あの日に置いてきたはじまりを探している

 あれから大変だった。カコさんとニノミヤさんが落としたチャーハンの清掃に病室にいた人全員が追われた。カコさんの作るチャーハンはかなりパラパラしていたようで、掃除をしていた四人は苦労していた。料理としては素晴らしい出来だが、清掃との相性は最悪だった。私はご愁傷様ですと心の中で呟いた。その後、リンドウさんは所用があるとかなんとか言って帰ってしまった。体裁上は彼が私の「保護者」らしい。いろいろと大変な人だと私は思った。
 そしてもうひとつ。私が眠っている間に諸々の検査は済ませていたらしく、目覚めた今、明日にでも家に帰宅してもいいということだった。しかし私は、ずっと向こうに住んでいたのだ。そのため、私の家はこの世界にあるわけがなかった。私が返答に困っていると、隣からジン・ユウイチが「じゃあ明日、連れて帰ります」と言った。その声を聴いて、私は思わずジン・ユウイチの方を向いた。彼も私の方を向いて「それでいいだろ?」と言うので、私はこくりと頷くしかなかった。私はあの侵攻から二日間眠っていたらしい。
 あくる日。私はベッドから降りて帰る準備をした。そうとはいっても、私のいた部屋にはほとんど何もなかったので、着ている入院服をこの間の大規模侵攻の時に着ていた服に替えるのみに終わった。それから一時間ほど経ったころに、リンドウさんとジン・ユウイチが迎えに来て、帰るように促した。私はベッドの上に持ち物はすべて並べておいたので、スムーズに帰宅できるのだが、私には一つ訊きたいことがあった。

「お花、どうするの?」
「持って帰るよ。ほら、新聞紙に包んで」

 ジン・ユウイチは私に新聞紙を渡して、お花をそれにくるめるように言った。でも私は何を言っているのかわからなくて、そのまま立ち竦んでいると、ジン・ユウイチがへらりと笑ってお手本を見せてくれた。私も同じようにお花を包装した。ジン・ユウイチよりもへたくそだった。
 
「どうしてここにお花があるの?」
「お見舞いの時に加古さんが持ってきてくれたんだ」
「お見舞いって、なに?」

 つまるところ、私は玄界の言葉で言うと「記憶喪失」のようだった。医者からそう告げられたので間違いない。向こうにいた頃はそんな病名を告げられたことがなかったので、私はただ「ふうん」と答えるほかなかった。医師は私のその淡白な返事に面食らって「え、感想はそれだけ?」と漏らしていた。あれには思わず笑いそうになった。正直、私は自分が記憶喪失だということにほとんど気付いていなかった。いや、半分は気づいていたというべきか。それにはきっと、私の能力、もといサイドエフェクトが関係している。
 私には目の前にいる人の過去がみえる。生まれた時から一寸前まで全てみえる。この人物が私と会うまでにどんな行動をとったのか。それら全部が手にとるようにわかる。言い方を変えればチートのような能力。だからあの医者は問診のとき私に「君の過去を教えてほしい」と訊いたのだ。なぜなら私は、私の過去をみることができないから。私が知りえる私の情報は目の前にいる他人を通してでしか得られない。そのことを分かった上で、担当医は私にあの質問を投げかけたのだ。彼はかなりの曲者だ。

「お見舞いってなに、かあ。なんだろうな——その人が早く元気になるように願うこと、かな」
「ふうん」

 ジン・ユウイチは苦し紛れにそう返した。彼の言っていることを「お見舞い」の定義とするならば、私がアフトクラトルであの人にしたことはきっと「お見舞い」になるのだろう。

「なまえ?どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません。行きましょう」

 リンドウさんが不思議そうな顔で私の顔を覗いた。私は何でもないような顔をして、リンドウさんに帰宅を急かした。リンドウさんは「そうか」とだけ言って、ジン・ユウイチと私を引き連れて病室を後にした。ここから目的地までは車で行くらしい。

♢♢♢


「なまえ、気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ」
「はい」

 大体の道はコンクリートでできていて、街はトリオンなしで運用できているようだ。電気も、水道も、何もかも非トリオン化が進んでいる街。私はそんな場所に足を運んだことが無くて、ほんの少しだけ気持ちが浮ついた。因みにこの車もガソリンという液体を使って動かしているらしい。思っていた以上に玄界の進歩はめざましい。

「なまえ、窓から顔出すのやめて。危ないだろ」
「はーい」

 ジン・ユウイチは優しい口調でそう言った。その様子を見ていたリンドウさんも、ふっと緊張が解けたような顔をしてからまた正面に目線を戻した。
 ゆらゆらと揺られてしばらく経った頃、車が大きな建物の前で停車した。車に乗っていた私以外の人が降りる準備を始めたので、ここが目的地なのだろうと察した。水のほとりに浮かぶように佇んでいるその建物に、私は懐かしさを覚えた。ふたりに連れられて玄関へと進むと、中にいる人が忙しなくこちらに向かってきている音が聞こえて、私は苦笑いをこぼした。