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 別に誰に咎められたわけではない。
 元の世界のことを言ってはいけないよ、なんて厳しく言いつけられたこともないけれど、普通はそんなことを言わないのが吉なのだ。そもそも頭の可笑しい奴だと思われるだけだし(――安室が特殊なだけで)、組織のように何か疎ましいと思うようなことを、無意識下に知ってしまっているのかもしれない。


「おーおー、何かあんなら吐いちまったほうが気が楽だぜ」


 携帯のライトを間近に当てられて、私はウウと目を逸らした。相変わらず態度悪く私を睨みつける松田に、萩原が身を乗り出して間に入り「まあまあ」と苦笑いを零す。
「萩原さん、松田さんと席代わってよ……」
「あはは。松田が良いって言ったら」
「良いぜ、お前もこっち側だけどな」
 それじゃ意味ないじゃん、とそのクルクル頭を睨んだ。睨みは効かせてくるけれど、どうしてか思いのほか恐怖は感じない。多分、本気で怒っているわけではないからだ。もしかしたら、彼らの中に「まだ若いし」という想いがあるせいかもしれない。以前の淡々とした赤井の威圧に比べればそよ風レベルだ。

「アイツ、本当に容赦なかったのね……」
「アイツ?」
「なんでも……。あの、ごめんだけど、詳しくは話せなくって……」

 それから、私は萩原に話したように、特定の人物がいないかという可能性を探っていること。その人物の関わった人物が、恐らく過去に何か事件から命を救われているということを説明した。

 松田は納得してくれないと思ったのだが、キョトンと目を丸くして萩原と顔を見合わせた。萩原も片側の口角を軽く持ち上げて、こくりと頷いた。

 私は二人の間をキョロキョロと反復して、何かあったかと尋ねた。松田は声を篭らせてから、煙草を取り出した。萩原が「禁煙だよ」と咎めると、軽く舌を打つ。
 
「んだよ、最近はどこも禁煙、分煙って……」

 くしゃくしゃになった一本を無理に箱に戻してから、松田は煙草の代わりにため息を零した。苛立たし気に背を凭れさせた松田に代わって、萩原が私に向かって話しかけた。


「実はね、コイツも諸伏に助けられてんだ」
「……え?」
「ありゃ、いつだったか……。確か、今から六年くらい前だっけ」

 萩原が「なあ」と松田に向かって声を掛けると、松田は仕方なしにサングラスを外し、スーツの内側に仕舞いこんだ。ガキっぽい言動とは裏腹に、ずいぶん大人びたハードボイルドな男だった。萩原とはまた違う、毒のような雰囲気がある。

 男は先ほど私に向けていたものとは異なる、怒りを含んだ瞳で忌々しく窓の外を眺めた。――不思議だった。だって、命を救われたのだ。しかも、信頼ある友人に。何をそんなに、まるで救われることが悪だったような――。

「思い出すだけで吐き気がする」

 スーツの皺を戻すように座りなおして、松田は近くにいたウェイトレスへコーヒーを注文した。そのまま居座るのも申し訳なかったので、私もカフェオレを。萩原もコーヒーをもう一杯頼んだ。

「おい、女の子怖がらせちゃいけねえなあ」
「うるせえ。んなつもりじゃねえ」
「あ、良いよ……。その、気にしなくて」

 私はぶんぶんと両手を振る。萩原は意外そうに私を見る。松田も、先ほどよりやや怒気を収めて自身を落ち着かせるように長く息をついた。


「……あの日、観覧車に仕掛けられた爆弾を解体するのは俺の予定だった。萩のときの犯人から毎年犯行予告が来るのは知っていたし、手口の予想もついていたからだ。現場に向かう途中の俺を、アイツが引き留めた」

 
 ――松田は淡々と話し始めた。時折苦しそうに眉間を潜めながら、私が知っているものとは異なるストーリーを。
 まず、この当時松田はまだ機動隊に所属していたらしい。送られてきたファックスから場所を予想し――ここは原作通りだ――、それを解体すべく向かう途中で、諸伏がその車の前に立ちはだかったこと。そして萩原の時と同様、行ったら死んでしまうとしつこく引き留めた。勿論無下にするわけではなかったが、時間は迫っていたので、松田も焦っていたのだという。早く行かせろと喧嘩になりかけていたとき、松田の携帯に一件の着信があった。

「……その時の上官からだった。俺が時間を取られている間に着いた他の奴らが、観覧車の解体に当たったらしい。結局、犯人の思惑通りだ。中に乗り込んだ一人の隊員は助からなかった……。その報告を受けて、呆然とする俺に、アイツなんて言ったと思う」

 悔しそうに眉を歪ませて、彼は忌々し気に机に拳を打ち付けた。その怒気に、ビクリと肩が震える。唇が戦慄いて、擦れ気味の声が震えた。声を荒げるわけではない静かな怒りが、安室と同様に彼の瞳に浮かんでいた。


「良かったと……。俺が、死なずにすんで……良かったとぬかしやがった」

 
 震える拳に私は何も言えず、沈黙した。
 ――どうして、スコッチがそんなことを……?
 松田がとった行動は、明らかに原作とは異なる。その爆発した観覧車に乗ったのは紛れもなく松田本人であり、その事件で亡くなったのは彼のはずだった。変えたのは、諸伏景光だ。どうして原作に登場する彼が、まるで見てきたようにその内容を知っているのだ。

 萩原は松田に「落ち着け」と声を掛けてから、私に向かって口を開いた。彼は怒りというよりもやるせなさに満ちた、庇うような言葉選びをした。

「そんな奴じゃないんだぜ、諸伏は……。どうしてそうなっちまったのか、俺たちも不可解なのさ」
「だからゼロを探してたんだ。アイツなら何か知ってると思って。何せ、アイツも諸伏も数年前から姿を消しちまって、連絡が取れねえんだよ」

 諸伏は――少なくとも、悪い人間ではないはずだ。安室があれだけ友人について語っていたし、萩原たちもそんな奴ではないと不思議に思っているのだから。そして、きっと亡くなっているのも事実だろう。そうでなければ、安室と赤井の間に怨恨が生まれるのは妙だ。

 なら、どこかで彼が未来を知って、そこから捻じ曲がった――? だとしても、安室の友人になるような正義漢が、人の命をそんな風に扱うのはイマイチしっくりとこなかった。まるで好きなキャラクターに死んでほしくないと思うファンかなにかみたい。

 ――駄目だ、全部想像の中の話だもん。

 諸伏景光という男についての情報が曖昧過ぎて、全てが「だろう」「かもしれない」から出ることができない。なら、安室に聞けば良いのだろうか。――安室に、スコッチのことを。


「な、泣かなくても良いだろ」


 松田が慌てたように私の顔を覗き込んだ。私はえ、と口を強張らせたまま顔を上げる。ぽつん、とテーブルの上に水滴が染みこんでいく。

「あ……ごめん、ちょっと考えすぎて」
「考えすぎて泣くってどういうことよ……。ほら、ハンカチ使いな」
「萩原さん、男なのにハンカチ持ってんのすごい……ずび」

 シックな色のハンカチで、私は頬を拭った。
 彼――安室にとって、スコッチとはどんな人物だったのだろう。あんなふうに、目の前で動かなくなる体を見て、どんな気持ちだったのだろう。それを私の口でズケズケと暴いていくのは、スコッチの墓を暴くような気がして、嫌だった。私にも安室との大切な思い出があるように、母との思い出があるように――安室にも、彼とだけの記憶があるはずなのだから。

「悪い、ゼロの知り合いだっつうお前に言うことじゃなかったか」
「ううん、話してくれて良かった。でも、その、頭の整理できてなくて、ごめん」

 私はとにかく謝って、彼らと連絡先だけを交換することにした。私の頭の中と情報を整理してから、改めて何かあれば連絡すると告げて。協力を求めにいく先は、決まっていた。――諸伏景光の死を看取ったはずの、もう一人の男のもとだった。


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