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 この家に客が来ることは珍しい――というのは、安室から聞いた事だった。潜入捜査員ではないと言えど、極秘組織の一員。そんなにホイホイと誰かを招いたりはしないのだろう。まあ、安室自身、あまり必要以上の交友関係を持たないということもあるだろうが。

 何が言いたいかといえば、無駄に広いこの部屋には、客用のものが殆どないのだ。茶碗から箸から椅子から、私と安室二人(と一匹)分以外、ファミリー向けのワンルームには存在しない。

「……だからって俺たち地べたなのは可笑しいだろぉ」

 萩原が不貞腐れたようにハロの横で頬杖をついていた。
 安室は気に入らなそうにフンと鼻を鳴らしそっぽを向く。その傍らにはヤンキーのように座り込む松田と、もう一人、体の大きな恐らく警察官なのだろう男が座っていた。曰く、彼もまた警察学校時代の同期らしく、萩原も松田も安室でさえ彼を「班長」と呼んでいた。ので、私もそれに倣うことにする。

「班長さん、椅子変わろうか?」
「いや、構わないさ。伊達だ、降谷とは警察学校で同じ教場だった」
「伊達さん、よろしくお願いします」
「どうして俺に椅子を譲ろうと思ったんだ?」

 可笑しそうに体格の良い男が笑う。私は悩みながら、「だって一番偉そうな感じしたし」と正直に零す。すると彼は声を上げて膝を叩いた。萩原も松田も、顔を見合わせて「確かに」なんて指差をさしあっている。

 暫くすると、私のぶんのカフェオレと三人分の缶コーヒーを持って安室がキッチンから帰ってきた。萩原から激しいブーイングが飛ぶのを、彼は視線で一蹴していた。なんだかすごく新鮮だ。当たり前といえばそうなのだけど、彼は安室透ではなく降谷零なのだと、その様子を見ていて思い知る。

「はい、カフェオレ。話聞くのが苦痛だったら部屋に戻ってても構わないが……」
「えっ、ううん! 私もちゃんと話聞きたいし……邪魔じゃない?」
「勿論。君に助けてもらえるなら嬉しいよ」

 ニコリと笑った安室の表情を見て、三人が顔を見合わせる。
「ゼロがそんなに優しいなんて珍しい」
 と、口を揃えて言うのだ。そういえば、以前萩原と学生時代の話をしたときに、降谷は良くも悪くも男女の扱いに差をつけないと言っていたっけ。私が会ったのは安室透だったので、今のままでも何ら違和感はない。

「その安室……って性格のままなのが変でしょ」
「もう潜入捜査が終わってんなら、元にもどりゃ良いだけだろ?」

 そう言われれば、そうかも。私は首を傾げて安室を見上げると、彼こそ不思議そうな顔をしていた。「そう言われれば」と、私の心を全く同じ台詞が飛び出る。無理をしているのかと尋ねると、安室はふるふると首を振った。

「まさか。気を遣うようなら一緒に住んだりしないさ……ただ、君と会った安室透という男のことを、僕も案外嫌いじゃないのかもしれませんね」
「安室さん……超可愛いその顔……」

 照れくさそうに頬を掻いた表情に、心が潤っていくのを感じる。頬杖をつき輝かしい表情を眺めながらも、私はヘラっと自然に笑ってしまうのを我慢できなかった。冷たいカフェオレに機嫌良く手を添えていたら、伊達が咳払いで話を戻す。

 この部屋に松田と伊達を集めたのは、萩原だ。ずっと三人で、降谷に会ったら聞こうと思っていたことがあると、彼は言っていた。それが何の話なのかは、私には――きっと安室にももう予想できていただろう。


「話したいのは、諸伏のことだ」


 そう、最初に杭を打ち込んだのは伊達だった。
 私は不安でしょうがなかった。安室の心が、その僅かなヒビからバラバラに割れていってしまうのではないか。また、そうなったことを自分の所為だと、責めはしないだろうか。ちらりと窺った彼の瞳からは、それは読み取れなかった。

「芹那さん、だったか。君がこの二人に聞いたのと同じように、俺もアイツに命を救われた身だ」
「伊達さんも……?」
「ああ、飲酒運転で突っ込んできた車から、スレスレの所で……。そこまでは良かったんだが、結局運転手は亡くなってしまったんだ。その時に、諸伏が……」
「――生きてて、良かったって」

 ――そう言ったんだ。安室が力ない声で続けた。伊達は驚いたように「知ってたのか」と振り向く。

「信じてはいなかったさ。第一、時系列が合わないし、きっと他人の空似だろうと思ってた」
「いや、あれは間違いなく諸伏だった。だけど、どこか諸伏じゃないような……。アイツが事故現場を見て、通報も救助活動もせず、死者を顧みないような行動をするとは思えなかったんだ」

 その話を聞いて、安室の視線がこちらを向く。私はその視線を受け止めて、頷いた。恐らく、私の話をしても良いか迷っているところなのだろう。私としては、別に異世界から来ただとかをひけらかす必要もないが、隠す必要もなかった。特に、安室が話すに値すると思っているなら尚更だ。

 安室は丁寧に、私のことを気遣うような口ぶりで彼らに今分かっている範囲のことを説明した。私がこの世界のことが描かれた作品を知る場所から来た事や、その作品とこの世界に多少のズレが生じていること。そしてそれに関わる出来事に、諸伏が関わっていること。――諸伏は安室が見ている目の前で、確かに死亡を確認していること。

 三人が押し黙ったのは、突拍子もない話に大して驚愕しているのか――否、私には、旧友の死を受け止めきれずに言葉を失っているように見えた。私は彼らの学生時代を知らないが、安室が公安になり何年が経っているのか――きっとかけがえのない友人であったのだろう。

「待て待て、じゃあ伊達んところに現れた男ってのは誰なんだ」

 松田が納得できないというように声を上げる。安室は大きくため息をついた。
「だから戸惑ってるんだ。誰かの変装なのか――だけど、確かにあの傷はヒロの……」
「その傷のことを知っている奴は?」
「死体の処理まで僕がしたんだ。まあ、山奥の何もない墓をわざわざ掘り返したのなら、話は別だけど」
「……悪い」
 気にしてないさと安室は小さく笑った。松田はそれでも、もう一度クルクルとした癖毛頭を下げる。その姿を見て、私は安堵した。彼らが、紛れもなく良い人だと心の中で確信できたからだ。

「でもそれだと死体が動いてるっつーことになるよね……? それってかな〜りオカルトチックじゃねえ?」
「まあ、異世界とやらが存在するならあり得ない話じゃない気もするが」
「そうだとして、諸伏がコイツを殺そうとする理由にはならねーだろ」

 松田はくいっと親指で私のほうを指す。確かに、もし幽霊のような存在が彼らの命を救ったとしても、私を殺すことに理由はないはずだ。私がいることで、何か世界に悪い影響がある――とか。

「それこそ妙だな。世界規模で人の命を助けたいと思っているなら、松田の時の言動と理念が合わない」

 伊達があごひげを擦りながらしかめっ面をした。萩原が唸った後に、私へ声を掛けた。
「他に何か気になる所とかないの? 小さなことでも良いからさ、諸伏ちゃんが関わってるかもしれないわけだろ」
「……うーん。実は私、漫画読んでたんだけど細かい所までは覚えてなくって」
「どうせイケメンだけ追ってたんだろ」
 ずばっと吐かれた指摘は、あまりに図星すぎて私はギクリと背を正した。正直その通りである。萩原が大声で嘆いた。
「ひでえー! 俺イケメン枠じゃねえってことかよ!」
「えぇ!? いや、いたかなあ……。見覚えはあるんだけど……」
「世界中の人口全てが漫画に描かれているわけないだろ。きっとそうじゃない人間もたくさんいるはずだ」
 伊達が苦笑いしながら私をフォローした。良い人だ、覚えていなくて申し訳なかった。私は暫く考えこんで、今まで出会ったキャラクター達を思い出す。それでも、やっぱり思い浮かぶのは彼らとキュラソーくらいだ。

「……あ」
「何かあったのか」
「や、これは疑問っていうか……。ねえ、安室さん。結局ラムって誰だったの? 私てっきり寿司屋の人だと思ってて、この間普通に店にいたからビックリしちゃった……」

 ――振り向いたときに、安室が瞳を揺らした。明らかに動揺が滲んでいる。彼は信じられないと言いたげな口元を隠すように覆うと、喉を鳴らした。困惑を表した眉の形、暫く考え込むように黙ってから、安室はようやくこちらを見た。


「――……覚えて、いないんだ」


 

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