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『――え?』


 数日後、いつもどおりに朝ご飯を用意した私の部屋へ、安室が訪れた。だいぶ体力も回復してきたらしく、腕を庇うような仕草をするものの、一通りのことはできるようだ。靴を脱ぎリビングに上がってから私の食卓を見ると、驚いたように目を丸くしていた。
 それから、私は沖矢に言われた通り、彼とは散歩途中で出会っていて、頼る先がなく彼に頼ったのだと供述した。安室は少し呆然とした様子で、珍しくぼけっとしながら頷いていた。

 良かった、思ったよりも重く考えていないのかも。

 そう思った。まあ、いくら彼とは言えど、さすがに怪我の治療をしただけで取り乱すようなこともないか。味噌汁を啜りながらそう考えていたら、安室が何か思い出したように――もとい、思いついたように――話を切り出した。

『すみません。実は例の施設のことなんですが――』

 そして、話は冒頭へ戻る。
 私がパチクリと目を瞬かせて尋ね返すと、彼は聞こえなかったとでも思ったのか、もう一度ゆっくりと繰り返した。

『実は施設の定員がいっぱいになってしまったそうで。今は周囲の施設があいていなくて、仮戸籍はできたのですが、もう少しこのままになってしまうかもしれません』

 ――私は唖然として、咀嚼していたネギをごくんっと飲み込んだ。
 この人、私がいくら馬鹿だからって、ちょっと舐めてかかっていないだろうか。否定はできない気がする。確かに施設に定員はあるだろうが、ここは東京だ。あ、今は東都か。すべてが満員で、受け入れ拒否など、そんなことがあるのだろうか。
 

―――
――
― 

「簡単な話だな」

 赤井はすう、と大きく煙草の煙を吸い込んで、ゆっくりと細い煙を部屋の真ん中に立てていった。相変わらずその物静かそうな顔だけは沖矢昴そのものだが、仕草や態度は完全にその仮面を捨てている。
 彼はチノパンを履いた長い脚を偉そうに組んで、煙草の灰皿にトン、と灰を落とした。正直煙草の匂いは好きじゃない。こっちに降りかかる煙をシッシと手の甲で追い払った。

「今までは遠くでも平気だと思っていた女が、近くに置いておくべき監視対象に昇格しただけだ」

 彼はそう煙と共に吐き捨てると、三度、気だるげに拍手をした。「おめでとう」と嬉しくもない祝福の言葉を添えて。
 私はそれにムカっとしながらも、眉間を顰めながら口を曲げた。

「それって、すごーく怪しまれてるってことですか?」
「当然だろう。俺でも怪しむ」
「えぇ、でも沖矢さんの言われたとおりにしましたよ」

 文句を垂れたら、彼はため息をつきながら頬杖をついた。そして、薄っすらと片目を開いてこちらを見上げる。

「馬鹿を言え。普通の人間なら病院へ行くだろう」
「でも、安室さんが駄目って……」
「彼のことを知らない人間が、どうして病院が駄目だと納得する? 目の前の相手は銃で怪我をしていて、気まで失っている時に」
「……そこは素直だって褒めてほしー」

 そりゃあ、そうかもしれないけど。彼の要望を聞いたことで疑われるだなんて、この世は理不尽だ。髪の先を弄りながらぼやくと、目の前でクツリと喉が鳴った。笑われたのだと、その持ち上がった口角を見て気づいた。


 今日この――工藤邸に訪れたのは、彼と改めて話をするためである。
 安室を治療してもらったあとは、そのままマンションへ戻り彼をベッドに寝かせたから。レイプ魔(――正直、存在を忘れつつあった)の身柄は、赤井が預かっていってくれた。曰く、適当に動けないようにしてそのあたりに転がして通報する――とのことだ。この男、本当に恐ろしい。

 正直、話はうまく纏まっていない。
 だって、自分でも分からないことが沢山あるからだ。分からないことを上手くは話せなかったけれど、面倒だったので一から順を追って話をした。そもそもの世界の話。こちらに来る前にあった出来事。もしかしたら頭の良い人だからこそ気づくこともあるかもしれない。
 そして、こちらの世界で安室に助けられたことを話し終えると、赤井はまだ長い煙草を灰皿に押し付けて、ケースからもう一本を取り出した。

「……それからは安室さんに色々買ってもらったりとかしながら過ごしてました。これで全部です」
「フゥ――……。なるほど」

 大きく煙を吐いてから、彼は難しそうな顔で頷いた。
 何か分かったのだろうか、チラリと彼の顔色を見ると、彼はあっけらかんとしながら「何も分からん」と言い切った。

「正直信じられんよ。漫画だの、アニメだの」

 どこぞのSFか、と彼は気難しく呟く。そう言われても、それが全てなので私には他に言い様がない。ただ、彼が私の言葉を妄言だと切り捨てないあたり、あながち信じていないわけではないらしい。

「……ただ、嘘ではないことは分かる」
「……だって、嘘じゃないし」
「分かってる。嘘じゃあない。真実か、本物の記憶障害か、精神がイカれちまったかどれかだ」

 私は黙って、彼の顔を見つめた。
 初めて会った時から思っていたが――こいつ、めちゃくちゃ失礼だ! 私のことをとことん馬鹿にしてるのが目の前にいてジワジワと伝わってくる。同僚の皆さん、よくまあ切れずにいられるな。――確かに顔つきは綺麗だけれど、すごく腹が立った。
 
「だが、それだと君の情報と辻褄が合わん」
「情報?」
「どうして俺のことを知っているか、答えは君の言う作品にしかない」
「すごく自信あるんですね……」

 確かに、江戸川コナンの立てた作戦は、あの安室や組織のメンバーさえ欺いた素晴らしいものだ。分かってるけど――鼻のつく言い方だ。

「安心して良い。君が俺のことを公言しなければ、君のすることに一切文句はない」
「そうしてもらえると助かります」
「ただ、当面の心配はやはり彼だな」
 
 言うなり、彼は席を立つ。部屋の隅にある固定電話まで行くと、その傍らにあるメモ帳にサラサラとペンを走らせた。ぴっと紙切れを一枚切ると、こちらに差し出す。アルファベットの並びを見て、私は驚いた。

「これ……」
「沖矢昴のアドレスだ。何かあれば連絡しなさい」

 何と言うことだ。この世界で初めてゲットする連絡先が、まさかの沖矢昴になるとは。今の携帯では使えないけれど、また機会があれば使わせてもらおう。もしかしたら、その頭脳が必要になるときがくるかもしれない。
 というか、私は今既に安室への対応で彼を頼りたい気持ちがいっぱいだ。今日ここに来たことだって、願わくば良い言い訳を考えてほしい。

「別に、彼も大人だ。いい歳の男女が一緒にいることに問題が?」
「げっ」

 つい声が零れた。赤井が不機嫌そうに眉間を顰める。
「私、おじさんは無理で」
 睨まれたような気がして、苦笑交じりに首を振る。あ、これもしかしてフォローになってないか。「安室くんも似たようなものでは」と赤井が言うが、見た目が違うだろう。見た目が。
 そう思っていると、良からぬ思考を見透かされたのか、その長い指先が私の耳たぶをギュウと引っ張った。
「いだっ」
「五月蠅い女だな、本当に」
「何も言ってないじゃん! 勝手に五月蠅いことにしないでよ」
 反りが合わない――というか、なんというか。
 彼も紛れもなく美形であり、作品を見ているときにはキャアキャアと言っていた覚えもあるのだ。安室とはまた違った、大人っぽくミステリアスな魅力がある。それは分かっているのだが。

「――俺も君みたいなへちゃむくれは、好みじゃあないな」
「それだ!」

 好みじゃない。それだ。完全にその言葉通り、私の異性としての好みじゃないのだ。彼も軽く肩を竦めて、ため息まじりに、少しだけ笑った。そのニヒルっぽい表情は、スクリーンの向こう側のような美形を際立たせている。


「ちなみに、私が安室さんに全部話したらどうするつもりだったの」

 
 しないけどさ、と念のため付け足しながら尋ねると、彼は暫し考えてから、長い人差し指を私の眉間に真っすぐ伸ばした。それから銃を撃つ真似事のような仕草をして、もう一度笑う。冗談めかした風に笑っていたが、彼の本来の素顔と能力を知る私にとっては、完全にただの脅迫であった。


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