ゆらめく面影

「あなたは……ジン・ユウイチ、ね」
「そうそう。おれの名前は迅悠一。よろしくな」
「ええ、よろしく」

 二年前と比べると、髪が少しのびて、大人っぽくなった表情をしている。本音を言うと、ここでおれが彼女を足止めしたい。しかし、周りの状況を鑑みるに、ここは他の人にバトンタッチした方がよさそうだ。それまでの間、どうやって彼女を食い止めようか考えていると、彼女が徐に歩みを進めた。

「ちょっと。どこ行くの?」
「どこって。散歩ですけど」
「えー……」

 彼女は今のこの状況を分かって言っているのだろうか。散歩?どうして今?読み逃したか?といろいろなことを考えていると、彼女がまた遠くへ行きそうだったので、思わずその手首を掴む。ああ、戦闘員としてはこの間合いの詰め方はアウトだなと考えながら彼女の方に目線を向けると、きょとんとした顔でこちらを見つめる目と目が合った。つまるところ、おれと手合わせするつもりは全くないらしい。おれはふうっと肩の力を抜く。久々の再会だからとか、彼女をもう一度遠征艇に乗せないように最善を尽くすとか、そういった理由でいつの間にか肩に力が入っていたらしい。彼女はいたってマイペースなのは変わっていないのに。そしてここに来てひとつ分かったことがある。

「なんですか?」
「いやー……なんていうか、さ。なまえは戦う気、無いね」

 そうだ。彼女に感じた違和感はいろいろあるけれど、その中で一、二位を争うほどの違和感は、彼女に戦闘意思が皆無であることだった。まだボーダーにいた頃の彼女は、太刀川さんやおれ、小南らと一緒に学校終わりや休日返上で模擬戦を繰り返すほどの所謂「戦闘狂」で、ボーダー屈指の実力者だ。そんな彼女がなぜ、ここまで戦意を失っているのだろう。おれは、そのことが不思議で仕方なかった。

「私は今回、戦闘員として搭乗したわけではないので」
「どういうこと?」
「私を本国に置いて来たらなにか不都合が生じるのでしょう。実際、今回の作戦に私は関与していませんし」

 遠くを見つめたまま彼女はぽつりと呟く。その目は深い青を表現しているようで、おれは、あの時の選択は間違えたのかもしれないと思った。今の話、仲間に聞こえてないの?と聞くと、大丈夫、通信機器は船に置いてきたからと親指を立てて返された。急におちゃめなところは変わっていないらしい。

「ところで」
「ん?」
「この手はいつ離してくれるんですか?」
「え?……あ、いや、ごめん」

 なまえの体温が心地よくてつないでいることさえ忘れていましたなんて言ったら、軽いビンタを食らうのが見えた。いやそれだけは勘弁してくれ、この子のビンタは軽いとはいってもかなり痛いんだよな。おれは邪念を振り払うように、頭を左右に振った。
 おれが手を放して物理的に自由になった彼女は、先ほど言ったように「散歩」をしようとおれから距離を取った。そのまま瓦礫に座ったままぼうっとしている。こんな大変な状況でよく散歩しようと思ったよなと考えたが、あのまま遠征艇に籠られるよりも、こうやって外に出てきてくれた方がこっちとしてはありがたかった。なぜなら、彼女の確保に集中できるからだ。おれは、本部と連絡を取った。

「忍田さん、聞こえる?」
「ああ。どうした、迅」
「なまえを見つけたんだけど、戦闘意思が全然ないんだよね」
「どういうことだ?」

 忍田さんは不思議そうな声色でおれが返答するのを待っていた。しかしおれは、そのことに対して今答える気はない。なぜなら、それを話す時間さえ惜しいからだ。

「まあ、それは後から説明するよ。それよりも、A級の誰かに相手を頼めないかなって思って連絡したんだけど」
「そのまま迅が相手をすればいいだろう」
「いや、おれは別の所に行かなきゃだめっぽいんだよね。そっちは耐久戦になりそうだし」
「戦闘意思が無いならそのまま放っておいても何ら問題はないはずだが?」

 忍田はとても不思議そうに問う。確かに、理論的にはそうだ。戦闘意思のない人に戦力を割く必要はないし、ましてや今は大規模侵攻の真っ只中。おれの戯言に耳を貸せるほどの余裕がないというのが現状だろう。でも今回はその要求を呑むつもりはない。最善の未来にするために、あらゆる手を尽くし、後悔も被害も、すべて最小限にとどめたい。

「いや、それじゃだめだよ。途中で彼女は遠征艇に連れ戻されるか、仲間の援護に回されてそのまま確保できなくなるから。今回を逃すと、もういつなまえに会えるかわからないよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
「つまり、みょうじに仲間の手を及ばせないようA級を使って足止めをするというわけか」
「そういうこと」
「それなら別にA級じゃなくてもよかろう。ほかの隊員にでも向かわせればいい」

 忍田さんとの会話に鬼怒田さんが口をはさむ。鬼怒田さんの言う通り、おれも最初は比較的手の空いている隊員になまえの相手を頼もうと思った。しかしながら、現実はそう簡単に良い方へと転がってくれないらしい。鬼怒田さんの発言には、流石の忍田さんも簡単に許可を出せないことくらい、おれは分かっていた。

「それじゃだめなことくらい、鬼怒田さんはわかってるでしょ?」
「むむ……そうだが……」
「あと、向こうにいる間にかなり力を蓄えたみたい。だから絶対にB級はだめだ。一気に落ちる。それに……」
「それに、あいつの戦い方を熟知していない隊員が相手になると命取りになるな」
「そういうこと」
「よし分かった。A級をそちらへと向かわせよう。場所は天羽が担当していた地区でいいか?」
「うん。ありがとね」

 通信を終え、彼女が座っていたところに目を向けると、街の方から避難してきたと思われる鳥と戯れている姿が目に映った。相変わらずのんきだなと思っていると、彼女の方から話しかけてきた。おれは、彼女に近寄る。

「通信は終わったんですか?」
「うん、終わったよ」
「それで、私はエーキュウの人と戦わなきゃいけないんですよね?」
「うん」
「こんなところに来てまで戦わなきゃいけないなんて、すごく不本意だけど。まあいいわ、たまたまトリガーも持ってきていましたし」
「そう怒らないでよ、なまえ」
「怒ってないもん、あんまり戦いたくなかったなあって思っただけです」

 そう言って口を尖らせる彼女がどうしようもなくかわいかった。そのまま彼女の隣に腰を下ろすと、彼女は少しおれと距離を取って座り直した。その一連の行為が、彼女が向こうで積み重ねてきた日々の結果を表しているようで、おれの胸にすこし、すきまが空いた。
 そのまま数分間何も考えずにぼうっとふたりで座っていると、遠くから該当の人物が現れた。なるほど、これなら問題なさそうだ。
 おれとなまえは立ち上がり、応援に駆け付けた人の元へと向かった。隣にいる彼女の方を見ると、暫時後の対戦相手のことを凝視しながら「ふうん」と声を漏らしていた。その様子を見ながらおれは、この作戦がなんとかうまく行くように、ささやかながら願いを込めた。