お前みたいな



「入んぞ」



数回のノックの後、一言断りをいれて首領が療養している部屋に足を踏み入れる。
瞬間、室内を漂っていた重たい空気が全身に流れこんできて、灰谷蘭は思わず小さく声をもらした。


首領が倒れたと聞いたのは数日ほど前のことだ。
過労と睡眠不足による一時的なもので、命に別状はないと聞いた。
投与している点滴が空になる頃には目を覚ますらしい。
だがこんな所にいちゃあ治るものも治らないだろ…と、最低で最悪な環境を生み出している加湿源​──三途春千夜を白い目で見やる。


部屋に入ってきた人物に毛ほども興味がないらしい三途は、青白い顔してベッドに眠る首領の顔を、近くの丸椅子に浅く腰かけて、起きているのか気絶しているのか分からない無表情でみつめていた。

ここ連日、つきっきりで首領を看病をしているせいでろくに食事もとっていないらしい。
もともとシャープな顔付きだった彼の顔から肉はごっそりと抜け落ち、痣のように濃ゆいクマが彼の目元にはのこっていた。
このままだと、じきにコイツも病人としてベッドに寝むることになるだろう。
明日は我が身とはまさにこのこと。
文字通り身を削って看病する三途には、呆れを通り越して最早尊敬の念まで抱くほどであった。


「おい、いつまでソコに座ってんだ?仕事に戻れ。鶴蝶に任せきってんじゃねえよ」


ここ数日、ツートップが上手く機能しないせいで組織の人間はこれまでにないくらいの激務に追われている。
無意識に募らせ続けたストレスが声色に滲みでた。

しかし話しかけたところで、三途からの反応はない。
その虚ろな目がうつすのはベッドで眠る王たった一人である。
聞こえているのかすらも分からなかった。


頬のひとつでも引っ張たこうと、ドアの付近からベッド近くへと歩み寄る途中、こつんと靴先で何かを蹴った。
ふと視線を下げた先、革靴のそばに空になったカプセル剤のケースが散らばっているのがみえ、唖然とする。
ざっと百はゆうに超える薬の数々は合法か、非合法か。
考えたところでもう後の祭りで、自分にはどうでもいい事である。


「…人外だな、どこの星の生命体だ?サプリメント感覚で飲んでんじゃん」
「…それ、」


この日初めて三途が口を開いた。
老婆のようにしゃがれて、耳を澄まさなければ聞き逃してしまうくらいの小さな小さな声だった。


「…それがねえと…寝ちまうんだ」
「そのままだと寝ることになるぜ、永遠にな」


かなり気取った蘭の物言いに、いつものように言い返す気力がわかないらしい。
三途は、ただ無言のまま迫りくる睡魔にたえていた。
揶揄いがいのない三途に興ざめし、これでもかという程大きなため息をつくも、やはり彼からの反応や反論はない。


「…お前が死ぬのは勝手にしろって話だけど、オレらに迷惑かけてんじゃねえよ。梵天の歯車に噛み合わねぇ奴は死体。お前が言ったんだからな」


このままここに居ても気分を害すだけだろう。
冷たく言い捨てて部屋を後にしようとする蘭の後ろ髪を引っ張ったのは、喉から絞り出される枯渇した三途の声だった。


「…オマエ、竜胆が死んだらどーする?」


縁起でもない。
足を止めた蘭は眉間にしわを寄せて、未だに視線がかち合わない三途の方を振り返って睨んだ。


「は?何だそれ」
「…お前も死ぬか?」
「決まってんだろ。一人になんかしねぇよ」


1+1は2になるし、冬が終われば春がくる。
そんな不変の真理を語るに等しい口調で、蘭は清々らしく答えた。
どうやら解は既に彼の中に存在し、最早考える時間など必要ないようだった。
灰谷蘭らしい、といえばそうなのかもしれない。
それほど意外でもない回答に、三途も「だろうな」と短く返した。


「ハハ、マジで一歩手前まで来てんな。いつもなら『キメェ、しね』って言ってんのに」


肩を揺らして笑う。
いつもの薬物ジャンキーらしくない三途を面白がるようにも、そんな彼に困惑しているようにも見えた。


「…テメーが死んだら」

ぽつり、と三途が呟く。

「クラゲ頭も、…後追って死ぬんだろうな」

蘭は束の間口を閉ざした後、静かに口を開いた。


「どうだろうな。なんやかんや言って死なねぇ気もするけど」
「…なわけねぇだろ」
「…弟ってのは甘え上手だから。兄貴を失っても、周りに支えられて生きてける」
「…オレには関係ねえ話だな」
「いや。オマエも誰かさんにとっては今でも可愛い弟だよ」


いつも都合のいい、暇つぶしのための玩具のように弄んでくる男がみせた、柔らかい声色と瞳。
初めて見る表情だった。
きっとコイツは薬が作り出した幻で、この会話も夢の中の出来事なんだろうと三途はぼんやり考える。


「…オレには兄貴なんかいねえよ」


脳裏に浮かぶ、無表情で無愛想な男の顔。
その顔は一度だって自分にこんな風に笑ってくれた事がなかった。

「…オレは、マイキーの為に生きてる。マイキーが生きてくれてりゃ、オレはそれでいい。兄貴も親も、家族も…今更いらねぇ」
「頭弱っててもその忠誠心っぷりは相変わらずか」
「……ただ、…でも、本当は」
「ん?」

三途は柔らかい布団に顔をおしつけて、そのまま顔をあげることなく、泣きそうな声で呟く。

















「…本当は、お前みたいな兄貴が欲しかった」



























その言葉を最後に、三途はぽっきり黙り込んでしまった。
まるで遺言じみたその言葉に、あんなにタフで殺しても死ななそうな三途もいよいよ息を引き取ったのかと一瞬驚いた。

「…三途?」

呼吸を確認しようと近付いた蘭の耳に、しばらくして微かな寝息が届く。


「…は?寝てる?」

羽のように長い睫毛は伏せられていて、どうしてか僅かに湿っているのが見えた。
連日の看病で寝不足かつ心身ともに疲労がたまっていたので無理もない。


「…めんどくせぇやつ」


ぐったりと力が抜けた三途の空っぽの身体に、その辺にあった薄っぺらい毛布をぺらりと適当にかけてやる。なけなしの良心もたまには働くのだ。
頬にかかった淡い桜色した髪を払うと、すやすやと長い睫毛をふせて眠っている彼の顔がよく見えた。
弱々しく空をつかむ拳と相まって、さながら眠っている赤ん坊のようだ。
その手を掴んで、ベッドに眠る首領の手に柔らかく重ねる。
先程まであれだけベラベラ喋っていたくせに、と苦く笑ってため息をつく蘭の表情は、存外悪いものではない。


「三途寝ちゃったからさ、次はアンタが起きて見守ってやる番だぜ」

雪のように白い銀髪にそっとふれる。
伏せられたまつ毛にふと指が触れた刹那、十数年前の冬の日の記憶が走馬灯のように浮かんだ。

血は繋がってないと聞いたが、ここまで容姿がにているとそれも信じ難い。
その命尽きるまで血の繋がりという愛に飢えたあの男は、自分達が抱いていた敬愛の念に気付いてくれただろうか。
その答えが聞けるのは、いったい何年先になるだろう。


「…首領、アンタは部下置いてっちゃダメだよ。特にコイツ、オレらじゃ手に負えないから」


点滴の針がささる青白い腕が繋がる先、​──三途の方へと視線を移す。
歴史が繰り返されなければ良いと切に願った。

そして三途相手にそんな事を願ってしまい、ひとりでにしんみりするのが癪だったので、スマホを取り出して寝顔を盗撮しておいた。
あとで加工して落書きして、梵天幹部の大会議室にでもプリントアウトしてばら撒くという華々しい計画をひっそりと企てる。


「じゃあな」


蘭はそのまま踵を返して部屋を後にした。
自宅までの帰路を急ぐ。

なんだか無性に、弟に会いたくてたまらなかった。








□ □ □


後日、すっかり回復した首領と共に三途春千夜も 完全復活した。
今日も元気に、マグロの解体ショーをお披露目中だ。


「完全復活だなぁ、アイツ」
「…兄貴、嬉しそう?」
「そう?気のせいじゃね〜」

ターレの上に乗って戯れる兄弟ふたりに、少し離れたところにいた三途からの怒号がとぶ。

「おいソコのブラコン兄弟!何ベラベラ喋ってやがる、仕事しろ仕事!」
「何アイツ、きも」
「春千夜〜、お前も一緒に話してぇの?嫌だけど」
「…テメェらまとめて灰にしてやっから並びやがれ」
「妬くなって♡」
「キメェ、死ね」

今日も今日とて絶好調かつ語彙力皆無の三途の可愛らしい罵倒に、蘭は余裕の笑みを浮かべてかるく微笑む。





あれから数日間それなりに様子を探るってみるも、どうやら三途本人にあの日の記憶は残ってないらしかった。
覚えているのは蘭自身と、間抜けな三途の寝顔をおさめたスマートフォンのみである。


「ていうかさ。なんか兄貴、最近アイツによく絡むよな」
「は?…っ!竜胆…お兄ちゃんの一番はいつだって竜胆だぞ」
「そうじゃねえよ。ほらこの前、夜マイキーのとこ行ってたら辺からさ。三途と何か話したの?」
「ん?そんなことあったっけ?」
「あったじゃん…」
「マジ?しらね〜」




あの日耳にした話が、三途の華々しい恥ずかしエピソードや黒歴史の数々だったら、今頃梵天幹部はもちろん平の組織員、一人あますところなく広めていただろう。



けれど、そうではない。
あれは、彼と赤の他人である自分が、軽率に笑ってネタにしていいものではないことを蘭は分かっていた。
三途が吐露してしまった弱さが、心の奥底に眠っていた真意なのか、疲労や薬が生み出した幻だったのかは定かでないし、心底どうだって良い。


「…もう忘れちまったわ」

ただその後も、蘭はあの日見た三途の姿を、愛する弟にさえ。


決して一言も話さなかった。



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