「……めだ…に……て…かよ…」


「…………」


 あたたかい。それに甘い匂いがする。枕は少し硬くて、何かがふわりふわりと髪に触れていた。身動ぎもせず目をしばたたかせれば、その琥珀に映るは黒髪の男。髪に触れているものは男の手のひらだった。そして身体に掛けられているのは滑らかな肌触りの黒い上着。ならば自分は膝枕をされているのだろうか。不意に下を向いた男と視線が絡む。眠たそうな、けれどやわくとも底のない深さを見せる、切れ長で艶かしい目の男。彼の薄い唇がゆるりと引き上げられた。


「おはよう。お前寝ててミリも動かねえのな」


 息してるか確認したわと笑う男は楽しそうだ。楽しいという気持ちはよくわからないけれど。ぽたり、大海にひとしずく水が混ざる。


「……おはようございます」


「無気力クンなんだって?もったいねえな」


「……」


 頭を撫でていた手のひらがするりと頬を辿った。そうしてそのままの流れで親指の腹がふにふに唇を押して、伝って、遊ぶ。ぽたり、もうひとしずく水がしたたった。小さな小さな波紋が見えるような気がして、どうしてかふるりとひとつ身震いをする。男の長い指は、冷たいくちびるをあたためるみたいに、とろりとやさしく触れるのだ。再び眠りに落ちてしまいそうになる。闇夜の黒が細められ、ふうっと吐息が笑んだ。


「……無気力ってより雛だな」


「……ひな?」


「白鴉」


 はくあ。白変種の鴉は神の使いだと言うけれど、自分はきっと育たないし、翔べないに決まっている。羽ばたくことを望まない雛に、生きる価値があるとは思えなかった。




「……おい。お前は帰れ。帰ってくれ、頼むから。ここは俺だけで十分だろ、フラフラすんな」


 向かいのソファには小柄な男が座っている。煙草男のいた場所だ。月島に膝を貸す男をねめつけながら怒りを滲ませた懇願をし、そうしてちらりと月島を見やった。くるりと大きな瞳の彼はひどく若く見える。


「散歩してんの、俺は。行き先がたまたまやっくんと被っただけにゃん」


 手を招き猫みたいにして笑う男に、向かいの彼はさも嫌そうに冷ややかな視線を投げた。


「お前……キモいな。野良じゃねえんだからおとなしく家で鳴いてろ」


「家猫も散歩大事よ?それに今日は死にかけの雛も拾ったし。なあ、やっくん」


 大きな黒い猫は再び月島の髪を撫でながら、やっくんと呼んだ彼を見つめる。月島の上で飛び交う会話はかなり軽く、それに息もぴったりだった。


「黒尾、駄目だ。お前が率先して揉め事起こすんじゃねえよ」


「ボク、穏健派ですから。どっかの木兎と一緒にしないで頂けますか」


「だったら尚のこ…」


「夜久」


 黒尾はゆるゆると髪を撫でる手のひらはそのままに、一言低く名を紡ぐ。その声には相手の抗弁など欠片も許さぬ響きがあった。言葉を呑み込んだ夜久は、黒尾としばし静かに見つめあう。ただ見つめるという言葉には少しばかり語弊があるのかもしれない。大きな瞳で黒尾を射殺すみたいに睨む夜久に、甘さもゆるさもあったものではなかったから。けれど夜久はさして間を置くこともなしに短く息を吐き出した。


「…………あー、もう!わかったから!穏健派が聞いて呆れるわ。つか澤村んとこにリクルートしようかな、俺」


「やだやっくん、俺の何が不満なのよ」


「全部、全て、丸々、一切、オール、要するに何もかもだ」


「……お前、頭良いな」


 ぴしりと張り詰めた空気も刹那のことで、夜久は早々諦念に到達した模様。何だかんだと言いながらも、黒尾への全幅の信頼が窺える。


「……研磨に連絡するわ」


「ん。頼むな」


 そうして月島へと向けられた笑みは、深くて、甘やかで、少しだけ切なげで。けれど呑まれてしまいそうな、ほの昏いものでもあった。


「つきしまけい、か……ツッキー?蛍?お前さ、人生いらねえんだろ?だったらうちにおいで」


 月島蛍が、黒尾鉄朗と、出逢った日。






 


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