最初の犠牲者


「ど〜も〜、アキヒラの今夜も朝まで飲み放送ー! いえーッ!」

朗らかな声と共に、安平 明は缶ビールを片手に持ち上げてウェブカメラへと笑顔を送った。
部屋の中は黒と白のモノトーン、所々にカントリー系の家具が映り込むが、どれもセンスよく纏まっており、ウェブ配信の画面に映る安平の顔は朗らかだった。

「いやぁ、明日も平日なんだけどねー! お前らニートかよ」

放送開始と同時になだれ込むコメントに笑いながら、安平は早速ビールの蓋を開けた。

正直、ビールは好みではない。
炭酸が嫌いだし、苦いし、美味いと思ったことが一度もない。
けれど、一番男が飲んでる酒として変なやっかみを買いそうにないし、酒を飲むというフランクさも自分の人気の一因だと思っているから、安平は笑顔のままビールを煽った。


安平 明という男は生まれついて特別だった。
父は上場企業の役員、母は専業主婦の豊かな家庭で、やりたいことは何でもやってきた。
サーフィンも、スノボーも、音楽も。
やりたいと言いさえすれば、すぐに一流のものが手配されたし、両親も何ら咎めなかった。
順風満帆のこの人生を邪魔したのは、大学受験なんてくだらないもの。
この俺を、特別な男を、成績なんてくだらないもので落とした大学。
だが、それでもやはり安平 明は特別だった。
浪人して勉強に励みたい、と言えば両親はあっさりと一人暮らしの家を手配してくれたし、そこで始めたウェブ配信は大当たりだった。
ほんの少し顔を出して生配信をするだけで数十人、ときには100人以上がコメントをつけてくるし、動画を上げればミリオン再生など当たり前。
SNSでは自分のファンだという女が誉めそやしてくる。
選ばれしものだと実感させるのに十分だった。
だから、これもまた特別な自分ならばできると、そう考えたからこそ安平は聖杯戦争へと参加した。

「そうそう、せーはい! ヤバくない? まじ、魔法とか笑えんだけど、ネットで見かけて参加しちゃいましたー」

「嘘乙www」などのコメントが湧くのも、安平にとって気にする程のことではない。
こんな時間の生放送にわざわざ荒らしにくるなんて、よっぽど暇なのだから、相手にするほどのこともない。

「じゃーん、これが令呪でーす!」

シャツの右腕をまくりあげ、安平は上腕にくっきりと刻まれた令呪をウェブカメラへと見せつけた。
一見するとただのトライバルタトゥーにも見えるそれは、他人には分からないだろうが、自分という選ばれた人間には分かるのだ。
何しろ、確かにこの紋章が浮かび上がると同時に現れたのは英雄だったのだ。
この時代にあるはずもない甲冑をまとい、自分のために刀を振るうと約束されたときの恍惚はなんとも言えなかった。

「あ……? なんだよ、始まったばっかだってのに」

不意に、画面に読み込み中のマークが入った。
配信にラグが発生しているのだろうか、と安平は不審げに首をひねって背後にあるルーターへと視線を投げようとした。
しかし――

「な、なんだ、お前!」
「よお、機嫌良さそうなところ悪いな」

部屋の中には、見知らぬ男がいた。
先ほど、ウェブカメラ越しに見ていた部屋の中にはいなかったと断言できる。
最前まで確かに、このワンルームには自分しかいなかったのだ。

「ば、バーサーカー!」

安平は慌てて、昨夜契約を結んだばかりの英霊を呼び出そうとした。
実体を伴い、周辺を歩いてくるとは言っていたが、この令呪さえあればいつでも呼び出せるとも説明されていた。
だから案じることはない、この選ばれた者の証である令呪さえあれば――

「死んでくれ」

安平の喉からは引きつった声だけが上がり、首は床へと転がり落ちた。
出血は少ない。
そもそもが、人間の頭に通う血など全体の20%程度に過ぎない上に、死んだことにさえ気付かず目を見開いている安平には緊張して血流が上がる暇さえなかったのだから。
先程までコメントが大量に書き込まれていた配信画面には短く、「通信が途絶えました。 配信を終了します。」の文字だけが表示されていた。





数刻後――、最早人の気配など何一つない部屋へと立ち入る者がいた。
その雰囲気は気怠く、退廃的。 動作の一つ一つが緩慢としていて、生きることを憂いているかのよう。
暗闇のなか、主もなしに光るデスクトップPCの液晶の光に銀色の髪がきら、と輝いた。

「アキラ、随分とあっさり死んだものだな」

体はデスクトップPCの前に座ったまま、首だけが床に転がり落ちている。
刃物によって瞬時に切り落とされたらしい断面は、一種の芸術のように滑らかで、未だ鮮血を湛えている様は爛熟した果実を思わせる。
くく、と喉から笑い声が漏れてしまうのが分かった。
少なくとも、主君を殺されておいて笑っているのだから武士としては失格だろう。
それに、自分としてもこのままでは実体を保てるのは精々が数時間――呼び出されたクラスが悪い、というのもあるだろうが、どうにも燃費の悪い体だと考えていた。
そして、だからこそ男の行動に迷いはなかった。
首を失った安平の体へと近づき、腰に穿いた刀を一振り抜くや、その右腕に刻まれた令呪を切り取っていく。
皮膚を切開し、筋肉と脂肪、そして神経。
魔術の類に造詣がないため、どの程度切り取ればいいかは分からないが、大きめに切り取ればまず問題ないだろうと考え、そして――

「人も獣も、死ねば変わらん、か」

その肉を噛みちぎり、咀嚼し、臓腑へと収めた。
令呪はそれ単体ならばただの強力な魔力装置に過ぎず、サーヴァントへの絶対命令権としてだけではなく単発での魔術発動も可能であることを男は聖杯からの知識で理解していた。
無論、だからと生前の安平に危害を加えてまで同様の手段に訴えるつもりはない。
あくまでこれは緊急時の措置に過ぎないのだ。

安平 明という男は凡人だった。
自分を特別な存在だと思い込むために、誰かが作った価値基準がなくてはいられない、そんな凡俗な男だった。
そして、己は決してその俗さを嫌悪などしていなかった。
特別であるということは重いし、苦しいのだ。
生前に似合いもせずに背負ってみたこともあったが、やはり自分の性分には合わなかった。
だからこそ、高望みをして自分を特別だと思い込む姿に、血縁の誰かを重ねた節もあったが……とにかく、自分にとってさして嫌いではない男だった。
自分が特別であることの証明、などと言われた時には流石の自分も吹き出すのを堪えられた自信はない。
特別なものは証明する必要などなく勝手に特別なのだ。
かつて、自分が焦がれた獣の女のように。
だからこそ、何をしでかすか見てやろうという思いになり、刀を預けたのだが。

「案ずるなよ、見届ける程度はするつもりだ」

口元に付着した血を拭い取ると同時に、男の体には妙な現実感が芽生えていた。
それまでの架空の肉体としてではなく、明確な、そう生前と何ら変わらぬ倦怠感と厭世観が戻ってくるのが感じられる。
令呪三画を一切使うことなく死んだ安平の肉を食らうことで、男は受肉を果たした。

「見るべきものは全て見るとも……ああ、お前が特別かは、知らんがな」

そう言い残して、男はふらりと部屋を後にした。
安平 明の死が報道されるのは、この数時間後のニュース番組でのことであった。


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