木兎の父親は嵐みたいな男だった。朗らかで豪快、型破りなのだけど周りを惹き付けてやまない、誰よりもやさしい男だった。よく人となりを表す比喩として嵐のようだという言葉を聞くけれど、黒尾が心底そう思った人物は後にも先にもこの男以外にはいない。バレーに関しても持ち前のパワーとバネでチームを引っ張り、実業団やプロとしてやっていけるだけの力は十分にあった。その嵐は嵐なだけあって、大学に入学して間もなく、高校生の頃から付き合っていた恋人の妊娠を機に学生結婚。そこで授かったのが木兎だ。堕ろすという考えは微塵もなかったらしく、そして躊躇うこともなく籍を入れた。我が子に日本代表で活躍する自分の姿を見せるのだと言ったときの笑顔は、今でもはっきりと覚えている。嵐が去ったあとの碧空にきらめく太陽みたいに、鮮やかで眩しい笑顔だった。

 黒尾は生来恋愛対象が男性なわけではない。それなりに女性とは付き合ったし、他の男性に惹かれることも一度だってなかった。どうして木兎の父にだけはこの胸がうるさく鼓動したのか、それはいまだにわからない。だからと言って愛されたいだとか彼女が妬ましいだとか、腹の底ではどうだったのか自分でも定かではないけれど、思ったことはないはずで。羨望も含めた淡い恋心みたいなものだったのかもしれない。どれだけ考えてみたところで、もう答え合わせもできないのだけど。

 大学卒業を間近に控え、桜の蕾もふっくらと膨らんでいたあの日。やけに風の強い日だった。もう少し早く桜が咲いていたら、きっとあっという間に散ってしまったであろうほどの強い風が。桜の代わりに木兎の父親をさらっていった。ロードワークの途中、風にあおられて転んだ木兎と同じくらいの年の子供を庇って、その刹那。事故もそうなのだけど、全ての事象は偶然が積み重なって起こるものだと聞いたことがある。もちろん起こるべくして起こることもあるだろう。ただあの日の事故は、やっぱり悲しい偶然が幾重にも重なった結果なのだと思っている。熱を出した木兎を病院に連れて行ったためトレーニングの開始が遅れたこと、驚くほど風が強かったこと、目の前の横断歩道で小さな子供が転んだこと、そこに携帯に気を取られた運転手の乗る車が突っ込んだこと。どれかがほんの少しでもずれていたら、未来は変わっていたのだから。

 桜はあと少し、もう少しで花を咲かせるはずだったのに。日の丸を胸に、その勇姿を息子に見せてやれるはずだったのに。一報が届いて病院に駆けつけたとき、色素の薄い、けれど目が眩むほどに輝いていた、何もかもを見透かしてしまう瞳はもう見ることが叶わないのだと、深い悲しみと共にどうしてか安堵している自分がそこにいた。断じて薄情なわけではない。ただ、己の深淵をあの瞳に覗かれ、暴かれることがたまらなく嫌だったから。ゆるりと芽吹いた想いを突き付けられることがたまらなく怖かったから。これでこの淡く認めたくない想いも、風にさらわれて舞い上がり、空へと消えた。そのことに、みっともなくも安堵してしまったのだ。

 息子を失った木兎の祖母は、あまりに早すぎる親不孝に床に伏せる日々が続き、祖父も仕事と慣れない介護に疲弊していった。母方の祖母は早くに亡くなっていて、木兎は母親が泣きながら、それでも強く強く抱き締めながら育てていたのだけど。彼女もまだ若く、優しくて弱いひとであった。夫の面影を色濃く残す木兎。そればかりか成長するにつれ、真っ直ぐで淀みのない瞳があの人みたいで恐ろしいと涙を流すのだ。父親に似た輝きを持つ息子を支えに生きるほど強くはない母親を、黒尾は責めることができなかった。自分は他人だけれども、彼から早々に逃げたのだから。

 病院に通うようになり、何に効くのかもわからない大量の薬を震える手で飲む母親に、自分が木兎を育てようかと告げたのは、父親を亡くしてから四年後のことだった。幸いにも虐待はしていなかったようで、だからこそ母親は更に自分を追い詰めたのかもしれないけれど、縋って声を上げ泣く姿はいまだに忘れられずにいる。時が癒すことのできない悲しみもあるのだと、思い知らされた瞬間だった。

 そうして木兎は黒尾宅に引き取られ、今に至る。未婚の男が一人で他人の子供を育てるなど、まともではないと反対もされた。けれど黒尾にはよくなついていた木兎を守ってやりたいと、ひとりぼっちにはしたくないと思ってしまったのだ。やわらかな陽の当たるところに出してあげたかった。これが父性なのか母性なのかはわからない。同情かもしれないし、父親に対する引け目なのかもしれない。ただ、この子供がいとおしいと思ったことに嘘はなかった。今でもその気持ちはひとつも変わらない。

 突然母親から引き離されたというのに、あの頃の木兎は一度も泣かなくて、けれど何をするにも離れることなく後をついて回った。まるで黒尾が自分の側にいることを確かめるみたいに。そしてまだ小さいからと変に隠すことはせず、両親のこと、祖父母のこと、お前は間違いなく愛されているのだと常から言い聞かせてきた。もちろん黒尾自身血の繋がりはなくても、こんなにも愛していると言葉で、行動で示してきたつもりだ。いつだって、何度だって。働きながらひとりで子供を育てるというのは、想像していた以上に大変なことだったけれど、木兎はそれは素直に明るく育ってくれている。少しだけ甘えん坊な気はしないでもないけども。




「てつろー。一緒に寝てよ」


 木兎が鉄朗と呼ぶのは甘えたがっているサインだ。中学生にもなって一人で寝られないのかと何度叩き出してもまた必ずやって来る。そんな木兎をベッドに入れてやることなく眠ったある日、夜中にふと目覚めると、ベッド脇に敷いてあるラグの上で身体を丸めて寝ていたことがあって、その姿を見て以来無下に断るのはやめにした。ただ、図体の大きな男が二人、セミダブルのベッドで寄り添って寝るのはどうなのだろう。しかも寄り添うというより、抱き締められているというか、拘束されているというか。うつ伏せで寝る黒尾に腕や脚を絡ませる木兎は体温が高めで、そのぬくもりが存外心地よかった。

 甘やかしているわけではないし、育て方を間違ったわけでも、決してない。はず。


「……おいで。歯磨きは?」


「した!てつろーは寒がりだもんな。俺があっためてやる!」


「そりゃどうも。ほら、お前もちゃんと入れ」


 一緒に寝てよなんて殊勝な言葉を吐いたくせに、次の瞬間にはあたためてやるときた。犬なのか狼なのかわからないところが可愛いのだけど、このまますくすく育てば超大型肉食獣に進化してしまう可能性は否めない。


「お前の部屋のベッドいらなくね?」


「そうだなー、いらない!俺はこっちが好き」


 むぎゅっと抱きついてくる木兎は風呂あがりなのもあって、普段よりずっとあたたかかった。鼻先を首筋にこすりつけたり、両腕にとどまらず両の脚でも黒尾の身体を挟み込んだりとその動きは忙しない。けれどそうしながら一日の出来事を互いに話す、このゆるやかな時間は気に入っているので好きにさせておいた。半乾きの髪が頬に触れてくすぐったい。


「なあ、鉄朗。俺ちんこ痛い」


「……?なんで?どっかにぶつけたか?」


「違う!ちんこでかくなって痛いの!」


 こういうときの対処法は。


「…………」


 考えたことが、なかった。






 ※間違いなくぼっくろです。


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