ぬるくあやふやな新世界
昨日の午後から夕方にかけてまでぶっ通しで行われた会議に出席し、ずっと質問の返答などをし続けたおかげで、玉狛支部に帰ってきた頃には私はもうへとへとだった。足を動かすのも、口に食べ物を入れて噛むのも、お風呂に入るのも、誰かと話すのも、全てにおいて面倒くさくて、帰宅早々「もう寝てもいい?」とじんゆういちに聞いたほどだ。それを聞いた彼は困ったように笑って「ご飯とお風呂だけは頑張ってよ」と言って私の背中をさすった。私は彼の言う通りそのふたつと歯磨きだけは頑張ろうと思った。歯が汚いのは嫌だからね。
♢♢♢
「そういえばあんた、いつ髪の毛切りに行くわけ?」
きりえにそう問われたのは夕べ遅く。その時は「そんなお金持ってないから」と言って適当にやり過ごした。しかしその後、私が本部での会議に疲れてみんなより早く就寝した間にこの話はしおりにまで伝わっていたらしく、朝から私はふたりに両脇を固められていた。まるで今日行こうと言わんばかりの顔で。
「なまえさん、どんな髪型でも似合いそうだよね〜〜前はロングだっけ?」
「そうね、セミロングって感じの髪型だったわ。どうせ向こうで美容室に行かなかったからあんなに伸びたんでしょうけど」
「たしかに。なまえさん、自分のこととなると無頓着だからなあ」
「えー……なに、切るの?」
「あったりまえじゃない!」
「そりゃそうだよ〜〜」
「そういうところは息が合うよね…」と私が呆れながら言うと、きりえが隣でぎゃーぎゃー騒いでいた。一方のしおりは「その顔、ひさしぶりに見たわ〜」と何故か感慨深そうだ。私はまだここに来て一日足らずの人間だけれど、これだけはわかる。私、このふたりと一緒にいると自分のペースを乱されるんだ。でもふたりのことは嫌いじゃない。むしろ好き。この空気感が心地いい。
「どうしたんだ?しおりちゃん」
「陽太郎おはよー!今日はね、なまえさんと美容院に行くんだ〜」
「かみをきるのか!」
「そうそう。なまえさん、加古さんに髪の毛切られちゃったから」
「行くの確定なんだ……」
「あったりまえじゃない!いつまでもその髪型のままいられないでしょ?!」
「この世界ではそういうものなのか…」
「ここだけじゃなくて、どの世界でもそういうものなの!!」
「ふーん……」
髪を切ることは嫌いじゃない。その必要性が今まで見いだせなかっただけだ。向こうで住んでいたころはずっと戦争だったし、ちゃんと暮らしていたわけではないし、少なくとも私の周りにいた人たちは髪型なんて気にしていない人ばっかりだったし、戦争に出れば髪の毛なんて切られちゃうことがしょっちゅうだったし。ああやっぱり前言撤回、ちゃんとは暮らしていたかも。それだけは譲っちゃだめだ。
「髪の毛、誰が切ってくれるの?きりえ?」
「なに言ってんの。美容師さんよ。今から行くから早く準備しちゃいなさい」
「ほう…美容師……」
きりえが早く準備をするように私を急かす。準備とは具体的に何をすればいいのかしらと思いながら自室に戻ると、そこにはしおりがいた。
「なまえさん、どの服にするー?というか、もしかすると——いや、もしかしなくても、ここにあるお洋服全部ちっちゃいんじゃない?!えっどうしよう!!」
「どうしようって言われても……」
確かに、今着ている服も少し小さい。昨夜、お風呂に入るときにきりえから「これ、昔なまえが着てたものだから」と言って手渡されたが、すべて小さかった。これがここのファッションなのかと思ったが、やはり違ったらしい。やっぱりあの時ちゃんと服が小さいことを言っておけばよかったなあと思いながら、目の前でしおりがあたふたしているのを眺めていると、玄関で私としおりが来るのを待っていたきりえがどんどんと音を立てながら階段を上がってきて、がしゃりと部屋の扉を開けた。あ、待っていても私たちが全然来なかったからちょっと怒ってる。
しおりから事の顛末を聞いたきりえもそんなこと考えもしなかったといった顔で動揺し、ふたりで騒ぎだした。結局はりんどうさんに「なまえの帰還祝い」という名目でお金をいくらか出してもらうという案でまとまったそうだ。つまりりんどうさんが戻ってくる今夜にそのお金をもらうため、散髪もショッピングも明日に延びた、らしい。