金田一が運転する車の後部座席に身を沈め、目をつむり深く息を吐き出す。手には塚原より渡された茶封筒。その中身は幾つかの口座番号や金の流れを大まかに記した紙数枚だ。そう、ご丁寧にファイリングされた、薄っぺらいたかが紙切れ数枚。それを隣の座席に放り投げ、再びため息をつく。ただただめんどくせえ。ちらりとバックミラー越しにこちらを窺う金田一に気づいてはいたけれど、塚原の事務所から帰る道中、岩泉が言葉を発することはなかった。


「おー、おかえりー」


 事務所に戻ると当番の組員の他に、だらしなくソファに転がる男がひとり。花巻である。松川の帰りを待っているらしく、そう言えば今日は別行動だったなと思い至る。そんな花巻の向かいにどかりと座り、ガラステーブルに茶封筒を滑らせた。


「ちょっと頼みてえことがあるんだけど」


「んー、シュークリーム何個?」


「店にあるだけ」


「マジで?」


 伸びきっていた花巻が、がばりと勢いよく起き上がる。現金な男だ。


「おう、マジ」


「オッケー!先払い?後払い?」


「……お前、やっすいな。別にどっちでもいいから好きにしろ」


「自分で買うのと買ってもらうのは違うんだよ!じゃあ、今日は松が戻ったら帰るし、後払いな。ってか珍しいな、何かヤバめ?」


 ソファに座りなおした花巻は、どこの店にしようかなあとにやつきながら茶封筒を覗き込む。ファイルを取り出しそこに並ぶ数字と名前を一瞥すると、紙をめくることなく片眉を上げた。そうしてそのまま茶封筒へと戻す。


「経由したフロントと名義人を全部あげてくれ。あと最終的にどこに入ったかも」


「シンガポールとか経由してんじゃね、たぶん。まあちょい待っててよ、出してみるから。これ、どっからの?」


 組の役とは別に各々の役割をこれと決めてはいないけれど、それぞれに得意な分野はあるわけで。花巻は松川や国見と組んで、主にフロント企業の収益管理や投資等、組の金庫番としてごそごそ動いている。そのうえ神城組のみならず、親である青葉会やその直系、二次三次団体までの金の流れを探ることができた。パソコン機器に疎い岩泉には、何をやってどうデータを取り出しているのか全くわからないのだけれど。ひとには向き不向きがあるのだから、そのあたりを突っ込んで聞く気にはならなかった。


「塚原。あの豚、余計な仕事増やしてんじゃねえよ」


「あー、あいつ及川嫌いだもんな。つうか、お前ちゃんと及川に小遣いやってる?一日500円じゃ足んないから手つけたとか?」


「あいつに金持たせたらろくなもん買わねえからな。200円でもいいくらいだろ」


 花巻が声を上げて笑う。そもそも及川が自ら財布を出して支払いをすることはないし、派手な見た目に反して物欲もあまりないのだけども。知らない人間からすれば、湯水の如く散財しているように見えるのだろう。つと及川に一度として使われることのなかった哀れな財布へ思いを巡らせ、小さく笑みをこぼした。そのベルルッティの長財布は、いま岩泉の懐にあるのだ。岩泉こそ物を欲しがることはほぼなく、使えれば何でもいいと思うたちであるというのに。だからこそなのか、及川は自分が選んで買った物を岩泉に与えたがった。女みたいな扱いをされているわけではない。ただ首輪と同じ、歪んだ独占欲を一身に受けているだけだ。度を越せば怒るし、及川とて頭は少々残念でも不必要な物をむやみに買って押し付けるようなことはしないので、そのあたりは好きにさせておいた。どれだけ共にあろうといまも尚ぶつけられる、薄れるどころか際限のない執着を、愛しいなどと思ってしまう自分も大概である。どうやら残念なのは及川だけではないらしい。


「まあな。もう今じゃ及川が小銭数えてる姿とか想像できねえわ。たまには200円で牛乳パンでも買いに行かせたら?コンビニとかに」


 及川がひとりコンビニで牛乳パンを買う姿を思い浮かべたのか、花巻の笑いは止まらない。その笑い声の後ろが少しざわめき、岩泉は入り口へと視線を向けた。


「ただいま。はーい、皆もお疲れさま。岩ちゃん、岩ちゃん!及川さんのお帰りだよ」


 松川と事務所に入ってきた及川は入り口で出迎えた者たちを軽く労うと、甘えた笑みを浮かべながらすぐさま奥のソファへ歩を進める。普段の言動の軽薄さはいっそヘリウム並み。周囲の者は皆それに慣れざるを得なかったので、今では組長らしからぬ態度にも慌てることはなくなっていた。むしろこういった態度でいてくれることを喜んでいるようにも見える。そうでないときの及川を知る者であれば。


「おかえりー。じいさまどうだった?」


 花巻は岩泉が戻ったときと同じように、気の抜けた声音で迎える。ソファの隣に立つ松川と帰るつもりなのだろう、何事もないさまで茶封筒を彼に渡した。恐らく及川が中身に興味を持たぬようごく自然に。そうして岩泉にへばりつく及川は、疲れた腹が減ったを連呼している。


「相変わらずピンピンしてるよ。じいちゃん話長いから面倒なのにさ、何で岩ちゃんも来なかったの。じいちゃんと話が合うの岩ちゃんのほうでしょ」


「……そのじいさまから仕事頼まれたんだよ。お前もたまにはじいさま孝行しろ」


 隣に座った及川から伸びてくる手をにべもなくはたき落とし、眉を寄せ睨めつけた。岩泉が自分をどう扱おうとも一切気にしない及川は、機嫌がいいときのやわらかな笑みを湛え、座ってすぐのソファから立ち上がる。岩泉の手を引いて。再び伸ばされた手は、もう振り払わなかった。


「マッキーたち帰るんだよね?まっつんもお疲れ。岩ちゃんは、こっち」


「お疲れ。用がないならお前らも早く帰れよ。当番の邪魔だからな、組長サン」


 岩泉は手を上げて帰ってゆく松川たちにお疲れさんと声をかける。及川の私室へと連れ込まれる間際に。機嫌がよさそうなのに機嫌が悪い、他人にはわからない及川の陰翳に気づいたのはいつの頃だったか。もう忘れてしまったけれど、最初から、きっとこれからもずっと、自分にしかわからないことであるのは間違いなかった。それに、そうでなくては困る。我儘を言っていつも岩泉を困らせる及川、傲岸不遜で組を害するかもしれない及川、他人がそう思えば思うほど及川に仇なす輩はひとりでに炙り出されるのだから。




「岩泉、わかっているとは思うが、こちらもそれ相応の確証と覚悟を持って動いていることを忘れるなよ」


「もちろんですよ。自分は組にとっての害虫は早めに取り除くべきだと思っていますから。それが盃を交わした相手であっても変わりませんよ。裏切りなど神に誓ってありません」


「そうか、その言葉に安心した。では次の幹部会で話をつけよう。お前も及川が何か動いたら知らせてくれ」


「はい」


 そう、神に誓った。神、に。

 岩泉にしては珍しく、声を上げて笑いたい気分であった。






 


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