好きだった、本当に好きだった。
真っすぐな瞳も、時々見せてくれる優しい笑顔も。私を本気で心配してくれる格好いいところも。
ーーー全部、全部好きだった。
けれど、この想いはもう自分の中で封印しなくちゃいけない。
私は…
私は、失恋したんだから。
『うぅ……、ふっ…うっ…』
…あれからどのくらい時間が経ったんだろう。
私は玄関にへたりこんでから一歩もそこを動けずにいた。
しん、と静まり返った空気の中で自分のすすり泣く声だけが "これは夢じゃない。" と私に現実を突き付けてくる。
私は途方に暮れながら、ただただ涙を流し続けていた。
(轟くん…とどろきくん…っ)
ショックと悲しみでぐちゃぐちゃになった心の中で繰り返すのは愛しい人の名前。
…前はそれだけでとても幸せな気持ちになれたのに、今は余計に苦しいだけ。
轟くんのことを思えば思うほど、胸が張り裂けるような、暗い海の底に引きずり込まれるような、
そんな息苦しい感覚に襲われる。
ゆっくり呼吸をして、胸のつかえをなんとかしようと試みたけれど肩が跳ねてしまってそれも叶わなかった。
苦しい、悲しい、消えてしまいたい…。
こんな感情、全部吐き出してしまえればいいのに。
そしたら…楽になれるのに。
『ーーーれか…。』
『だれか…たすけ…っ』
ピンポーーン…
『っ!』
突然鳴った電子音に、どくん、と心臓が重々しく跳ねる。
室内に木霊したのは来訪者を告げるチャイムの音。
あれだけ溢れていた涙は一瞬で引っ込み、嫌な緊張感が私を包んだ。
(…………もしかして…轟くん…?)
こんな時間に尋ねてくる人なんて限られてる。
私は真っ先に彼の顔が浮かんだ。
さっき部屋の前で何か言いかけていたし、可能性は十分にある、と思う…。
(どうしよう…)
こんな涙でぐちゃぐちゃの顔、見られるわけにはいかない。
私は鞄の中からそっとポーチを取り出し折り畳みミラーで自分の顔を確認した。
うわ…目元すっごく真っ赤…。
(…居留守、しようかな…。)
こういうの…本当はいけないんだろうけど、緊急事態だし仕方がないよね。
私はもたれていた玄関の扉からゆっくりと離れ、物音を立てないように努めた。
ピンポ―――ン…
『………………』
ピンポ―――ン…
『………………』
ピンポ―――ン…
(な、なかなか帰ってくれないな…!?)
何度も何度も押されるチャイムの音に静かに驚愕するもしかしてコレ、轟くんじゃないんじゃ…。
そう思って私がドアスコープを覗こうとした、その時。
「ーーーオイ…中にいンのは分かってんだよ…」
『え………。』
扉越しに聞こえてきたくぐもった声に、思わず声を漏らす私。
その声にはとても聞き覚えがあった。
(この声…もしかしなくても…っ!)
「早よしろやアホ女ァ!!!」
『ひゃーーーっ!?!』
そんな怒鳴り声が聞こえてきたかと思えば今度はBoooooM!!!という爆発音が。
"もしかしたら近所の人が通報して警察沙汰になっちゃうかもしれない…!"
そう考え至った私が慌てて玄関を開ければ、そこには片手を爆破させながら不機嫌を露にした爆豪さんが立っていた。
「ーーーテッメ…俺相手に居留守使うたぁいい度胸してんじゃねぇかアホ女ァ…。」
『ご、ごごごごめんなさい…っ!!!』
こめかみをぴくぴくと引きつらせ、文字通り鬼の形相をしている爆豪さん。
これは所謂マジギレと言うヤツじゃないだろうか…!!
こうなってしまえば私がやるべきことは一つ。平謝りするしかなくて。
暫く無心でぺこぺこと頭を下げていれば、彼はいつものように鼻を鳴らし、怒りを抑えてくれた。
とりあえずこれで一安心だ。
(…それにしても、一体何の用で来たんだろ。)
今日は爆豪さんとお約束しているお料理教室の日じゃないし…。
かといってそれ以外に爆豪さんが私を訪ねてくる理由も見当がつかなくって。
私はおそるおそるといった具合に尋ねてみることにした。
『ーーーえ、えーっと…何か御用ですか、爆豪さん。』
「……………。」
『?えと…ばくごうさーー』
「…オマエ、なんかあったんか。」
『……………え。』
「外まで聞こえてた。」
『……………あ、』
私の濡れた袖口を見つめながら、爆豪さんはいつもとは違う抑揚のない声でそう呟いた。
その、淡々とした感情の読めない台詞に咲子はひゅ、と喉が鳴った気がした。
(聞こえて、たんだ……。)
何が、とは言わないあたり、爆豪さんはやっぱり優しい人だと思う。
私は泣いているところを悟られてしまった恥ずかしさと、彼の不器用な優しさに目頭がまた熱くなるのを感じた。
(あぁ…嫌だ、私。爆豪さんに弱いとこばっか見られてる気がする…。)
……だめ、だめ。しっかりしなくちゃ。
『ーーーな、なんでも…っなんでもないですよ!ちょっと虫が出て怯えてただけで…』
「………気づいてねぇなら教えてやる。 オマエ嘘吐くとき瞬きが多くなるよな。」
『!』
淡々とした、それでいて迷いのない爆豪の声に咲子は思わず顔を上げた。
さっきまでとは違い、いつになく真剣な表情を見せる爆豪に咲子はごくりと生唾を飲み込む。
彼の特徴的な赤い三白眼は咲子の瞳の奥の不安や戸惑いを見つめているようだった。
『……………っ、』
「……………」
『ぅっ…ふ、……ぅ…』
「……………」
『ばく、ご……さん………っ』
あたたかくて、ふやふやとした涙が溢れ零れ落ちたその瞬間。
爆豪さんは私の肩をそっと抱きしめてくれた。