いつもの日曜日のはずだった。朝起きていつものように支度をしてから、喫茶店へ向かう。朝ご飯は家で食べないでコーヒーを試し飲みしながらお店でとるのが日課でであり楽しみでもあった。室内の空調機の電源を入れて、お湯を沸かしながらお店が温かくなるのを待つ。湯気の音と風を回すプロペラの音が交差するこの時間が、私がちゃんと存在していると再認識できて何となく落ち着くのだ。そんな時だ。“close”の札がかった扉を無理やり押し開けた人物が、あっという間に私の前に来たのは。コートを羽織り深くキャップを被り表情は見えない。強盗だと思い考えるよりも先にレジ横に置いてあった防犯用のスタンガンを犯人へと向けた。
「おい!待て、落ち着け!」
先手を取られてスタンガンが転がる。聞き覚えのある声に警戒を緩めつつそっとその鍔の下を覗けば、見慣れたあごひげが出てきてホッと肩の力を抜いた。
「…何だ、諸伏さんかあ」
「おっまえ…案外行動が早いな」
「だって強盗かと思って…紛らわしいなあ」
互いに安堵のため息を吐きつつ、諸伏さんはテーブル席へ、私はスタンガンを拾ってからポットの前へと戻った。因みにこのスタンガンは、萩原さんがバレンタインデーのお返しにとホワイトデーにくれた。勿論ネタで、ちゃんと可愛いひざ掛けもくれたけど。
諸伏さんがこの時間に私の店へ顔を出すのは珍しい。というか初めてである。表情を窺い見れば、何やら眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。世間的に死んだことになっているため、身元が割れることを警戒し彼はあまり素の顔で出歩かないのに、今日はどうだ。寝坊でもしたのかと疑いたくなるくらい素顔だった。特にここ最近は私が安室さんに目をつけられたこともあり、店にも私への連絡も激減していたというのに一体どういう心境の変化だろうか。どこか疲労感が見え隠れする彼の前に、淹れたてのコーヒーをおいてあげた。取り合えず窓のブラインドは下がったままだし、外から見られる心配はないと思う。
「サンキュー」
「出るときは裏から出る?」
「ああ、そうするよ。つーかまじで店開いてて助かったわ」
「熱烈なファンにでも追いかけられたの?」
「それなら喜んでサインの練習でもするさ」
はあ、と珍しく大きなため息を吐いた諸伏さんは、つまらなさそうに肘をつく。今は何があったか言いたくないようなので、態々聞き出すなんて野暮なことはしない。普段は私が聞きたくないことでもペらぺらぢゃべって来るのに、自身に何があったとか本当に肝心なことは絶対に教えてくれないのだ。それじゃちょっと寂しいので、出来ときは全力で心配している。悔しいからそんなそぶりは見せないけどな。
誰にも生きてることは悟られてはいけない、そんな状況に身を置いている彼にとって、人が動く時間に外に出るのは自殺行為なのに外に出ていたということは、きっと近々何かがある証拠だ。無駄なことはしない人だし。一度でも古い友人や彼を知っている人に会えば、今まで彼が積んできたことが全て無駄になる。神経をすり減らすような生活を文句も言わず耐えている彼には脱帽する。公安だから慣れていると言えばそうかもしれないけど、それでも誰にも存在を伝えられないのは苦痛以外の何物でもないんじゃないだろうか。そんな状況に身を置いたこともないし、好きな時に好きなだけ友人と会うことができる私は、これっぽっちも諸伏さんの心情なんて分かりゃしないけども。
「…諸伏さんがここにいることは私が知ってるよ」
「いきなりどうした」
「べっつにー。寂しくなったからって厄介ごとはお断りですよ、お客さん」
「はいはい。こうしてみると依もちゃんと店員やってんだな」
「当たり前でしょ。何年やってると思ってるの」
「そうだよなぁ」
天井を見ながらしみじみと物思いに耽る諸伏さん。彼に会ってかれこれ5年?4年?細かいことは気にしないけど、なんか色々巻き込まれちゃって目まぐるしかった記憶しかない。そもそも私にとってここ10年は本当に忙しかった。早く落ち着いた生活がしたいものである。ところでさ、知ってる?昔を思いだす時間が増えたってことは、それだけ歳をとってるってこと。つまり、諸伏さんももう若くないってことなんだよ。
「おい、声に出てんぞ」
「マジか」
「そういえば依って警察にも顔が利いたよな?」
「やめてよ厄介ごとの匂いしかしないんだけど」
「ちょっと探り入れて欲しい事があんだよ」
「知らんがな。てか一般人に漏らすような口の軽さって警官としてどうなのさ」
やっぱ無理かーって机の上に溶けた諸伏さん。当たり前だろと言いたくなるのをこらえて、二杯目のコーヒーを置いてあげる。というか貴方元々公安でしょ。少し考えればわかるじゃん。守秘義務とはなんぞやっていう議論になり兼ねないのに、なぜ行けると思った、諸伏さんや。若干心配して損したよ。
「もうバラしちゃえば?実は生きてましたーって古巣に戻っても多分みんな歓迎してくれるよ、覚えてたら」
「最後に悪意を感じるのは気のせいか?それができれば悩まねぇよ」
「私もそろそろ探り屋から逃げるの大変なんだから早く何とかしてよ」
「無理だろ。あいつに狙われたら確実に息の根止められるぞ」
「まじか。もう詰んだわ」
「今餌撒いてやっから待ってろ」
「ヤバい、もっと厄介になる未来しか見えない」
「お前俺を何だと思ってる」
「諸伏さん」
「間違っちゃいねーな」
たわいないやり取りに、静かだった店内に笑い声が混ざる。現世にいることを楽しんでいる諸伏さんもいることだし、もう少しだけ店を開けるのを待とうと思った。