わたしたちが望んだ未来の果て

 遠い世界の夢をみていた。その世界でわたしは、眉をへの字に曲げて目の前にいる男性の言葉に肯定していた。その人は、戸惑った表情をして何か言葉を口にしようとしていたけれど、わたしはそれを発せさせなかった。その人が去った後、わたしは蹲って、両脚を抱えて泣いた。そんな夢。
 意識が天井から引っ張られている感じがする。私はこの感覚を知っていた。眠りから覚めるときはいつもこんな感覚がするということを。私以外の生き物も、目覚めるときはこんな感じなのだろうか。長い眠りと短い眠りは感覚が同じなのだろうか。でも、そんなことを考える暇もないくらいに私の周りは騒がしいらしい。耳から届く音が脳天まで届いて、私の意識を夜から追い出す。私はこの感覚がひどく嫌いだ。そして寝ている人間の横で喚く人間もそれと等しく嫌いだ。

「……うるさい」

 瞳を開けて周囲の状況を確認したあとに、私はそう零した。その言葉は騒音の犯人らを黙らせるには十分すぎるくらいだったらしく、一瞬辺りが静けさに包まれた。私はじろりと彼らの方を向いて「なに」と言えば、その言葉がトリガーになったらしく、またしても部屋に喧騒音が鳴り響いて、私ははあと溜め息を漏らした。
 この様子を窓際で見ていた人が、私のベッドの所に椅子を寄せてそこに座った。その隣にはジン・ユウイチがいる。彼は私のベッドに顔を突っ伏して、私と手をつなぎながら眠っていた。

「ごめんな、こいつら煩くて」
「いえ……」
「でも、寝起きが悪いのは昔と変わっていなくて安心したよ」
「…ここはどこですか?」
「ボーダーの医務室だ」

 私がジン・ユウイチに目線を向けると、その人が「ああ、こいつは俺が玉狛に連れて帰る」と言ってのけた。私は、またその人に目線を向けて話を振った。

「リンドウさん」
「うん?なんだ?」
「私のこと、どれほどご存じなんですか?」

 リンドウさんは私の問いを聞いた途端、少し困ったような顔をした。私は、あっと言って「今の私の状況です…」と付け加えた。私の言った言葉の語尾が窄んでいく様が面白かったのか、リンドウさんがけらけらと笑う。私は無意識に頬を膨らませていたようで、それをリンドウさんにぷしゅっとはさまれた。頬が紅潮していくのが分かる。

「なっ…なにするんですか!」
「迅から聞いてはいたけど、本当にほとんど変わっていないんだな」
「え?」
「大体のことは知ってる。だから大丈夫。心配しなくていい」
「——はい」

 リンドウさんが私の頭をくしゃくしゃと撫でる。私はそれを甘受しながら、懐かしい感覚に陥っていた。まるで「家」に帰ってきたような安心感。近界では得られなかったものが、どうやらここにはあるらしい。私はリンドウさんのいる方向とは逆の方を向いてみると、そこには先程の騒音の張本人、カコさんとニノミヤさんがいた。なにやらカコさんの作ったチャーハンをニノミヤさんに食べさせたいらしい。正直、そんなことは病室の外でやってほしい。匂いが籠って嫌になる。
 こうして、リンドウさんと話し、時々カコさんらの方に意識を割いていたとき、病室の扉ががらりと開いて、白い布を纏った、なんだか偉そうな人が大股で私のベッドまで歩いてきた。私はきりっと目を細めてその人の方を見ると、その男性はまず丁重に自己紹介をした。なにやら私の主治医らしい。咄嗟に、玄界の医師の格好は、こんなにも偉そうなのかと思った。その横にいる看護師とやらに布の一切れでも渡したらいいのにと感じたほどだ。どうやら彼女は年中半袖長ズボンで過ごすらしい。大変な世界だ。

「君、自分の名前はわかる?」

 この人は、何を言っているのだろう。わかるに決まっているじゃないか。私を一日で記憶が消える少女だとでも思っているのか。そんなおとぎ話のような話は、少なくとも私には当てはまらない。私は私の名前を唱えた。

「では、訊き方を変えよう」

 そう言って医師は私の目をじっと見る。私は彼の顔を見ながら、この人昨日からちゃんと寝てないんだなあ。昨日急患あったから仕方ないと思うけどさ、でもきみが倒れたら本末転倒でしょ等と思っていると、彼の口が開いて、次の質問が飛び出してきた。

「君の過去を教えてほしい」
「過去?」
「そうだ。昔話だよ。でも、サイドエフェクトは無しだ」

 訊き方に悪意を感じる。この人は私のことを具に知っているのだろうか。それにしても、サイドエフェクトとは何だろう。横、或いは側の作用、そして効果。とりあえず、副作用とでも意訳しておこうか。考えることが沢山ある。でも今はこの問いに答えることが先決のようだ。私はその言葉の意味を知りたくて、じっと彼の方を見つめてその真意を確かめようとした。するとそのとき、隣から声が聞こえた。

「それを使うのはアウトってことだよ」
「…ジン・ユウイチ」

 いつの間にか目を覚ましていたらしいジン・ユウイチは、私の方を見ながらそう言った。なるほど、これをこの世界ではそう呼ぶのか。何とも変わった言い方だ。しかし、この名前は言い得て妙な節もある。私はふっと笑みをこぼした。なんだ、最初からそう言ってくれたらいいのに。でも、私はジン・ユウイチに制止されるより前にもう君のことは知ってしまったんだよね。そう思いながら私は、医師の方を向いて、口元に弧を描きながら返答した。

「何も覚えていません。私は誰ですか?」

 その答えに驚いたカコさんは手に持っていた容器を落とし、口元にチャーハンを運んでいたニノミヤさんは手からスプーンを落とした。