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 目覚ましが鳴り響く部屋の中で、緩慢に目を覚ました。私はのそのそとベッドの中で寝返りを打った。朝日を浴びて、キラっとした何かが私の目を眩ませる。それに目を細めて、何度か視界を鳴らすように瞬きをした。

 布団の中で、もぞっともう一人分の足が触れた。私はその寄り添った足が嬉しくて、わざと安室のほうへと寝返りを打つと、つま先で脛辺りを擦った。ふんふんと鼻歌を歌いながらほくそ笑んで、ちらりとその寝顔を見上げた。

「おお〜……」

 眩しかったのはそのブロンドだけではなかった。私はついつい感嘆の声を押さえられないままに零すと、寝こけていた顔がフっと口元を緩ませた。

「なんだ、起きてんじゃん」
「薄っすらとね……」

 ゆっくりと、色素の薄い睫毛が持ち上がる。安室は目元を微笑ませてクスクスと笑った。すごい、なんていう神が作った造形――。その顔を見ていると人生の不平等さを嫌でも追い出させる。
 最近、松田や萩原を見たときも相当の美形だとは思ったが、やっぱり安室は一人だけ次元を間違えて生まれていると確信できた。――ん? 元は二次元なのか。どちらにせよ、どこぞの聖堂の壁に描かれていても不思議ではない美しさである。

 そんな美しさに極みを掛けた顔つきが、小さく欠伸をしてぐぐっと腕を伸ばした。彼の姿を眺めて、私はもう一度ニヤニヤと頬を緩ませる。彼の体に思い切り抱き着くと、安室は驚いたあと私の頭を撫でて「おはよう」と微笑んだ。

 ――すごい、安室さんが隣にいるんだ。

 再会した時はそのショックのあまり実感が湧かなかったけれど、穏やかな表情を眺めているとその実感が私を浮かれさせた。ずっと一緒にいたかったのだから、ちょっとくらいこの幸せをかみしめてもバチは当たらないんじゃないか。
 緩みきった頬を、安室の指先が揶揄うように突く。正直今日くらいこのベッドの上でごろごろしていたいという気持ちはあったけれど、その前に私の腹部あたりに小さな塊が落ちた。私はその重みに「ウ」と呻いてから視線を下ろすと、出会った頃よりも体つきが大きくなったハロが嬉しそうに鳴いた。

「ああ、もうそんな時間か。餌の時間なんだよ」
「なるほど……。ハロ重くなったね〜……」

 お腹を摩りながら、もう片手でハロを撫でてやる。安室はハハっと声を上げて笑って「まあ、もう立派な成犬だから」と言った。

「ケッコー痛かったよー、ハロ〜」

 恨めしくワシワシと乱雑に頬を撫で掬ったら、ハロは首を傾げて、嬉しそうに尻尾をブンブンと振り回した。それが可愛かったので、私はもう何も言うまいとハロを撫でるだけのマシーンとなった。

 その後、安室が「僕たちも朝食にしよう」とベッドから起き上がったので、まだ寝転がりたい気持ちを押さえてのそのそと洗面台に向かった。顔を洗って、安室が淹れてくれたコーヒーとホットサンドが並んだダイニングテーブルヘ向かう。安室はといえば、手際よく自分たちの朝食を準備したあと、ハロの餌を用意していた。

「……犬用のオヤツっておいしそうだよね」

 それは別に他意があったわけではなくて、子どものときにそう思ったことを思い出したからぼやいただけだった。犬用のジャーキーとか、並んでいるのを見ると美味しそうに感じるではないか。
 だというのに、安室はひっそりと眉を歪ませると、用意していたおやつ袋をそっと後ろ手に隠した。私はなんて失礼な、とやや怒りを含んだ声で「ちょっと」と咎めた。

「さすがに食べないよ、子どもじゃないんだから」
「似たようなものじゃなかったかな」
「二十歳超えてるんだけど!?」

 そう叫んだ私に、私よりもより驚いた様子で目を見開いていたのは安室だった。すぐに咳払いして表情を戻したが、「そうだっけ」という言葉が顔中にベタベタ貼られているみたいな顔をしていた。

「〜っ……!!」

 私はそれが悔しくて、言葉を失ってググっと言葉を詰まらせる。すると安室は堪えきれなかった笑い声を部屋に響かせて、一通り笑ってから滲んだ涙を払った。

「ごめん、本当は知ってたよ。新出先生に成人パーティの写真も貰ったんだ」
「え、何それ! そんなの私に言ってくれればいっぱいあげるのに」
「別に沢山ほしいわけじゃなかったしね」

 私の成人を迎えたパーティは、とある金持ちなクラスメイトの家で行った。皆でお酒を買いに行って、クラブみたいな音楽を大音量で流して、皆でバカ騒ぎしたっけか。英語は未だにそれほど得意でもないが、そういうノリで過ごせるものは嫌いじゃない。

 安室が見たと思うと、私変なことをしてる写真じゃ無かったよね、とちょっとだけ心配になった。酔いつぶれた時の記憶はほぼないが、迎えにきてくれた新出の記憶は薄っすらとあった。しかし、パーティ最中の話を思い出すことがなかったのだ。

 どうしよう、すごい変顔しているところを撮られていたら――。流出しないように、最新の注意を払って保管してほしいものである。切実にそう願いながら、ハロの餌の始末を終えて、安室も私の前の席に座った。

「いただきます」

 そう手を合わせたのは、どちらが先だっただろう。
 殆ど同じだったかもしれない、語尾だけが、私と彼の語感が異なり、ばらばらと声が散らばる。ホットサンドにかぶりつくと、トーストの間からチーズがとろっと伸びていく。
 私はその長く伸びていくチーズを歯で噛みきって、丁寧に盛られたホットサンドを味わった。

 
「君はいつまで春休みなんだい」

 安室が、自らのトーストからチーズを伸ばしながら尋ねた。私はコーヒーで口の中をさっぱりとさせてから、夏までだと答えた。
「そう、なら少し急がないとな」
「別に中退しても良いよ。費用は全部FBIから出てたわけだし……ちょっと申し訳ないけど」
「いや、折角入学したんだ。しっかり最後まで吸収してくると良いさ」
 私としては別にどちらでも良かったのだが、安室がそういうなら言葉に甘えようと思った。少なくとも諸伏の一件があるうちはここにいるつもりだが、カナダの大学も嫌いなわけではないのだ。

「安室さんついてこないんだよね?」
「仕事もあるから、ついてはいけないな」
「うーん、それだと寂しいなあ」

 少し冗談めかして笑った。安室はそんな私の言葉に真剣そうな顔つきで暫く悩むと、申し訳なさそうに眉を下げる。私は慌ててぶんぶんと首を振った。

「気にしないで。私別に、一人が嫌いなわけじゃないし……」
「ああ、君は人と仲良くなるのが上手いから」
「そーかな。別に、普通に話してるだけだよ」

 それに、私からしたら安室のほうが余程コミュニケーションに長けている。確かに、人と話すのは嫌いではないし、友人も多い方ではあった。

「……でもさ、もうあんまり覚えてなくて」

 私はトーストにざくっと歯を立てながらぼやく。それは私の元の世界での話だった。あちらの世界の友人の名前や声、顔つきを、私は上手く思い出せない。安室が言っていたとおり、私はそのとき、本当に誰でも良かったのだと思う。その場限り傍にいてくれれば、それで――。
 そうじゃないと、もし喧嘩してグループが別れたときに、誰かがいなくなったときに、寂しくて堪らないから。自分の居場所を確認したくて、そこにばかり拘ってしまうだろうから。

「薄情かな」
「本当に大切な人なら、また思い出してやれば良い。僕も似たような物だったよ」
「ふふ、それで諸伏さんに怒られたんだ?」

 悪戯っぽくそう言うと、安室がバツが悪そうに片眉を上げて、コーヒーを啜った。――「まあ」、なんて言葉を濁すようにため息をついた安室に、私はまた口角を持ち上げていくのだった。


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