点と点が線になったとき

 きっかけなんてそこら中に落ちていて、結局は本人がいつそれらの存在に気付くかどうかだ。しかしそれらは巧妙に姿を隠し、まるで自我を持っているかのように容易に見つけさせてはくれない。だからこそ、いつも目を光らせておかなければならないと思う。

「今夜の当番さんはだれなの?」
「迅さんだよー」

 クッキーの型取りをしながらしおりがそう答える。この間それをやってみたら意外と難しくて苦戦したのをよく覚えている。手に張り付く生地のあのべたべたした感触が私は苦手だ。さらさらしていたものの方がいい。洗いやすいから。
 空が暗くなって、こつこつという包丁の心地よい音が聞こえてきた頃、私はリビングに下りた。台所にはじんゆういちがいて、切った野菜たちを鍋の中に入れていた。私が来たことに気付いたのか、彼は目線をこっちに向けて「おなかすいた?」と言った。私がそれに頷くと、じゃあ早く完成させなきゃな〜というのんびりとした声が返ってきて、平和な日常に安心する。
 彼と屋上で話した日。「またひとりで泣いていたらどうしようと思った」と言われた日。その言葉を言われて何と返せばいいのかわからなくて黙ってしまった私に、何も言わずそっと片手で抱きしめてくれたあのぬくもりを私の身体が覚えていた。記憶としては覚えていないのに、妙にしっくりとくるあの感触に驚いた。何も言わずに彼の身体に頭を預ける私を彼がどう思ったのかわからない。もしかすると引かれたのかもしれない。しかしきっかけとしては十分だったのかもしれない。錆びて動かなくなった自転車に油を刺したようなものだ。

「なまえ」

 ソファーに座って考え込んでいると、隣にエプロンを身に纏ったじんゆういちが来ていることに気付かなくて思わず肩を揺らしてしまった。

「陽太郎たちを呼んできてくれる?準備できたから」

 私の一連の挙動を見た彼は、苦笑いをこぼしてそう言った。私はうんと頷いてブースに向かった。

♢♢♢


「おいひい〜〜!」

 ほかほかの野菜に練り物。口の中ではじけるウインナーはその熱さをより一層舌に感じさせる。ひとりでつつく鍋よりも、みんなで囲んで食べた方がさらにおいしいとここに来て知った。

「この味……」
「ん?どうかした?」

 しおりが私の顔を心配そうにのぞき込んだ。私はどこかでこんな味のものを食べた気がしていた。なめらかで口の中で広がるこの味。昔、じんゆういちが新発売だと言って買ってきてくれて、それ以来私のお気に入りになったこの味。
 脳内でばらばらだった破片がぱちっとくっつき始めたのを感じる。

「何鍋なの?味は?」
「これはねー、えっと…胡麻豆乳鍋だね!」

 ぴんと人差し指を立ててしおりが答える。その名前を言葉にすると、頭ががつんと殴られたような衝撃が走って、口に含んだものを出しそうになる。ぎゅっとまぶたを閉じてそれが過ぎ去るのを待った。目を開けると、しおりが心配そうな顔をして私の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫?」
「うん。むせそうになっただけ」

 そう言うと、少し困惑した顔をしたしおりが「そう」と言って自分を無理やり納得させていた。私はなにか思い出せそうな気がして、食べながらぐるぐると過去の出来事を思い出そうとした。
 ご飯を食べ終わって食器をシンクに運んだ時、きりえに先にお風呂に入るように言われたので、私は特に断る理由もないのでそのまま従った。自室に戻って必要な衣類を持参して脱衣所に入る。籠にそれらを置いて、絡まった髪の毛を梳かそうと櫛を持ったとき、ぐるんと風景が意図せぬまま回って酔いそうになった。何度止めようとしても止められなくて、ただ断片的な記憶が私を襲う。洗面台に櫛が音を立てて転がった。
 いろんな声が聞こえる。生きている人から死んだ人まで。きっと記憶が戻りかけているんだ。私は口を片手で抑え、もう片方の手で洗面台になんとか手をかけて身体が倒れないようにした。

「君は優しい子だ」
——私は優しくなんてない。
「これは命令です」
——ごめんなさい、嘘をつきました。
「無責任に愛してごめん」
——どうしてきみが謝るの。

「わた、し……は」

 塞がれていた記憶が溢れて止まらない。意識が遠のいていくのがわかる。声を出そうにも口をぱくぱくとさせるだけで音として出てこない。私は何もできずに床に倒れこんだ。

♢♢♢


 大きな物音が聞こえた。居間で談笑をしていた人は皆、音のした方——風呂場——に目線を向けた。そして彼女の名前をぽつりとつぶやくや否や、迅が一目散に走りだして脱衣所に向かった。勢い良く扉を開けると、蹲って苦しそうにしている彼女の姿があって、迅は心配して様子を見に来ていた木崎らに救急車の手配を要請した。迅が肩を揺らしても何度声をかけても彼女はいつものように笑いかけてはくれず、ただ彼の副作用が数日間彼女は目を覚まさないということを告げるだけだった。