ガキの頃から女の人が泣いているところを見るのがとにかく嫌だった。
…いや、泣いているところを、というと語弊があるかもしれない。
正しく言うなら"泣かせているやつを見ると腸が煮えくり返ってくる"だ。
自分の事、母さんの事、クソ親父の事。
もう何年も前のことなのに、まるで昨日のことかのように覚えてる。
クソ親父の怒号も、母さんの懇願する声も、自分の泣きじゃくる嗚咽も。
全部、全部いつまでも色褪せる事のない胸糞の悪い思い出だ。
自分はきっと当時のことを一生背負って生きていくんだろう。
あの時に負った左目の火傷の跡と一緒に。
正直、この傷を憎いと思ったことは何度かあった。けれど母さんがしたことを恨んだことは一度もない。
…当然だ。あんな奴にさんざんな目に合わされていたんだから。
精神的に相当苦しかったんだと思う。
母さんと会うようになって暫く経った今でも時々思い出す。
あの時の母さんの泣き顔は園生のそれにとても似ていた。
(いや、母さんが園生に似ていた…っつうよりは逆か。園生があの時の母さんに似ていて…。)
「轟くん、轟くん!聞いてる?」
「………?悪い。聞いてなかった。」
「「正直か!!!」」
賑やかな雰囲気の定食屋。
そこは事務所が近いという理由で俺や緑谷、飯田がよく利用する場所だ。
今日はたまたま麗日が緑谷の現場の近くに来ていたらしく四人で連絡を取り、合流して飯を食いに来ている。
頼んだ焼き魚定食を箸でほぐしていたタイミングで、ふと我に返った。緑谷がずっと声を掛けていたらしい。
考え事をしていたせいで数秒間が空いたが、返事をすれば麗日と一緒に盛大に突っ込まれて。
「相変わらず天然なんやね…」と麗日が苦笑いをこぼした。
それを見た飯田がすかさず「正直なのはとてもいいことだと思うぞ!」と発言を加えて場が何となくまとまる。
この空気、高校ン時のままだな。
「何か悩みでもあるの?やっぱ"そっち"の仕事って大変…?」
「いや…もう慣れた。別になんでもねぇ。」
「そうか?確かに緑谷くんの言う通りいつもよりどこか暗く見えるが…」
「はっ!!も、もしかしてっ!誰か好きな人でもおんの!?」
"好きな人"。
不意に園生の顔が浮かんだ。
麗日の声に、ほんの数秒箸が止まる。
園生。自分が泣かせてしまった女子。
母さんの面影がある隣人。
園生を説明する言葉は色々と浮かんでくるがどれもしっくりとこない。
けれど、麗日の言葉に強く反応してしまった自分がいるのは確かで。
("好き"…?)
自分が何を考えているのか分からない。
まるで自分が自分じゃないみたいだ。
困惑と園生の事で胸の内がいっぱいになる。
ぎこちない動きを最後にだんまりを続ける俺に三人の顔が見る見るうちに赤らんでいく。
最終的にはまるで火山が噴火したかのように音を立ててショートしてしまったようだ。
「え…えぇーーっ!!嘘!ほんまに…!?」
「と、とどどどどどど、轟くん…!?!?」
「みんな!お店の中では静かにしたまえ!」
開いた口が塞がらない様子の麗日と緑谷。
飯田も口では二人を注意しているが携帯電話のバイブ機能のように細かく振動していた。
なんかすげぇな…。
「いや、"好き"とか別にそういうんじゃ…」
「で、でもさっきの反応はなかなかの動揺っぷりだったよ。轟くん。」
「うん…私むっちゃびっくりしたもん…」
大きな四つの瞳は俺の目を見つめて動かない。
緑谷と麗日の様子に少し面喰らいながら誤魔化すように水を飲めば麗日が「じゃあさ、」
と話を続けてきた。
「いま轟くんが頭に浮かんだ子ってどんな子なの?」
「どんな……そうだな、料理が上手くて、俺にすげえ良くしてくれる。」
「ほうほう…。」
「そ、それで…?」
緑谷はどこからかノートを取り出し俺が挙げた園生の特徴を箇条書きにしている。
麗日はと言えばいつになく真剣な顔つきで俺の言葉に頷いていて。
飯田は緑谷の姿を見て「相変わらずだな!」と楽しそうにしていた。
他人に園生のことを話したことがないからか、上手く言葉として出てこない。
俺はゆっくりと園生の事を思い出しながら自分の感情を整理していく。
「笑った顔を見るとなんか安心するし、何気ない話をしている時、すごく落ち着く。…ああ、でも距離が近すぎるのはダメだ。なんか落ち着かねぇ…。」
「…………麗日さん、これは」
「うーんグレーやね。」
緑谷の神妙な声に麗日が渋い顔でそう答えた。
「なんで灰色なんだ」と聞けば「轟くんは天然やから」と返ってきた。どういうことだ。
首を傾げていると緑谷は苦笑いを浮かべながら声をあげる。
「でも、なんかいい子なんだろうな、って感じはする!!」
「ああ!話を聞いていてもとても好感の持てる人物だ。」
「………あぁ、すげぇ…いいやつだ。」
(そんな良いやつを俺は…あのクソ親父のように…。)
自分で言っておいて、胸がきゅ、と苦しくなった。
固く拳を握る。力を籠めたせいで段々と熱さを持ち始めた右手が小さく疼いた。
普段は体温の低い右側の半身が少しずつ燃えるように熱くなっている気がする。
俺が再び黙ったところでそれを静かに察した麗日が「でもさ、」と会話を再開させる。
「"好き"とかは置いといて、轟くんにとって大事な人なんやろうな、って言うのはすごい分かった!轟くんむっちゃ楽しそうやもん。」
「楽しい?」
どうして。
園生のことを考えるだけで今だってこんなにも苦しいのに。
「だってその子の話してる時の轟くん、すっごいゆるゆるな顔しとったよ?」
「こんな風に、」と自分の顔を緩ませ笑顔を見せる麗日は、随分と締まりのない顔をしていた。
………………
「俺はそんなに顔のびねぇぞ」
「あっ!さりげにひどいこと言った!」