『あ、こんにちはーファットさん』
「おー名前ちゃん。」
朝、人もまばらな商店街の一角にその子は今日もおった。
名字名前ちゃん。老舗の和菓子屋"名字屋"の孫娘や。
『ふふっ、何かいいことでもあったんですか?なんだか嬉しそう。』
「そんなん当たり前やん。名前ちゃんに会うたらどんな時でもファットさん元気100倍やで!」
『えぇ?…もう、本当にお上手なんだからっ』
くすくすと可笑しそうに笑う彼女。
そないな何気ない仕草にさえ、年甲斐もなくどきどきとしてまうようになったのはいつ頃からやろ。
少しだけ目を細めて名前ちゃんを盗み見る。
(睫毛長っ…。肌とか真っ白しろやん。)
口元を覆う指先もすらりとしていて妙に色っぽい。
名前はそんなファットの視線にも気づかず「今日もお天気みたいですよ」とへにゃりと笑って見せた。
(そこいらのアイドルなんぞよりむっちゃ可愛え…。)
髪を耳にかける名前の仕草にファットガムはごくりと唾をのんだ。
半年前、東京から和菓子作りの修行に来た名前は商店街のアイドルのような存在だった。
気立てが良く、頑張り屋な名前は町の人間にとても好かれ、彼女の笑顔を一目見たいがために足繁く通うお客もいるくらいだった。
それはこの男も例外ではなく…。
『ー…あ、聞いてファットさん。今日から私が作ったものも置いてもらえることになったんです!』
「ほんま?名前ちゃんえらい頑張っとったもんなぁ…よかったやん!」
『うふふっ!これもファットさんのおかげです!沢山試食してくれてどうもありがとう。』
律儀に姿勢を正して頭を下げる名前にカカ、とファットは大きく笑う。
名前は以前より店で販売するための和菓子を試作してはファットに試食を頼んでいた。
名前としてはファットガムに味の評価をしてもらえるし、ファットガムとしては無料で甘いものを摂取できるため所謂win-winの関係だと言える。
名前の話によるとどうやら名前とファットガムの努力が実ったらしい。
それはファットガムにとってもとてもいいニュースだった。
「困っとる人間を見たらほっとけんのがヒーローっちゅーもんや!そない気にする事でもないて。」
『わ、わわ…!』
柔く結われた丸い頭を大きな手の平でゆっくりと撫でファットはフ、と顔を緩ませる。
『私もファットさんのお役に立てて良かったです!よかったらまた甘いもの食べてってくださいね。』
「…はは、そうさせてもらうわ!」
(この子はなーんも知らんと…。)
本当は甘いものなんて二の次だった。
名前に会えれば、名前の笑顔を独占出来ればそれだけでよかった。
(こない純粋な子に嘘をついてしもた。)
ファットの胸がちくり、と鈍く痛みだす。
ヒーローとして…100%の善意で名前の試作を試食したわけではないと知ったらこの子は幻滅してしまうだろうか。
そこまで考えてファットは顔を曇らせる。
(名前ちゃんにとってのオレはただの優しいヒーローなんやろなぁ…)
街のみんなを守るヒーロー。
そんな肩書きを疎ましく思う日がくるなんて思ってもみなかった。
「ー…あっファット!!こんなとこにいたんスかー!」
「またこんな所で道草食ってたんですか…」
「切島くん…!それに環!」
『あら環くん…。…と、えと…どなた?』
視線を下に落としていたら、不意に聞こえてきた元気な声。
声のするほうを見れば快活に笑う切島と天喰が駆け寄ってきていた。
名前も思わず曲げていた腰を戻す。
「こんちは!いまファットの事務所でインターンさせてもらってる雄英高校の切島です。」
『こんにちは。ふふ、随分元気な雄英生さんですね…。よろしく切島くん。私は名字名前って言います。』
ぴん、と綺麗に伸びた背筋を折って名前がまた腰を曲げる。
切島はそんな名前をみてぱちぱちとした後、指をさして声をあげた。
「名前さんってあの…?」
『え?"あの"…?』
「あーーーっ!い、いや!ちゃうねん!!ちゃうねんほんま!!な、環!!」
「切島くんほんと頼むから余計なこと言わないで…」
ファット本人から度々名前を聞いていた切島は、"本物っスか"と嬉しそうに声をかけたがファットと環は気が気ではなかった。
今まで何においても予想の斜め上の行動、言動をしてきた切島。
悪意なく名前の前でうっかり何か口を滑らせるやもしれない。
それは思いを募らせるファットにとっても面倒ごとを苦手とする環にとっても避けたいことだった。
「ー…切島くんちょっとこっち来て…」
「えっなんスか環先輩」
「いいから。」
"ここに切島を置いておくのは危険"
そう判断した天喰は半強制的に切島を名前から離れさせることにした。
(ほんまありがとう環…あとで飴ちゃんやるわ…)
(要らないです)
(エッ…)
環に目配せをしたファットだったが環のいつにない辛辣な態度によってあっさりと拒否される。
最近の若いモンはえらい冷たなってしもたなぁ…とうっすら涙を浮かべていたら名前の明るい声によって現実に引き戻された。
『ー…あ、そうだ。ファットさん、これうちの新作なんです。』
「はっ!?あ…え、何?新作?」
名前が大事そうに店の裏から取り出したのは"すあま"だった。
『よかったら口寂しい時にでもつまんでください。』
「なんやむっちゃ美味そう!これ何?」
『あ、やっぱり知りません?すあま。』
「すあま?」
かまぼこのような形をした和菓子だと一瞬思ったが名前の言い方に引っかかりを覚えたファットは不思議そうに見つめていた。
「なんやめっちゃかまぼこみたいやな!」
『あはは、確かに似てますよね。関東では結構メジャーな和菓子なんですよ』
「へぇー…」
「インターンで来ている学生さんたちの分もどうぞ」と差し出す名前に簡単に礼を言う。
「ほな早速貰ってもええ?実は朝飯まだ食べてへんのや」
『ふふ、どうぞ。』
ファットはひょい、と口にそれを放り投げた。
「!なんやめっちゃ美味ー…」
「ええーーっ!ファットってあの人とまだ付き合ってないんスか!?」
「ブーーーッ!!」
まだ人通りが少ない商店街に切島の驚きの声が響き渡る。
思わず味わっていた すあまを吹きだしてしまったファットは急いで切島のもとへと向かう。
見れば環が手で顔を覆い何かつぶやいていて。
「切島くん どうして君ってそんなに声が大きいんだ…」
「えっ!なんスか!?オレ何か…」
「アカン!切島くんもうこれ以上なんも言わんといて!!!」
「あぁファット。すんません…あれだけ毎日好き好き言ってるから名前さんって彼女さんなんだと…」
「あーーーーホンマもうやめて!!!」
『あ、あの…』
小声でひそひそと話していたファットの肩が大きく揺れる。
ゆっくりゆっくりと声のするほうを向けば、それはもう可哀想なくらい真っ赤になってしまった名前が俯きながらファットをじぃ、と見つめていた。
(アカン…終わったわ…)
考えてみれば彼女の前でひそひそ話なんて出来る訳がなかったのだ。
名前の個性は"超聴力"。
意識して聴こうとすれば5km先まで音や声を聴くことが出来る。
つまり彼女に先ほどのやり取りは筒抜けだったわけで…。
「あ、いや…その!これは…」
『本当ですか?いまのやり取り…』
「あーー……うん、そう、ほんま。」
2mを超えた大の大人が高校生二人と女の子を前に何をしているのか。
そう自分自身に問い質してしまいたくなるほどの羞恥と緊張がファットを包む。
しかし、それはファットと対峙する名前も同じなようで。
彼女も言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
『わ、私…あの、えっと…』
「名前ちゃん、実は俺、前から…」
『私、ファットさんのこと、好きです。』
「え」
『多分、ファットさんが私とお話してくれるようになった前から…ずっと、好きでした。』
「!!」
言い終わってから羞恥に耐えられなくなっただろう名前が小さく手で顔を覆う。
そんな名前の様子を見てファットは一瞬頭が真っ白になった。
(なんやこの生き物…)
「可愛すぎかッ!!!」
ファットはそう言うや否やぎゅむ、ときつく名前を抱きしめた。
『わ、わ…ファットさん…!?』
「〜〜〜!!名前ちゃん可愛え!ほんま大ッ好きや!!」
………………
『んむむーっ!!』
「ファット、ファット、名前さん捕獲してる。」