三月九日

三月九日。

今日は、私の大好きな人の卒業式だ。



『天喰先輩…っ』
「名字さん…」

桜が舞い散る校門の前で、卒業証書が入った筒を持つ彼を見つけた。声をかけて「おーい」と手を振れば彼が苦笑しながらゆっくりと振り返る。



(あぁ、好きだ。)

少しはねた黒髪。吊り上がった瞳と困ったように下がった眉…。

年上なのに私よりも自信がないところも、いつもいつも些細なことで悩んじゃうところも。

(全部…全部好きだった。)

でも、それも今日で終わり。

今日でこの人とは、お別れなんだから…。

(…………っ、)

"終わり"という単語に思わず鼻がツンと痛む。

けれど私はそれを彼に悟られないよう、にまっと微笑みかけた。



『ーーーご卒業、おめでとうございます!』
「うん…ありがとう。」

えへへ、と笑えば先輩も苦笑いだけど笑顔を返してくれた。きっと先輩は私が無理して笑ってる事も見抜いてるに違いない。



(やっぱり…優しい人だ…)



けれど、その優しさがどこか残酷なものに感じてしまうのはどうしてだろう。まるで私に一線を引いているような…そんな気がして…。



(なんか…寂しい…。)



私は心臓がきゅ、と縮こまった気がした。






『ーーー先輩にもう会えないなんて…もっともっと色々教えてほしかったです…。』
「インターンでまた会えるよ…。君も来るんだろう?ファットの事務所。」
『それは…そうですけど…。』



卒業後、先輩はファットガム事務所のサイドキックをするらしい。

私も来年はファットの事務所に就職しようと考えてるから、インターンで何回か会えると言えば会えるけれど…。

(インターンでしか会えないなんて…そんなの寂しいよ…。)

学校の食堂にも、玄関にも、教室にも…先輩がいないなんて…。






(…やっぱり、無理…)



心がほろほろとふやけてゆっくりと崩壊していく感覚。

瞬きをぱちぱちとしたら滲んでいた視界が急にクリアになって、雫が頬を伝った。



「ーーー名字さん?」
『うっ……ふ、っ…うぅ〜…』

それを見た天喰先輩は目を見開き、ひどく驚いていた。

"先輩を困らせてしまっている。"

そう、悟ったらまた涙があふれてしまった。



「ごめん…なにか気に食わない事でも…」
『………そうじゃ、ないんです…。』

無理に紡いだ言葉はしゃがれてしまっていて。

可愛さの欠片もない声になってしまった。

先輩は「とりあえず…」と言ってハンカチを渡してくれたけど、私はそれが申し訳なくて自分の物を使った。



(ーーー駄目だ…会えないだけでこんなに泣くんだもん。向こうで先輩に彼女とか出来ちゃったらもっと泣いちゃう…。)

(言わなきゃ………後悔する…。)






『ーーーき、です。』
「え…?」



「ごめん、聞こえ…」
『好きです、天喰先輩。』



"ーーー好き、好き。"

"先輩のことが、好き。"



言葉を紡げば紡ぐほど…先輩のことを想えば想うほど、ぽろぽろと涙が溢れてしまって。

ぼたぼたと止めどなく溢れる涙に想いをのせて、私は先輩にさよならとは言わずに好きだと言った。



『ーーーうっ、ふ、せ、んぱい…っ』
「………なに?」
『先輩の…、ネクタイを、ください。』

雄英高校にまつわる古いジンクス。

卒業式の日に好きな人に「ネクタイをください」と言い、その要求が通れば申し出た人の願いが叶う、っていう安っぽいもの。

普段なら信じないであろうよくある恋愛もののジンクス。

それでも私はそんなジンクスに縋ってしまいたくなるほどに、心が摩耗していた。



「ーーー俺のでいいの…?」

そのジンクスは先輩も知っていたようで。

先輩の不思議そうな声にこくこくと何度も頷く。



『先輩のネクタイが、欲しいんです…。』

"先輩のじゃなきゃ…駄目なんです…。"

顔に熱が集中するのを感じながら、周りから好奇の目で見られているのを感じながら。

私は先輩の言葉を待った。



「俺のネクタイ、で…よかったらなんだけど」

"その代わり"

そう言って先輩は何故か私に向けてゆっくりと手を伸ばす。

私が訳も分からずぼけっとしていたら、先輩は照れ臭そうに頬を掻いた。



「名字さんのネクタイを…俺にくれないか…」
『えっ…』

「名字さんのがあったら向こうで頑張れそうな気がするから。」

そういう彼の頬はいつになく朱に染まっていて。

私は急いでネクタイをしゅるしゅると解いて彼に手渡した。

「ありがとう…。これで俺も頑張れる…。」
『先輩…それって…』

「俺も、名字さんのことが好きだったんだ。」

「卒業式まで言えなかったけれど…」そうぼやく天喰先輩は耳まで真っ赤になってしまっていて。



『じゃあ…私たち…』
「うん、両想い…みたい、だ。」

気恥ずかしそうにそう言う先輩。




(私は先輩のことが好きで…先輩も私のことを好きでいてくれている……。)

(どうしよう、幸せで死んじゃうかも…)



『先輩…っ!!』
「うわ…っ!」

私は迷わず先輩の胸元に飛び込んでいた。

『先輩大好きッ!!!』

ぎゅぅっと私より広い背中に腕を回して愛の告白をすれば。

彼は私をやんわりと閉じ込めるように抱き返してくれた。