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「し、死んじゃったって……なんで……」

 真剣に考え込んだ二人に、理解が追い付かないまま私は呆然として尋ねかけた。コナンはまだ言いづらそうに複雑な表情を浮かべていたが、安室は手元にあったブラックコーヒーを口にして、ふうとため息をつきこちらに向き直る。いつも私に勉強を教えてくれるような、ちょっとだけ丁寧でゆっくりした喋り方だった。

「確認しておくが、芹那。君は組織について知っているね」
「うん、知ってる……。あ、全部知っているわけじゃないけど」
「どこまで知っている? 話せることだけで良いから」

 尋ねられて、私は今まで見たアニメや漫画の内容を頭に浮かべながら、一つずつ説明していった。組織のメンバー、ジンやベルモットたちのこと。ナンバー2であるRUMのことと、その腹心キュラソーのこと。それから、組織のボスのメールアドレス。組織の情報は原作の中でも機密にされていることが多くて、多分安室のほうが内情は知っているのではと思う。役には立てないと思うのだけど。
 そう思いながら曖昧に語ると、コナンが驚いたようにこちらを見ていた。私がきょとんとしたまま彼と視線を合わせると、幼い目つきがやけに大人びた色を帯びて瞳を伏せる。

「なるほどね。君たちにとっては当然の知識だが、この世界でそれを知る人はどのくらいいると思う?」
「そりゃあ、少ないんじゃないの。バレたらまずいからコナンくんたちだって逆探知とかできないって、確か言ってた気がするし……」
「そう。バレたらまずいんだ。それは君たちも、組織も同じ――。あの男だって」

 安室があの男、と呼ぶのは恐らく赤井のことだ。瞬間、首筋に当たったあの無機質な固さを思い出した。得心がいった瞬間「あっ」と声が零れた。そうか、死んだ――というのは、組織や他の人間に殺されてしまったのだ。原作でも、灰原哀がそうコナンたちを引き留めていたような記憶がある。

「僕は君を保護できたが、全員がそういった人に拾われたわけじゃない。君たちにとっては漫画の中のファンタジーな世界だ――芹那がコナンくんを見て反応したように、そういう人も少なくなかったろう」
「あ、バレてたんだ……」

 初めてポアロで江戸川コナンを認知した時のことだ。素知らぬ顔をしていたくせに、お見通しだったらしい。少し恥ずかしくて、肩を縮こまらせた。安室は小さくクスリと笑って、話を続けた。

「だけど、そういった人間がペラペラ喋ってしまう危惧を、許しておくような奴らじゃない。例え知っていようが知らなかろうが、喋ろうが喋らなかろうが」
「奴らは知ってるんだね」

 コナンが静かに問いかけると、安室もふうと息をついて頷いた。そして、肩を僅かに擦る。
「僕も知ったのはつい最近さ。ホラ、君を襲った男がいたろう。あいつの顔に見覚えがあってね――探ったら、組織の末端の男だった」
「……だから、銃を持ってた?」
「そういうこと。日本警察の目をかいくぐって、中々一般人が手に入れることはできないよ」
 誇らしげにそう告げる彼を眺めながら、私は米花町のせいにして申し訳ないと一人罪悪感に駆られた。

「二度目に君を襲った男も、組織の誰かに脅されていたようだ。何を基準に異世界人≠見極めているか定かじゃないが、奴らの中には君たちのような人間を余程煩わしく思っているメンバーがいるのさ」

 安室も、その垂れた目つきに反比例したキっと吊り上がった形の良い眉を顰めた。私は相槌を打ってコーヒーを飲み、それからもう一度バっと顔を持ち上げた。理解が追い付くまで、私の頭では少々時間が掛かった。

「それって、私その……組織の人たちには違う世界の人ってバレてるってこと?」
「一部の人間にはね」
「じゃ、じゃあそんな私と一緒に居たら、安室さん駄目じゃん」

 私を庇っていたら、組織と敵対するようなものだ。それは不味いんじゃないか。彼にはまだ、組織の中でやるべきことがあるはずだ。そう言うと、安室はこめかみを掻いて悩ましく唸った。

「あるよ。安室さんが疑われずに芹那さんの傍にいる方法」
「えぇ……? でも……」
「引き受けたんだ。あの男たちの代わりに、芹那さんを殺すっていう任務を」

 コナンが真剣なまなざしで私を貫く。成程――そうしたら、傍にいるのは監視対象ってことで辻褄が合うのか。正直、そうされるくらいだったら、死亡偽装とかしたほうが早い気がするけど。――と考えていたら、私の頭の中をこじ開けたみたいに安室が苦笑いを浮かべる。人の頭を勝手に開かないでほしい。

「あいつらが何を理由に君たちを見極めているか分かっていないんだ。だから、すぐ傍に置いておくのが一番安全だと思った。君が疑っていた通り、児童養護施設が全部埋まっていたっていうのは真っ赤な嘘だよ」
「……それもバレてたんだね」
「はは。僕に嘘で勝とうなんて百年早い」

 確かに感情を殺していたわけじゃないけど、安室は今まで黙っていただけで、私の言動には気づいていたということなのだろう。沖矢について言い訳をしたときも、自分ではなんとか誤魔化せていたと思ったのだけど、とんだ見当違いだったらしい。安室はニコニコっと久々のワザとらしい笑顔を見せてくれた。
 にしても、私は本当に赤井の言う通り、言葉に流されやすい人間のようだ。全部沖矢の一言で、疑ったり信じたりと――。己の単純な頭を、軽く恨んだ。

「と、いうわけさ。どうだいコナンくん、信用には足りたかな」
「全部安室さんの作り話――ってことは」
「それなら僕が彼女を傍に置いておく理由がないだろう」

 食い下がったところをキッパリと断ち切られ、コナンはもにょもにょと小さく頷いた。一応、信じてはもらえたようだ。安室は、それを受け止めて頷き返すと、「さて」と両手を合わせた。

「……ここからは、もう一つの話に移っても良いかい」

 先ほどまでのにこやかな雰囲気を仕舞いこんで、今度は安室のほうが険しい雰囲気を纏った。
「赤井さんの話、だよね」
「ああ。悪いが――君たちがどんな理由や信念を持っているかは関係なく、僕はあの男を許していないんでね」
 忌々し気に、大きな瞳が細められる。安室に、過去のことを話そうかどうか、私は戸惑いを感じた。

 ――彼らの確執は、スコッチという一人の男から生まれているはずだ。
 たぶん、私の記憶と情報さえ正しければ。スコッチは安室と同じく、日本警察からの潜入捜査官だ。彼の素性が漏れて、屋上に追い詰められた時、同じくFBIから潜入捜査官として潜り込んでいた赤井が現れる。彼はスコッチを諭し、しかしその後聞こえた足音に身元がバレてしまう可能性を危惧し自決。その足音は、スコッチのもとへ駆けつけた安室のものだった――。
 安室が赤井を恨んでいるのは、赤井秀一が優秀な潜入捜査官であったからだ。その能力と立場があれば、スコッチは自決意外の選択肢を選べたはずだと。それを見捨てたのだと、彼は思い込んでいる。

「……」

 でも、これを彼に告げることは随分と酷な気がした。だって、これではまるで安室がスコッチの首を絞めてしまったような――。誰が悪いわけではないのに。私は何も言えなくて、ただ彼の服の裾を、きゅっと小さく握った。言葉が出なかった。けれど、違うんだと伝えたくて。

 そう、安室がここで沖矢昴のことを組織へリークすれば、沖矢昴はあの家にいることができなくなる。組織の中にいる潜入捜査官、キールは間違いなく殺されてしまう。それは駄目だ、キールも赤井も、これからの展開において重要人物のはずだ。

 それは止めなくては。悶々と考え込んでいる私を横目に、安室はそっと裾を握った私の指先を握り返した。驚いて顔を上げたら、彼は先ほどまでの雰囲気を押さえ込んで、こちらを見据えていた。

「……これを」

 安室は、一つの封筒をコナンに手渡した。茶封筒の裏には、ボールペンで丸が書かれている。ゼロ――。コナンがその場で封を切ろうとするのを、安室の手が制した。

「伝えてくれ。今でもお前のことをこの手で縊り殺したいと――。これは、最大限の譲歩だと」

 ということは、きっと中身は赤井に向けられたものだ。いつの間にこんなものを――と考えたが、昨夜のうちでしかそんなものを用意することができなかっただろう。中身は窺い知ることができなかったが、どうやらひと先ずは赤井のことをどうこうする気はないようだった。コナンは、封筒をぎゅうと握りしめて、笑うことなく「ありがとう」と安室に告げた。


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