57


 春の陽気、たまたまスーパーで見掛けた、季節も終わりかけで安くなっていたイチゴを買った。そのまま食べても良かったのだが、なんだか勿体なく思えて白玉粉で大福を作りイチゴ大福にしてみたのが、今日の午前のこと。そしてそのまま一人で楽しんでも良かったのだが、せっかくの陽気に誘われてお茶にしないかと沖矢を誘ったのが、今、午後の二時を回る頃。

「すみません。この家、湯呑がなくて」

 珍しくティーカップに注がれたのは紅茶ではなく緑茶で、私は有難くその風味を味わっている最中だ。はぁ〜、と気が抜けるくらい暖かな息を一息、ぱくりと口に放り込んだイチゴはいつもよりも甘味が強い。我ながらなかなか上手にいったものだ。

 イチゴを口に放って、感心したように何度か小さく頷いた表情に、私はフフンと得意になって鼻を鳴らした。
「美味しいですね。白餡を使っても見た目が華々しい気がします」
「ああ〜、シースルーみたいなね。それもアリ!」
「君が考えたんですか?」
 そう尋ねられたのを、待ってましたとばかりに笑顔で頷くと、沖矢は「素晴らしい」と素直な賞賛を口にした。

「……えっと、そんだけ?」

 私はポカンと、もう一粒の大福を放り込む彼を見上げた。てっきり、この発想をもっと別に活かせたら良かったのに――とか、そんな厭味を言われると身構えていたからだ。沖矢が怪訝そうに「褒め方が足りなかったか」と呟くので、とんでもないと首を振る。
 
 本当に、いくら赤井秀一の存在を潜めているとはいえど、まるで別人みたいだ。本来の彼はもっと不遜でニヒルで、沖矢の面を被っていても透けるくらい面倒に思う表情を隠すことはなく――加えて極度のヘビースモーカーだった。その清潔そうなジャケットやソファに煙草の匂いが染みついて、部屋にある高そうな重厚な灰皿がいっぱいに埋まっていた。

 三年もあれば、他人のフリも身に着く――ということだろうか。最初に沖矢に変装したときも、料理ができるようになったことをジョディが驚いていたっけ。だとしたら、その禁煙の秘訣をぜひ皆に教えてやってほしいものである。

「あっ!」

 私がハっとして、しかし口に放り込んだイチゴ大福をそのままにしておくわけにもいかず、もぐもぐとただ頬張る時間が続いた。ああ、こんな美味しいものを雑に流し込むなんて勿体ない――。しっかりと味わって、最後に緑茶でごくんと口直しまでしたあと、私はようやく目の前の男を見据えた。ジっと睨みを効かせてみると、沖矢は可笑しそうにクックックと笑っている。

「沖矢さん、安室さんのこと知らないって嘘ついたでしょ」

 少し機嫌を損ねた声を装って言い放つと、沖矢は「おや」とすっ呆けた反応を返してくれた。私はフン、と鼻を鳴らす。

「風見さんから聞いたんだから。どーせ私のこと見て笑ってたんでしょ」
「バレてしまっては仕方ないですね。彼から固く口止めされてたもので」
「そーですか。まあ、騙されるほうが悪いんだもんね。どうせ私は誘導しやすい人間ですから」

 それは精いっぱいの私の厭味だったのだけど、暖簾に腕押し。沖矢にはまるで堪えていないようだった。それもまた気に食わなくて、ついっと顔を逸らす。

「まあまあ。結局彼と接触はできたんでしょう?」
「うん。私が春休みのうちに会えると良いんだけどな〜。今の大学を途中で退学しちゃうのも勿体ないし……。ねえねえ、今関わってる仕事ってそんな危険なの? 長く掛かりそう?」

 風見がこの家に訪ねてくるくらいだ。
 その相手が工藤にしろ沖矢にしろ、何らかの情報は知っているのではないかと思う。せめて何となくの目処とやらが、詳しく分かると計画も立てようがあるのだけど。捲し立てるように問いただす私を、彼は苦笑して落ち着かせた。

「さあ。少なくとも組織の仕事よりは短期間でしょうが……」
「ええ……? でも組織の潜入ってどんくらいやってたんだっけ。四年とか、それ以上だよね……」
「待てませんか」
「待てるけど……。せめてちょっとくらい会いたいよね」

 そんなことをしていたら、私結構な歳になってしまうけど。むむ、と考え込むように答えたら、沖矢は静かにティーカップを揺らしながら「そうですね」と穏やかに笑った。まるで自分のことのように頷いてくれる男は、やっぱり悪い奴ではないのかも――そう思わせるような柔らかさがあった。






「本当にここで良いんですか? 足の怪我はまだ直っていないのでは」

 車の窓を大きく開けて、沖矢は大きな体をその丸っこいフォルムから飛び立たせた。この車、可愛いんだよな。私もきちんと免許を取ったら、ころんとしたフォルムの可愛い車が良いなあ。そんなことを考えながら、私は笑って首を振った。車がハザードを焚いているのは、私のいるホテルから少し離れた大通りだ。人通りも多く、近くにはスーパーや量販店が点在している。

「うん。ちょっと買い物して帰りたいし、途中でセンセーと合流する約束してるから」
「なら止めませんが。あまり無理はしないように」
「あはは、この足じゃ無理できないよ」

 私の片足は今、新出の丁寧なサポーターでキッチリと固定されている。外からは目立ちにくいが、片足踏み出すのにもヒョコっと重症人のような歩き方を強いられているのだ。まあ、おかげで順調に腫れは引きつつあるけれど。
 沖矢は「確かに」と肩を竦めると、軽くひらりと手を振った。窓が閉まって、アクセルが踏まれていく様子を、私はヒラヒラと手を振りながら見送った。まだ日も高いのだから、別に逐一送らなくとも良いのに。――そう思うのだけど、彼がシュンとした様子で「駄目ですか」と聞くと、いくら中身が三十半ばの良い男だと分かっていても絆されてしまった。

「駄目じゃないんだけどね……」

 ただ運転する男の手の筋とか、そういうものを見ていたら、私はどうにかなってしまうんじゃないかってくらいにドキドキとしてしまう。本当に、困った。顔の熱を冷まそうと、顔を仰ぎながら踵を返した。
 新出はここの近くにある病院で、健康診断の手伝いがあると言っていた。まだ時間も早いし、ぷらぷらとして待っていようか。

「ちょっと、そこの人退いて!!」
「え?」

 ごんっと肩が勢いよくぶつかって、私はその場所に座り込んでしまった。バランスを崩さなかっただけ、今の足には僥倖だ。呆けていたら、私の傍らをまるで野生動物の群れのようにバタバタと通り過ぎていく影があった。

「四時二十八分、窃盗の疑いで確保――。まったく、逃げ足は早いんだから」

 背後から聞こえた凜とした声に、私は振り返る。
 パープルのオフィススーツを纏ったショートヘアの美人が、無骨な男の手を捻り上げてふんと鼻を鳴らした。その美人さと言ったら、さすが警視庁のマドンナ。一目で見てすぐにキャラクターの名前が浮かぶくらいに、彼女はただのアスファルトの上がステージでもあるかのように輝いて見えた。

「ごめんなさい。怪我はない?」

 手錠を嵌めた男の手を引きながら、彼女は私のほうに歩み寄った。私より少しだけ背が高いだろうか。涼やかな顔つきをしていたけれど、声色はどこか優しい。色の薄いリップで飾られた唇は、ニコリ、と私を安心させるように微笑んだ。

「あ、はい。大丈夫……」

 ――私最近、こんなのばっかりだなあ。
 怪我をしては人に心配される流れが続いている気がする。今年はおみくじを引いていないけど、もし引いたら災厄の欄には散々な言葉が並んでいそうだ。軽く服についた砂埃を払いながら立ち上がる。

「良かった。何かあればここに連絡して、治療費も下りるから」
「ありがとうございます……」
「本当にごめんなさい」

 ぺろ、と渡されたメモ帳を見遣る。佐藤と書かれた文字と、走り書きで書かれた電話番号。この世界の人って、本当に美形だらけなんだから。佐藤も、きっと外回りが多いだろうに、あのシミ一つない肌は一体――。
 
「ちょっと、なんで君が出るわけ? 今はそんな冗談に付き合ってる暇……え? そうそう。……もう良いから、高木くんに変わって頂戴」

 どうやら踵を返して同僚と連絡を取り始めたらしい。その凜とした声は、少し離れた私のほうまでよく聞こえた。

「あ、もしもし高木くん? もう、何で携帯取られてんのよ……。ハア、でしょうね。彼のことだもの……。例の引ったくり追いついたから、一台回してもらえる? 場所は――……」

 コツンコツンとヒールを鳴らす音が遠ざかっていく。

「……何? 馬鹿ね、松田くんにヤキモチなんて。さっきの電話? ふふ、可愛い所あるんだから」

 ――わ、すごい。今は結構ラブラブだったりするのかな。
 プライベートの話になると、あれだけ凜とした声も形無しに蕩けたような声色に変わるのだなあ。アニメで見てた二人の恋路なので、そんな変化がなんだか嬉しくて、私はついニヤニヤしてしまった。


prev Babe! next
Shhh...