No.3
エトランゼの懊悩

「いいですか、なまえさん。ここに番号を登録しておきました。何かあれば遠慮なく掛けてください」

「はーい」

真剣な降谷さんに見せられたのは、緊急用、と書かれたアドレスの1ページ。勿論私のスマホである。見慣れない数字から始まるそれは、携帯番号でも固定電話番号でもない。何の番号か聞けば、直で繋がる専用電話何だとか。え、何その公安の特権を前面に出した番号。怖すぎるんだけど。更に自分がどんどん一般人から離れていることにちょっと泣けた。

「降谷君、そう念を入れなくてもいいんじゃないか?なまえが子供なのは見た目だけだ」

「黙れ赤井。もしかしたらと言うこともあるだろう。ただでさえ、なまえは危機管理能力が低いんだ」

「まあそれは認めよう」

「え。みとめちゃうの?わたしちゃんとあぶないこととそうじゃないことわかるよ!」

「分かってたら体調悪いのに店に立とうなんて思わねぇよ」

「確かに楽しみにしてたけど体調押してまでお店開くのはちょっと違うからね」

「俺は珍しいなまえが見れて楽しいけどな」

「み、みかたがいない…」

いつも味方になってくれる萩原さんと松田さんにも責められた。辛い。そして油井さんは本当にブレないな。隙あらば私のゆすりネタをゲットしようとするその精神、驚嘆はするけど感心はしない。それなのに明日はここのナポリタンな、と嬉々として携帯画面を見せられて私とご飯行くのがそんなに嬉しいのかと少し心が和んだ。でも食べ物じゃあ釣られないからね。

「取り敢えず松田達が終わるまでは俺が一緒にいます。丁度車で来てますしね」

「ゼロ、お前確か午後一で会議が入ってなかったか?」

「降谷君が駄目なら俺が送っていこう」

「風見に任せたから心配はいらない。赤井の出番もない」

「ふるやさんのくるま、いいにおいだからすきー!」

「ンン"っ…!それは良かった」

「なまえ、降谷はむっつりだから気をつけろ」

「無害そうな顔して結構やるね!」

「松田、萩原、除籍になりたいか?」

そう言って睨んだ降谷さんの目はマジだった。お昼ご飯も食べてないし子供の体では体力も落ちているのか、結構疲れたので降谷さんが送って行ってくれるのは有難い。赤井さんにしっかりと戸締まりをしてもらいお店の前で皆と別れた。別れる時に代わる代わる頭を撫でられて、摩擦による禿げが心配だ。私は知能の仏像か何かか。家に入るまで地面を踏むことは許されなかった。つまり、そういうことである。取り敢えず元に戻ったときに羞恥で死にそう。

「何か食べたいものはありますか?」

「ほっとけーき!ちゃんとホットケーキミックスも買ってあるよ」

「分かりました。じゃあいい子にして待っててくださいね」

降谷さんのホットケーキは何処ぞのお店のパンケーキより美味しいので両手を上げて喜ぶ。同じ素を使っているはずなのに何がそんなに違うのか不思議だ。手を引っ張ってホットケーキミックスが入った食品倉庫まで案内すると、よく出来ましたと頭に手を置かれた。皆撫でるの好きね。そわそわしながら待っていると食欲誘う香りがして、ほっかほかふわふわのホットケーキがたっぷりの蜂蜜とホイップクリームが添えられて目の前に置かれた。きゃー!とはしゃいでしまったのは仕方ないよね。早速渡されたフォークで一口大に切り、湯気立つそれを口に入れる。ぶわりと広がる程よい甘味。ふあぁあ幸せ。

「熱いので気をつけてくださいね」

「うん!ううううーうんまい!」

「それは良かった。ほら、溢れていますよ」

「んう?」

ぽろぽろと零してしまうのは上手くフォークを持つ手に力が入らないからだろう。小さい体って不便だな。褐色の指が溢れたパン屑を拾って序でに口の周りについた欠片まで取ってくれた。そうやって甲斐甲斐しくお世話をされて、あっという間に公務員の就業時間になり、スマホがピロリンと間抜けな音を響かせてラインの新着を知らせる。案の定萩原さんからで、すぐ行くから待っててね☆と、テンション高めなメッセージが入ってた。それはさておき降谷さんの午後潰しちゃったけどいいのかな。就業時間が近づくにつれて何度も携帯を見てたから、多分催促の連絡が入ってたんだと思う。これからサビ残ですか?お疲れ様です。

「えと、ごめんね?」

「なまえは気にしなくて大丈夫ですよ。久しぶりにゆっくり出来たので寧ろ良かったと思っています」

「ほんと?むりしちゃだめだよ?」

「ええ。無理はしません。俺もそんなに若くないですからね」

爆弾処理班に何かされたら直ぐに知らせるんですよ、玄関で見送るまで口を酸っぱくして言われ続けた。萩原さんどんだけ信用ないの。バイバイと手を振ってから数分後、入れ替わるように松田さんと萩原さんが玄関に現れた。2人とも職場からそのまま着たのかどちらもスーツのまま。一旦帰って着替えてこれば良かったのに。

「あかいさんとゆいさんのでよければへやぎあるよ?」

「何それあの2人どんだけ入り浸ってんの?狡い」

「危機管理能力どころか貞操観念も緩んでんじゃねぇか。学習しろ」

「いたい」

どうやら赤井さん達がしょっちゅう私の家に来ていることがお気に召さなかったらしい。それなりに痛い2人分のチョップを貰ってしまった。でもね、それは私のせいじゃないし、あの2人に限ってそんなことは微塵も考えてないと思うんだ、それはそれでムカつくけど。

「なまえちゃん、男は狼なんだから簡単に信用しちゃ駄目だよ!」

「萩原、それ自分自身も入ってるからな」

「うーん、でもわたし、わりとみんなのことしんようしてるよ」

「…何この子。いい子すぎ尊い。やばくない?俺明日もサビ残頑張れそう」

「そりゃ良かった。なまえもこれ以上萩原に近寄んなよ、危ねぇからな」

こわーい!とふざけて萩原さんから離れて見たけど、あんまりにも悲しそうな顔をしたので、ぷくぷくほっぺを触る許可を出しておいた。悪気はなかったんだ。ちょっと根に持ちそうだったので、素早く話題を今日の夕飯に変える。降谷さんは料理できるから心配してなかったけど、この2人はできるのだろうか。想像ができない。無理という二文字が頭に浮かんだ。

「外で食べればいいんじゃない?俺たちが作ってもいいけど味は保証できないね」

「てさききようなはずなのに…」

「料理と解体は別もんだろ。どうしても食いたいなら作るが…」

台所が悲惨な状態になることは想像に難くないので、速攻で外食を決めた。少し早い夕食にしようと囚われた宇宙人状態で連れてこられたのは、 家庭的な和定食メニューに定評のある小戸屋。お店に入るなり店員のおばちゃんに、カッコイイお父さんが2人もいていいわね、と微笑まれた。萩原さんは明らかに喜んでたし松田さんも満更でもない顔してたけど、私の心境は複雑だ。そして問答無用でお子様セットを注文された。辛い。私だって真鯛と野菜の黒酢あんかけ定食食べたい。手におもちゃを握らせたって満足できないんじゃ。

「わたしもそれたべたい」

「一口やるからそれで我慢しろ。どうせ一人前は食えねぇだろ」

「はい、なまえちゃん、あーん」

萩原さん、いい顔で雛鳥に餌を与えないでください。松田さんも便乗しなくていいよ。恥ずかしさで死にそうなんです、察してください。世話をするってそういうことじゃないんだよ、食べる、寝る、歩くくらいの基本動作はできるんだから見守ってくれればいいんだ。小皿に取り分けてくれたら自分で食べるからさ。そう言いたいけど文句は食材と一緒に口の中へ逆戻り。お口は真鯛とチキン南蛮のちゃんぽん状態で味なんて分かったもんじゃない。おばちゃんもニヤニヤしないで!これサービスね、なんてアイスクリーム置いていかなくていいからこの2人を止めて欲しい。

「良かったな、なまえ」

「お代わりいる?俺もデザート頼もうかなあ」

萩原さん、それすら私口に詰め込む気でしょ。確かにアイスは美味しかったけど中々疲れる夕食だった。まあ、こんなにゆっくり3人でご飯を食べるのは初めてだったから新鮮ではあったけども。帰りは朝ごはんと2人のタバコを買う為コンビニに寄った。手を繋いだ松田さんを顎で使いながら明日食べたいものを指差せば、言われた通りにカゴに放ってくれた。良いパパになれるね。お金は後で返すと言えば気を使うなと怒られる。うんうん、そのうち珈琲で返すね。萩原さん?自分のものは自分で買えと松田さんに冷たくされてた。

「会計してくるからなまえちゃんもう少し待っててね」

「はーい」

人が集まる帰宅ラッシュ時間だったのか、2つのレジをフル稼働しても待ち時間が出るくらいには混んでいた。暇なのでお菓子コーナーや雑誌コーナーをうろうろしていると、足がもつれてぺしゃんと地面に膝をついてしまい、その拍子に持っていた飴ちゃんがころころと転がっていく。小戸屋でもらったイチゴミルクの飴ちゃん。食べるのを楽しみにしていたのだからなくすわけにはいかない。待ってーと追いかけ始めた時、丁度コンビニに入ってきた人の足に進行を阻まれる。同時に、黒い靴の下でめきゃっと音がした。

「あ…」

「…」

「え、えと」

スススッと上に視線を上げると、見慣れた銀髪と泣く子も黙る鋭い視線。ギンさん、奇遇ですね!なんて片手を上げられたら良いんだけど、幼児化については赤井さんに口止めされている。ていうか改めて見るとめっちゃ怖くて身体が竦む。凍てつく視線で身が切れそうだよ。お店に来てくれる時はだいぶ雰囲気を柔らかくしてくれてたんだね。ガシッと頭を掴まれる。あ、割るの?割っちゃうの?

「…おい」

「びゃっ…!」

「前はよく見て歩け。それに泣き虫は寝る時間だ」

そう言って何事もなかったかのように、ギンさんは店内を歩いて行った。後には潰れた飴ちゃんと呆然と立つ私。恐怖やら何やらで色々頭がついていかない。さっきまでギンさんの手が乗っていた頭に自分の手を置くと、指先にカサリとした感触がしたので、掴んだそれを慌てて目の前に持ってくれば、なんとパイン味の飴ちゃんだった。え、手品?いつの間に。顔を上げてもギンさんの姿は店内に見当たらず、謎は深まるばかりだ。

「なまえ、何してんだ、帰るぞ」

「うううーん?」

「眠たくなっちゃった?」

キョロキョロギンさんの姿を探していると、会計を終えたであろう2人がそれぞれビニール袋を下げて寄ってきた。説明も面倒なので眠たいということにしておこう。眠いーと目を擦ると、じゃあおんぶしてあげるよ、なんて嬉々としていうものだから全力で遠慮しておいた。これ以上は容量オーバーです。いつになったら普通の生活に戻れるのか。これから数日間は皆にお世話になるのだが、そこで受ける恥ずかしさなど微塵も想像しないまま、両サイドの2人に手を繋がれて、時々地面から持ち上げられながら本来の年齢に思いを馳せた。


title by プラム


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