いたい つらい くるしい さむい かなしい

いろんな思いがぐちゃぐちゃになって、ただただきゅっと身体をまるくした。


虐待

一般的にそう言われる事が普通に行われていた。虐待なんて言葉を知らないうちから叩かれていた。

父の浮気が発覚。母は女手一つで私を育てた。沢山の苦労と沢山の孤独があったんだと思う。思い通りにいかなくて怒って、叩いて、怒鳴って、振って、叫んで、蹴って…

その後は泣きながらごめん、ごめんって謝るまでが母と私のやりとりだった。

母の目は真っ赤に腫れて、私を殴った手はじんじんと熱をもち、また腫れていた。私は知ってるよ、きゅって身体を丸めて小さく小さくなって我慢してたら叩くのが終わって、母が抱きしめてくれる。怖いことも痛いことも きゅっと我慢すれば終わる。物事もそう。何事もきゅって身体を縮こませ、ぐっと唇を噛み、ぎゅって拳をにぎって、じっと耐えれば 全て終わる。大丈夫、きっと終わる。

中学3年生、あと何ヶ月で卒業式
地元の高校に通い、変わらない毎日を過ごすと思っていた。

あの日は雪が降っていた。身体が痣だらけ、あぁ今日も痛かったなあ、母は泣いていたなあ、ってぼーっとした頭で窓を見ると雪が降っていて、何度も見た景色なのに、綺麗だなあってぽろって口から零れたのだ。
その時、ドンッ と 家の扉が開かれて数人の大人がぞろぞろと入ってきた。
救急車の音が聞こえる、母のなく声、大人が怒鳴る声、いろいろな音が鼓膜を刺激して、私は目を閉じた。


次に目を開けたら病院にいて、そこから物事がどんどん進んで行った。

母は限界だったのだ。児童養護施設の大人たちがあの日私の家に訪れ、虐待だと判断し、私と母の生活は幕を閉じた。
私は父方の親戚と言われる家に預けられることになった。父と母は離婚しており私を引き取る義務なんてなんにもないのに、進んで私を養護してくれた。


「ゆっくり慣れていけばいい。」
「ただ一緒に暮らしたいだけだよ。」

そう言ったおばあさんはしわくちゃな顔で笑った。

そうして、私は地元を離れ、新しい場所で高校生活を送ることになった。
緊張や、戸惑いが無い訳では無い、新しい家族?母はどうなる?もう叩かれない?これからの未来が全く分からない。また叩かれるのか?また怒鳴られるのか?いろんな感情が頭の中を巡るけど、いつも思考はひとつに纏まる。

我慢すればいい。

どこに行ったって、また殴られたって、じっと耐えれば終わるのだ。終わらないものはない。
いつかは生命も尽きる。それと一緒。終わらないことはない。大丈夫大丈夫大丈夫。そうやって下唇をぐっと噛み潰した。今までだってそうだったじゃないか。