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 翌日、私ははらはらと胸を鳴らしながら沖矢のもとへ訪れた。
 安室からの電話には、曖昧に返してしまったが、事実伝えられるほどの確証はないからしょうがない。ひとまずは、事実確認が必要だ。まるで初めてこの家を訪れたときのように、その大きな門扉がひどく威圧的に感じる。
 いつものように客間に通されて、彼が淹れてくれた紅茶とクッキーを、やたらに口に含んでしまった。緊張していたので、味はあまり感じない。

「……何か言いたいことが?」

 沖矢はそんな私の様子を感じ取ってか、膝を抱えながら平然とそう尋ねた。私は「うん」と頷いてから、時計の秒針が進む音を数えること百秒ほど――。うまく言葉にできず言いあぐねて、ようやくその言葉を口にした。


「……スコッチ」


 ぽつ、と零した言葉に、彼のティーカップのハンドルを支える指先がピクっと反応する。咎められはしなかった。私は上手く視線を合わせられず、瞳をテーブルへと落としたまま、冷たくなった拳を握った。

「スコッチのことを、教えてほしくて……」
「――ホォー、それはまた。わけを聞いても?」

 理由は――沖矢になら話しても良いだろう。既に私が彼らの情報を知っているということは話しているし(信じてもらえたかは別として)、スコッチや安室についても多少なりと知っているだろうから。

「実はね、スコッチって人が……もう何年前のことなんだけど、私の知っているキャラクターとは違うんだ。死んでいるはずの人を助けていたりとか。性格も、話を聞いた人たちが言うには、その人じゃないみたいだって言ってて」

 沖矢はカタン、と揺れる紅茶を机の上に戻した。その表情は最近では見なかったほどにポーカーフェイスに守られていて、感情を読み取ることはできない。ただ、内心が穏やかではなさそうなことだけは、口元に浮かばない微笑みから察し取れた。

「私、ちょっと考えたんだ。もしかしたら、その人に未来のことを伝えた別の誰かがいるんじゃないかなって。例えば、私みたいに……。それを知って、そういう行動に出たんじゃないかなって」
「馬鹿げた話です。ならどうして……」
「どうして、彼自身が亡くなったのか、だよね」

 ふう、と肩を竦める沖矢の姿を、私はゆっくりと視線をあげて見据えた。
 確かにその通りなのだ。もしスコッチが未来を知っていたのならば、自らの死すら回避する方法はあったはずなのだ。松田より、キュラソーより――。ただ一人、赤井秀一が警察の味方だという確証さえあれば、スコッチが死ぬことは避けれたかもしれないのに。
 
「それは、私も思った。でも可笑しいんだよ、同期が死ぬことを予知してるなんて、普通じゃないじゃん。だからこそ向こうの世界が関わってるのかなって……、思うけど……」

 沖矢は自身の心を落ち着けるように、眼鏡の位置を直した。どう見ても動揺したその姿に、もしかしたら何か心当たりがあるのではないかと思った。もう一度拳銃でも突き付けられたらどうしよう。そう思ったけど、今の彼からはそういった冷淡な雰囲気は感じない。

「何か知らない? いつもとは様子が違う時があったとか……。その、松田って人が言うには、学生の時はすごく正義漢だったらしいんだよね。自分の両親を殺した犯人にさえ、私怨で命を見捨てないくらい、立派な警察官だったんだよ」
「……いや、特に心当たりは」
「それが友達のためなら他の人は死んで良いなんて、そんなこと言うとは……思えないじゃん。きっと何かあったんじゃないかな」

 私は昨晩考えていたことを必死に口にする。一度は背けた顔を、沖矢は悩まし気に歪めた。何か、考えているのだろうか。大きな手のひらが、スリ、と合わさった。先ほど私が数えたよりも長い時間、沖矢は沈黙を破らなかった。ようやく口に出した言葉は、「確かに」と言った後、喉につっかえたように咳ばらいをした。

「確かに、そういったことを言う男には見えなかった。ですが、別段何か変わった様子があったかと言われれば……」
「彼が亡くなったときに居合わせたのは赤井さんだったよね。何か言ってたりとかしなかった?」
「そんな時間もなかったと思いますよ。彼は自らの口を割らせないように……」

 そこから先の言葉は、消え入るような声色で聞き取れなかった。
 言いづらそうにする姿は沖矢らしくなく、彼もまたスコッチの死を悔いているのだと分かる。これ以上言及するのはやっぱり胸が痛んで、私は「そっか」とそこで質問を途切れさせた。

「しかし、数年前のことなんでしょう? どうしてそんなことを」

 私は温くなった紅茶で口の中を潤してから、ソファに置かれたクッションを抱える。
「勿論、人の命が救われて良かったって思ったよ。でも……そのために誰かが死んで良いなんて思わないし、それって、この世界で生きてる人をキャラクターとモブキャラクターで区別してるってことだよね」
「君たちの言い方に換えれば、そうなりますね」
「ちょっと、怖いなって思っちゃった。私よりも詳しいのかもしれない、そんな人が……。まるで、この世界をどうにかしようって思ってるみたいでさ」

 ――でも、もう原作の時間軸は終わっているんだけど。
 いくら原作の知識があったって、これ以上の干渉はできないだろう。そうは思っても、また同じようなことが起きてしまったらという危惧だけはあった。こんな知識、やっぱりないほうが正解なのかもしれないなと改めて思う。

「ほら、よくゲームとかだと、お気に入りのキャラだけでパーティ編成したりするでしょ。あんなふうに……。命を選別してるみたいな……」
「スコッチが?」
「まさか! だけど、そういう人と関わってたかもって可能性はあるよね」

 現に、スコッチの死後、キュラソーを助けたのは別の男だろう。そうじゃないと辻妻が合わない。

「弱味を握られてたとか……」

 現に、彼はスコッチとして潜入捜査を続けていた身だ。私が沖矢に取引を持ち掛けたように、そういったやり取りをしていても可笑しくないんじゃないだろうか。沖矢はフ、と力なく笑って、厭味っぽく頬を引きつらせた。

「もしそうなら――。もしそうだとしたら、その人物をどうにかしてやりたい」
「……怒ってる?」
「その人物には、スコッチは選別キャラには入らなかったということでしょう。そんなたった一人の主観で見捨てられたのなら――こんな世界、クソ喰らえだ」

 吐き捨てるような言葉に、私は先ほどのことと言い、赤井のスコッチへの想いを認識し直した。任務中とは言え、行動を共にした人間が死んだのだ。何か思うところはあるのかもしれない。

「赤井さんって、スコッチって人と仲良かったの?」

 彼は良くも悪くもクールで現実味のある男だった。確かにコナンの中でも、スリーマンセルで行動するような姿は見られるけれど――。安室は彼の話をすると少し和らいだ雰囲気になるから、同じような気持ちで話しかけたのだ。スコッチの人物像くらいは分かるかもしれない、そうも思った。


 しかし、次の瞬間私を射抜いたのは、殺意にもよく似た沖矢の視線だった。
 以前向けられたものよりも、ずっと熱い。あの冷たい弾丸のような鋭いものではなくて、すべてを燃えつくそうとする炎のような怒りだった。

「出ていけ」

 低い声が、唸るように呟いた。
 恐ろしかった。銃も何も持っていないのに、そんな彼のつぶやきに足が竦んだ。「ごめん」と謝ることもできなくて、背筋を震わせる。

「そんなわけがない……そうだったら――そうだったら!!」

 だけれど、同時に胸が苦しい。どうしてだろう。確かに恐ろしいほどの怒りに満ちているのに、声色が揺れている。泣いているみたいだった。


「アイツは、毒を飲んで死んだりしなかった!! そんなもの、持ち歩くような男では、なかったのに……」
「……え?」

 
 悔やむような言葉が続いて、私はその内容に息を呑んだ。しかし、その違和感を伝える前に、むんずと力強く掴まれた二の腕を引き摺られるようにして、大きな門扉から締め出されてしまったのだ。

「……毒」

 確かに、沖矢はそう言った。そういえば、スコッチの死については、私が一方的に知っていると思い込んでいて、何も気にしていなかった。――けれど、何か大きな思い違いをしていたかもしれない。私がここに来る前から、この世界は何かが――何かが、違ったのかもしれなかった。


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Shhh...