはないようで、真っ黒い笑顔を浮かべ片手を差し出す。言わずもがな、データを寄越せとのことだろう。まあ、確認したところで本当に映ってないし、過去のデータだって渡すつもりなんてないんだけど。

「やだなあ、油井さん。本当に残ってないってば」

「依は嘘をつくときに必ず腕を組む。知ってたか?」

「知るわけないし、騙されません!油井さんこそ、嘘つくときに左を見る癖止めた方がいいよ」

「おい、まじか。それは置いといてとりあえず俺に見せてない写真出せ」

「だから無いってば!それよりさ、油井さんが言ってた金髪のイケメンに会ったよ」

話を別の食いつきいそうな話題へ返る。思った通り、油井さんはその目をさらに剣呑に細めた。かと思えば頭を抱えて唸りだしたから、何か悪いものでも食べただろうかと肩を揺する。その途端、くわっと目を見開いて指をさされた。

「外出禁止!!」

「え、無理」