楽園は永遠だと信じたかった

 その日の迅は、どこかおかしかった。わたしを見るなり悲しそうな顔をして、目線をさっと避けてしまうほどに。以前、陽太郎に夫婦だと言われて、わたしが真っ向から否定したのがそれほど嫌だったのかと思っていたが、どうやら違うらしい。レイジさんや宇佐美、ボスまで言うくらいだからよっぽどだろう。
 リビングでテレビを迅と一緒に見ていた。陽太郎はわたしの膝枕で眠っていて、ボスは飲み会、桐絵と宇佐美は女子会、とりまるはバイト、レイジさんは夜の任務で、支部にはわたしたちしかいなかった。さっきまでバラエティ番組を観て笑っていたのに、ぴんと糸が張ったように空気が重くなった。迅が徐に口を開く。

「今度の近界遠征に行かないでほしい」

 苦虫を嚙み潰したような顔をして呟いたその声は小さかったけれど、その声には明らかに強い意志が籠っていた。わたしは陽太郎の頭を撫でていた手を一瞬止めたものの、その動きをまた再開した。

「どうして?」
「なまえが犠牲になるのをみたくないんだ」

 強くマグの持ち手を握り直して、それをテーブルに置く動作を眺める。
 次の遠征にはわたしも同行することになっていた。今回の遠征参加部隊は太刀川隊、加古隊だ。そこにわたしも含めた数名が加わっている。このメンバーなら無事に帰ってくることはできるだろうし、リーダーシップをしっかりと発揮できる人がそろっているため、万が一のことはそうそう起こらないだろうと思うのだが、迅の様子を見る限りそうではないようだ。迅の額に段々と汗が滲んでいく。少しのかすり傷や骨折くらいなら、その事実を伝えて口酸っぱく気を付けるよう言うだろう。だから、これほどまでに焦って行くのを取り止めるよう言うということは、きっとのっぴきならない何かが起こるということを意味しているのだと思った。過去視で視ようとしても、わたしには何も視えなくて、その全貌が理解できない。話を進めるには、迅から話を聞くしかなさそうだと腹をくくった。

「犠牲ってどういうこと?」
「それは……」
「迅」

 陽太郎を撫でていた手で、迅の左手を握る。ふるりと肩を震わせた迅は、握り返してはくれなかった。

「なまえが、死ぬかもしれない」
「…え?」
「なまえが近界で捕虜になるのが視えるんだ。何回視ても変わらない」
「……そっか」

 近界に取り残される。遠征に行くときにそれは覚悟していたことだった。しかし、それを想像することと、それが本当に起こるかもしれないと言われることとでは気持ちは全く異なる。しかも迅の予知だ。未来視は外れることだってあるよと迅は言うけれど、人間はどうしたって悪い事柄は起こりうるものだと嫌でも信じてしまう生き物だ。心の奥底では信じたくないのに、実際に起こってしまった時のことを考えると身体が竦んでしまう。今のわたしがまさにその状態だ。

「わたしが行かなかったら、誰も捕虜になることはないの?」

 五分ほど考え込んでいただろうか。空気の読めないバラエティ番組が耳と耳を通過していく。ずっと考えていたのは、わたしが捕虜とならなかった場合のこと。わたしが捕虜にならなかったとき、そのほかのメンバーも無事に三門市に戻ってくることができるのなら、わたしは遠征へ行くのをやめる。しかし、わたしが行かないことが原因で誰かが代わりに捕まってしまうのだとしたら。わたしは一生、自分のことを責めて生きていくのだと思う。誰かに自らの苦痛を肩代わりさせることは、どうしてもできなかった。
 迅はようやくわたしの手を握り返してくれた。でもその表情は明るくない。

「他の誰かが捕まるかもしれない」