後悔

「やっぱり蕎麦は美味ぇな」
『………今度からかったらカップラーメン食べてもらいますからね。』

ずずっ、と麺を啜る俺に園生が不貞腐れたように口を開く。

棘を感じさせる淡々とした口ぶりで薬味に箸をつける園生はさっきの事を言っているらしい。

機嫌なおってなかったのか。

『あんな恥ずかしい事…今時カップルでもしないだろうに。』
「?何のことだ」
『さっきのやつですよ!お、おでこの!』
「やるだろ、普通。熱測るとき。」
『ふ、普通って一体…。』

くっ…と箸に力を籠める園生の顔つきは険しい。

今日は本当に忙しいな。感心しながらまじまじと変化していく表情を観察する。

『それに私全然風邪引いたことないんですよ!インフルエンザとかもかかったこと一回しかないし!小中学生の時なんか皆勤賞とったんですよ!』

凄いでしょ!と言わんばかりに興奮気味に喋る園生。
その姿に思わず口元が緩む。

馬鹿にしている訳じゃねぇけど、園生が一生懸命に何か言う時、なんかつられて笑っちまうんだよな。

『高校の時だってインフルエンザにかからなければ皆勤賞狙えたかもしれないのに…』
「…っふ、」

「あの時は本当に悔しくって…」と眉間にしわを寄せながら語る園生にいよいよ我慢できなくなって声に出して吹きだてしまった。



『昔から私元気だけが取り柄なんですよ。ちょっと体調が悪くてもぐっすり寝ちゃえば平気だし。おっきな怪我をした事なんかも一度もないな…』
「そういう個性なのか?」
『あー…そういう個性の人もいるみたいですけど、私はただ本当に健康なだけですね。』

そう言ってへにゃりと笑って見せる園生。

そう言えば園生の個性ってなんだ…知らねぇな。

「なぁお前の個性って…」
『あー…えっと、私の個性ちょっと変っていうか…。特殊で…。』
「特殊?」

言葉に詰まる園生の台詞をそのまま口にする。

園生はぽつりぽつりと自分の事を話し始めた。

『"ドッペルゲンガー"って言うんです。私の個性。』
「"ドッペルゲンガー"?」
『はい。自我を持つもう一人の自分を生み出して作業を分担できます。サキコちゃんって私は呼んでいて、変な話なんですけど結構仲良いんですよ。バイトの時とか結構重宝されてたなー…』

自分がもう一人いる、という感覚が上手く掴めず呆気に取られていると園生は「自分の中では結構当たり前になってるんですけどね」と笑って見せた。

『店長さんとか同じバイト仲間の人もありがたがってくれて嬉しかったなぁー…まぁ、お給料は1人分でしたけど。あ、でも特別にロッカーは二つ用意してくれて…』
「大変だったんじゃねぇのか?」
『えっ…?』

ぱちぱち、と黒目の大きい瞳が不思議そうに瞬きを繰り返す。

透き通ったその瞳を見つめながら、俺は静かにやりようのない怒りを感じていた。

「お前のことだからその店長だかバイト仲間だかに頼まれたりしたら無理してシフト入れてたんだろ。大体二人分働いているんだったら給料もその分きちんと貰うべきだ。」
『と、轟さん…?』

変に遠慮深い園生のことだから倒れる寸前まで"大丈夫"とか言いそうだ。

長所と言うには自己犠牲の色が強いその性格に初めて苛立ちを覚える。

ふにゃりと笑うこの笑顔に付け込んだ輩がいるんじゃないか。

そう考えただけで自然とどす黒い感情が自分を取り込んでいく。

気づけば歯ぎしりまでしていた。弱い人間を虐げる糞野郎はどこにでもいるもんだな。



「その店長ロクな奴じゃないな…」
『き、きちんと良い人だったんですよ…!本当に無理な時はちゃんと"無理です"って言ってましたし全然平気です!お給料は、まぁ…出来れば二人分欲しかったけど…。』

話を聞く分にその店長は園生の個性を良い意味でも悪い意味でも買ってたんだろう。

俺の推測を否定しなかったところから見て周りからアテにされていたってことは事実みてぇだし。

それでもそんな奴を必死に弁護する園生は本当にお人よしだと思う。

大体こいつの"良い人"の定義ってなんなんだ。

そんな疑問を直接本人にぶつけたい気持ちに駆られるが、これ以上追及すれば園生に悪いかと思い自粛する。

それでもどうにか忠告をしたくて「そういう時は誰かに甘えたり断わったりしてもいいと思うぞ。」と付け加えれば園生は困ったように笑うだけだった。



『…なんか、轟さんってすごくモテそう。すごく優しいし親身になってくれるし…とっても格好いい、ですし』
「………そうか?」

脈絡のない園生の言葉に思わず顔をしかめる。

"格好いい"という単語が園生から飛び出してきたところで小さな針がちくりと胸を刺した。

一瞬反応が遅れ、返事が思いのほか低い声色をしていたせいか園生の顔が強張った。

ほんの数秒、沈黙が流れじっとりとした空気が流れたがそれを園生の明るい声が吹き飛ばした。



『えっと…あ!か、"格好いい"と言えばですね!轟さん、"人気イケメンヒーロー・ショート"って知ってます?』

ーー…どくり。



瞬間。
今まで何の主張もしていなかった心臓が大袈裟に跳ねた。

テーブルの淵に置いていた右手が一度だけぴくりと動いて、一切動きを止める。



『うちの大学の女の子たちに人気なんですよ。…って、言っても私どんな人なのか知らないんですけどね。』

『エンデヴァーの事務所の広告塔で、いろんな雑誌に特集が組まれててすごいんですって。』

『私、ヒーローってずっと敵を倒すのがお仕事だと思ってたんですけど、なんだか俳優とかアイドルみた……?轟さん?』

俺の異変に気がついたのか、園生が心配そうに俺の名前を呼ぶ。

けれど俺には園生を気遣う余裕なんて微塵もなくて。



「ー…悪ぃ、今日はもう帰ってくれないか。」
『えっ…』
「聞こえなかったのか。悪いな声が小さかったみてぇだ…帰ってくれ。」

ゆっくりと息を吐きながら心臓をなだめるように言葉を紡ぐ。

徐々に冷え込んでいく右手の拳も、やけに大きく聞こえる胸の鼓動も全部不快で仕方がない。

やめてくれ、こんなことお前に言いたいんじゃない。

苛立ちに任せてローテーブルに拳を叩きつければ園生の肩が一際大きく跳ねた。

その瞬間、まるで潮が引いたようにさぁ、と血の気が引いて激しい後悔と罪悪感が身を包む。





『ごめんなさい。』

震えた声で、弱々しく俯き謝罪を口にする園生の頬から雫が滑る。

音もなく頬から顎へ伝い、水滴になって落ちたかと思えばまた片方の頬から同じように雫が落ちた。

少し遅れて鼻をすする園生は絨毯に染みた涙にハンカチを当ててもう一度謝った。



『ごめんなさい、明日の分はノブにかけときますから。』
「待っ…」

伸ばした左手が空を切る。

小さな背中を追いかけて、閉められた玄関のドアを掴めばひんやりとした金属特有の冷たさによって現実に引き戻された。

「泣いていた……。」

皮肉にも、涙を流した園生のその姿は今までで一番お母さんに似ていた気がした。