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彼は笑わないのだろうか。
きっと過去には笑ったこともあるだろう。
楽しかった一瞬もなしに歩み続けているほど彼は狂っている訳では無いだろう。
思いやり、優しさ、友情、愛情、それらを抱きながら突き進むからこそ英雄だ。
善に属する感情を嫌かというほど搭載して、それら総てを燃料に変えるのが英雄だ。
ならば、当然笑ったこともあれば、喜んだこともあるはずだ。
そして、ドリスはそれらを見たことがない。

見たい。愛する彼の総てを知りたい。
愛するあなたの情報でこの脳髄を埋め尽くして、欠けた海馬と前頭葉を覆い尽くして欲しい。
1度抱いた衝動はもはや止まらない。
それは人造惑星としての製造過程がもたらす仕様であり、そして彼女の生まれ持った性質でもあった。

どうしたら笑ってくれるだろう。
笑ってくれる方法が想像つかない。
とりあえず食べ物で胃袋を掴むという方法は無理だろう。
前に異物混入をしてから差し入れはコーヒー1杯として飲んでくれないのだから。
それではプレゼント?そうしたもので喜ぶとも微塵も思えないし、好きなものの想像が……
ああ、1つ。
1つだけ、ドリスは思いついた。

それは未来だ。光輝き、涙のない無辜の人々が虐げられることなく笑う未来が彼の欲しいものだろう。

けれど、そうなるとドリスには手出しができない。
何故なら、ヴァルゼライドは孤高の英雄。
ドリスという他人の手により成し遂げられた理想は彼の理想と異なるだろう。
仮に全く、一切違わずヴァルゼライドの理想通りの世界をドリスが作り上げたとしよう。
英雄はそれに喜ぶか?ドリスを褒めて笑ってくれるか?──否だろう。
まず間違いなく、民の平和を受け入れはするが、別段そこに達成感もなければ歓喜もするまい。
英雄は都合よく舞い降りる幸福などというものを喜んだりはしない。

そして考えはドンづまり。
プレゼント作戦はここで失敗。
ならば次はどうだろう?色仕掛け?
想像したら直後に首が飛ぶ自分の姿が目に浮かぶ。
うん、駄目だろう。即答だ。

仮眠する英雄へと目を向けると、先ほどからいくらか眉間の皺が深くなっている。
そこでふと、気がついた。
この部屋はコンクリートと機械に覆われていて、空調が効いているとはいえまだ肌寒い。
流石に冷えたのだろうか、などと考えながらひとまず手元にあるものが自分の上着くらいしかないから。
自分の給金から節約して買った取っておきの勝負服の1枚──淡い緑の地にレースが縫い取られた品の良いカーディガンを脱いで、ヴァルゼライドの肩へとかけようとした。

「あっ……」
「……お前か」

近寄り、肩にかかる位置にまでカーディガンをかけるために手を伸ばした所で、ドリスの首には刃が押し付けられていた。
おそらくはヴァルゼライドにしても殆ど反射といえる動きであり、それゆえに正確無比ではあるが、相手が誰なのか、敵意があるのかという確認は欠けていた。
間抜けに手を止めたまま、皮膚に触れる寸前の刃に目をやることなく、ドリスはヴァルゼライドを見つめた。
およそ恐怖というものを感じない大きく開いた瞳孔を向けられ、ヴァルゼライドは息を吐き出すとともに剣をしまった。

「今は何時だ」
「え?あ、ああ、3時を少し過ぎたくらいですよ」

そうか、と短く告げられる声を聞きながら、ドリスはゆっくり首筋に触れた。
本気ではないが、殺意の篭った一撃を向けられたのはドリスにとって、この肉体になって初めてのことだった。
生前にしても、あの時は何かを考える前に頭を打ち付けていたから、ただ視覚や聴覚の情報で塗り潰されて痛みさえ感じる暇がなかったことを考えれば、実質的にこれが初めてと言えるだろう。


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