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「ご注文繰り返します。ランチセット二つ。ほうれん草のクリームパスタとナポリタン、お飲み物はどちらもアイスコーヒーでよろしいでしょうか」

 手元にある注文票にペンを走らせる。
 ――ああ、生きているって感じがする! 一日くらいはあのゴロゴロとした日々も嫌いじゃあなかったけれど、やっぱり仕事と言っても人と関わるのは好きだ。暇な時間は梓と一緒にお喋りだったできたし、客層も幅広くて、その話をちらちらと齧り聞きするのは楽しい。
 オーダーを通すと、梓は肩を軽く鳴らしながら、ふう、と小さく息をついた。ため息とまではいかないが、その姿勢を正すような可愛らしい吐息だ。
「芹那ちゃんが来て助かる〜。本当に、この時間は人手がいないのよ」
「美味しいまかないのためですもん。何日でも入ります」
「うまいこと言うんだから! よーし、今日はグラタンにしようかな」
「グラタン! やったー!」
 ポアロでバイトを初めて一週間。すっかりこの店のまかないの虜である。自分で少し料理に触れたからこそ分かるのだが、美味しく料理を作れる人とは本当に素晴らしい。天に誇っていい才能だ。

 マンションからは少し遠かったので、ハロもなしに最初は道を覚えるのが大変だったが、ようやく慣れても来た。(ハロは、私よりもこの町に詳しく、しょっちゅう道を案内してくれていた。本当に賢い子だ。)料理ができるまでの時間で、緩んできたポニーテイルを縛りなおしていると、ドアベルが鳴った。

「あら、いらっしゃい」

 梓が振り向いた先には人影はなく――じゃない。人影はあった。私たちの視線より少し低い位置から、小さな手がドアノブに伸びている。
「コナンくん。今日は一人?」
「うん。蘭姉ちゃんが部活なんだけど、おじさんは二日酔いだって」
 手慣れた風に、小さな体がカウンター側の席にぴょんっと飛び乗る。うわー、可愛い。前は動揺のあまり隠れていたけれど、改めてみると思わず感動すら覚える。頭の中は「うわあ、本物のコナンくんだ」という感想が渦巻いていた。

 ――小学一年生って、こんなに小さいんだっけ? そういえばアニメで見たときも、少年探偵団の他の男の子たちより体が小さいような気がする。成長期、後から来るタイプなのかなあ。
 と、結いなおした髪をきゅっと締めて、ぱたぱたと宙ぶらりんになった足をほくほくしながら見つめていたら、レンズの向こうにある大きな瞳がくるりとこちらを振り向いた。ついドキリとしたが、いやいや、落ち着け。何もやましいことはない。(――一応。)

「新しいバイトの人?」
「そうそう。一週間くらい前から来てくれてるのよ。あ、芹那ちゃん、紹介するね。この子は江戸川コナンくん。ウチのビルのお二階さんなの」

 梓がピンと人差し指を立てて天井を指した。コナンにオレンジジューズの入ったグラスを差し出しながら「常連さんなのよね」と小首を傾げる。それは中身は高校生の男子には刺激が強いのでは――!? と思ったが、コナンは意にも介していないようだ。まあ、彼には意中の人がいるからか。
 私はニコニコと笑顔を浮かべて、コナンのほうに少し腰を屈めた。あんまり小さい子に接した経験はないけれど、それでもこの顔の可愛さは通じる。丸い形をした目つきが、私を映してパチパチっと瞬いた。

「初めまして。芹那っていうんだ。ボクは何年生?」
「一年生! わーい、優しいお姉さんが増えて嬉しいな」
「や……可愛い〜……!!!」

 それが如何に百パーセントの世辞だと分かっていても、可愛い顔の子にそう言われて嬉しくないわけがない。体格のわりに、まだ頭でっかちな頭へ抱き着こうとしたら、スっと事も無げにかわされてしまった。

「コナンくんも今からお昼でしょう? 芹那ちゃん、これ終わったら一緒に食べたら?」
「え、でも梓さんまだ次のオーダーがありますよね」
「良いの良いの。さっきのお会計で人も減ったし、カフェタイムまでに食べちゃって」

 と、早速私の分のまかないを作り始めた梓に甘えて、先ほど出来上がったパスタを運び終えてから、コナンの隣に腰を下ろした。おお、本当に小さい! かわいい! ストロー咥えてる! かわいい〜!
 
 私は頬杖をついて少年の横顔を見つめていたら、コナンはこちらを見上げて愛想笑いを浮かべた。
「コナンくんにはお姉さんがいるの?」
「ううん。蘭姉ちゃんは……今面倒を見てくれてる人なんだ」
 あ、ちょっと言い淀んだな。恐らく安室や赤井に負けないほどの頭脳があるのだから、私よりずっと賢いのだろうけど、好きな人のことになると感情をが溢れてしまうあたりはすごく好感が持てる。こんな風に思ってもらえてたら幸せだろうなあ。

「……お姉さん、前ポアロにいたよね?」

 微笑ましくふにっとした輪郭を見守っていたら、コナンはストローをぐりぐりと弄りながらそう告げた。確かに、彼を見るのはこれで二度目だ。しかし前回は私が一方的に彼らを見ていただけだと思っていたので、驚いた。――「よく覚えているね」、と、率直に言葉が零れた。
「うん……」
 いまいちパっとしない返事だった。小さな指は相変わらずストローやら、グラスの縁やらを忙しなくなぞっている。

 そうしているうちに梓の作ってくれたグラタンが焼けて、目の前に差し出されたチーズの山に私は意識を奪われてしまった。
「や、やば! トロトロ〜!」
 最早反射的といってもいい行動で、私はその様子を写真に収めてから手を合わせる。フォークで中身を刺せば、湯気と共にとろけたチーズが糸を引いた。ああ、好きだ。大好き。ポアロでバイトさせてくれてありがとう――。

 心の中でニコニコと胡散臭く笑う美形に指を組みお礼を言っておいた。今日は用事があるらしく(多分、組織か公安の仕事で――)、昨夜急にバイトのシフトをキャンセルすると報告を受けた。確か深夜十二時を回ったくらいのことで、彼の生活がちょっと心配になった。


「――……安室さんとは、知り合いなの?」


 私がそんなことを考えながらまだ熱いチーズに息を吹きかけていると、コナンが含みのある風に尋ねた。そういえば、あの時安室の名前を叫んだっけ。まああの時は知り合いじゃなかったけど、一応今は知り合いだし。間違ってはいない。

「そうだよ。コナンくんと一緒で面倒見てもらってるんだ」
「安室さんに?」
「うん。ちょっと色々あってさ」

 色々――便利な言葉だ。
 よっぽど世間話をする上で、色々、といってそれに突っ込んでくる奴はいないだろう。うう、中身トロットロ。ジャガイモまで入ってる……。食欲と会話への集中力が喧嘩して、意識をアッチコッチと行き来してしまう。

「色々って、何かあったの?」
「……ボク、世間話って知ってる?」
「子どもだからわかんない」
「言うじゃん」

 さすが名探偵。その探求欲だけは一人前である。たぶん私の食欲と張るだろう。
 ――あれ、今って、安室の正体に気づいているんだっけか。
 思い返しながら考えるが、そういえば私は今がどの時点なのか正しく把握していない。赤井のことも、彼がバレたくないと言っているのは暫くは同じだし。場合によっては、まだ安室透はバーボンとしてしか認識されていないのだ。組織のことを危惧しているのかもしれない。

 何かを考え込むように、コナンは残り少なくなったオレンジジューズを吸った。ずず、と詰まるような音がする。

 正直そんな深く考えられるような人間でもないので、気まずく思う。こんな詮索され放題のポアロで、安室はよく文句の一つもなく働いているなあと感心した。今日は梓に教えてもらって、グラタンを作ってみようかな。安室も、夜食に取っておいたら食べるだろうか――。きっと徹夜作業だろう彼の体を労わるべく、一通りの片付けが終わった梓に話しかけに向かった。


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Shhh...