仮定法未来

 教室に西日が差し込み、柔らかな風が彼女の髪を揺らした。彼女の手元に目線を移すと、書きかけの英語のワークが淋しそうに天井を見つめていた。

「仮定法過去って文法、なんで作ったんだろう。過去完了とかもさ、不必要じゃない?過去形だけでいいじゃん」

 校庭に目を向けたたまま、彼女は至極不思議そうにそう言った。先ほど見たワークをもう一度じっくりと見てみると、見事に仮定法過去の部分で筆跡が止まっている。なるほど、ここで躓いたんだなと思いながら、適当に相槌を打つ。

「はいはい、そうだな」
「あー!またそうやって適当にあしらって!」
「やさしいの間違いだろ?」

 口を大きく膨らませた彼女が顔を顰めてこちらを向く。本当にころころと表情が変わるよなあと彼女を見ていると思う。ここまでわかりやすい人はなかなかいないんじゃないかと思うほどに。しかしその一方で、人知れぬ程に闇を抱えていることも事実だ。彼女は自分のことを全く話そうとはしない。話してくれたとしても、先のハンバーグの件のようにたわいのない話だけだ。核心に触れるような話は意識的に振ってもかわされるか、濁される。ボスは詳細を知っていそうだけど、問い詰めて話してもらうほどのことではないし、なにより彼女が話したくないと思っている事柄なのだから、無闇に詮索するのは得策ではないだろう。それに、彼女の副作用のこともある。サンクチュアリに侵入して、秘宝の謎を知ってしまおうという魂胆はもとより持ち合わせていないのだ。

「そういえば、仮定法過去はあるのに、仮定法未来はないんだね」
「will や be going to がその代わりなんじゃない?」
「うーん…それはちょっとニュアンスが違う気がする」

 これは持論だが、仮定法過去はもうすでに起きた事象に憂いを込めたものだと思う。例えば「もしおれが陽太郎だったら、高いどら焼きは全部食べないだろうに」といったように。実際のこととは違う条件を指定して、それについて仮定する。しかし仮定法未来はどうだろう。これについてはどんなものなのか全く想像がつかない。未来を仮定してそれについて話すのか、それとも別のなにかか。まあ、そんな文法は存在しないから、あれこれと考えても仕方がないんだけど。

「迅は使えるね」
「え?」
「仮定法未来。きみがいつもやっていることは、仮定された未来をより最善に近づけること。だからいつも、さっさと寝なよって注意しても暗躍しちゃうんでしょう?」

 頬杖をついて、確信めいたことを言う。射貫くようなその視線に、おれは釘付けになった。そうだ、この目だ。おれがとても好きな目は。証拠なんてひとさじくらいしかなくて、不確定要素ばかりで組み立てた推論を、あたかも真実のように自信をもって話すときに生じるこの目に、おれは惹かれたんだ。

「だったらおれが副作用それを使った商売でもしたら大儲けできるな〜」
「すぐそっちに持っていく……」
「そんなに感心しなくても」
「え?わたしの聞き間違いかなあ。…ってまって悠一、どこ行くの?ってこら!ナチュラルにおしり触るな!」

 おれが立ち上がったのと同時に起立した彼女のお尻をひと撫ですれば、すぐさま蹴りが飛んできて、まるで子どものようにふたりで不格好に笑った。