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 バーボンが積まれた服を見てお情けに譲ってくれたラックから、服を見繕う。噂のキャンティという人物(恐らく、話を聞く限りは女のように思う)のおかげで、服を選ぶことに楽しさを感じてきた。ワイドパンツ。それから短い丈のパーカー、蛍光グリーンのものを選んで、オレンジ色のベルトを腰に通した。鼻歌を奏でながらライの使っているワックス(こっそり洗面台からパチったもの)を指に絡めて、髪を後ろに撫でつけた。

「うん、オールバック可愛くない?」

 鏡を覗いて、軽く後れ毛を零れさせる。我ながら額の形は良いほうだと自負している。あと眉の形も。これに良い感じのピアスがあったら、尚完璧なのだけれど。薄っぺらな耳たぶを弄りながら鏡の前でクルクルと回っていたら、がらりと仕切りが開けられた。

 振り向くと、バーボンが怪訝そうに私を見つめている。
 何してるんだなんて呟いているが、私としては何勝手に開けてるんだという気分である。女だという認識がないのか。ちょっとだけ――大分腹が立ったけれど、フンと一つ鼻を鳴らして気持ちを押さえ込む。
 息をついてから、パっと笑顔を浮かべて仕事帰りらしい黒いシャツに駆け寄り抱き着いた。

「ど? 今日の髪形」
「いつも可愛いですよ、お嬢さん」
「やっぱりね。自信はあったけど」

 自慢げに笑ったら、バーボンは呆れたようにしながらも頷いた。彼のその上っ面だけの世辞は、こういう時の機嫌取りには悪くない。機嫌をよくして首の後ろでローポニーテールを弄った。

「どこかに出掛けるんですか? もう日が暮れますけど」
「ちょっとお仕事。一緒に来る?」

 にこりと笑いかけると、笑顔が僅かに固まった。彼にとっては、またとない情報源が転がってくるわけだ。向こうも私を探りたいという想いはあるはずだ。調べたって偽名だし、まず戸籍も何もないのだから空の人間しか出てこない。以前渡した履歴だって全て嘘っぱちだ。

「私丁度この服に合う鞄がなくてね、どうやって財布持って行こうか悩んでるんだよね」
「……エスコートします」
「そうこなくちゃ。行こう!」

 私の横で財布になる覚悟は出来たらしい。すっと腕を差し出してきたバーボンに、私は口角をニンマリと持ち上げた。ぎゅっと抱き着いて、今日は歩きで行こうと街に繰り出す。バーボンはさすがというか人目を引く男だった。歩いていると、男女問わず周囲の視線が刺さるのを感じる。彼はそんな視線にも慣れているのか、特に気に留めることもなく私に着き従っている。

「どなたかにお会いするんですか」
「んーん。今日はちょっとね」

 くいっとグラスを呷る仕草をすると、彼はうんざりとした雰囲気で「また?」と繰り返す。ちょっとだけだからと、悪戯っぽく笑った。酒の席に行くのは、酒の場のほうが誰かの口が滑りやすいから。バーボンを連れていくのは、そのほうが組織の人間と接触できる機会が増えると思ったからだ。あわよくば、彼との仲が縮まればそれでも良い。

「でも、飲むだけの場所じゃないの。人とコミュニケーション取れるし、楽しいし?」
「なるほど。言っておきますけど、酔いつぶれたら置いていきますよ」

 適当に返事を返して、路地を抜けていく。ゴミ捨て場を曲がってから、私は馴染みの裏口に身を滑り込ませていく。バーボンが背後から「どうして裏口から」と尋ねるので、スタッフルームの入口に置いてあったキャップを彼の頭にぽすっと被せてやった。

「そりゃあ、入場料端折れるから」
「ああ、そう……」

 フロアに近づいていくと、派手な音楽が聞こえてくる。すれ違うスタッフに挨拶をしながら、人の波が躍るライトの下へ出た。その間を通り抜けて、DJの近くまで彼の手を引いていく。

 背後で、私のことを呼ぶ声がした――と思う。
 フロアは人の熱狂とビートで騒がしくて、彼の声かどうかはイマイチ分からなかったからだ。それでも、この名前を知っているのは組織の四人だけだから、恐らくバーボンだと思った。

 ふと振り向いたら、彼はキャップをもみくちゃに取られて、目をとろっとさせた女の子に囲まれている。「ミチルさん!」、そうバーボンの口元が動いた気がする。視線にも慣れていたし、サラリと受け流しそうなものだけれど、思いのほかこういう場には慣れていないのかもしれない。
 いつも猫被りに微笑んでいるバーボンの、お姉さんたちに囲まれて焦っている姿はなんだか面白くて、少し可愛い。細い脚が股間に絡む。幼い頬をつつかれて、「一緒に踊ろうよ」なんて誘われていた。

「ちょっと、先に行かないでください」
「良いじゃん、踊ってあげれば」

 私先に行ってるね、と指先を離したら、彼は信じられないとでも言いたげに目を見開いてこちらを見つめている。プ、と口から笑いを零して、今一度その手首を掴みなおした。彼もこうしていれば可愛いものだ。

「嘘。ほら、ちゃんと歩いてよ」

 ぐいっと手を引くと、それに気づいた女の子たちは連れがいたのかと残念そうにバーボンに手を振って踵を返していく。よれた襟元を正して、トトっと彼は駆け足に私の後ろを追いかけてくる。なんだか少し楽しくなってきた。

 機嫌良く口角を持ち上げていたら、バーボンは重たくため息を零した。
「揶揄ってる」
「そう思うの?」
「……だって」
 ――だって。なんて子どもみたい。
 真面目くさった足取り、まるで裏側の人間ではないように見えた。正真正銘、彼は組織の一員だと言うのに。一つ肩を竦めてから、その手を引いたまま人混みの中に紛れていく。

「仕事なのでは」
「勿論。こうやって人に紛れて情報収集しようとしてるでしょ」
「いや、踊ろうとしてますよね」
「こんな良い音楽鳴ってんのに、無視するなんてできる!?」

 ねえ、とミキサーを弄る男に視線を向けたら、彼はこちらに向かって軽く投げキスを飛ばした。ほらね、とバーボンの華やかな顔つきを振り向くと、彼は僅かに睫毛を震わせる。照明の色なんて、全部彼の髪や瞳が吸収してしまったように輝いている。

 彼の前で軽くステップを踏めば、バーボンは戸惑ったように視線を落とした。完璧な笑顔に陰が掛かる。――もしかして、本当に馴染みがないのか。私はその手をきゅっと握って、肩の上に乗せた。

「ホラ、適当に」
「適当って……」
「あのねえ、こういうのに合ってるも何もないよ」

 いや、あるでしょう。
 そう言いたげな表情のまま、彼は曖昧に足を動かす。確かに普段からマメな部分はあったが(神経質と言うのか――)性根から染みついたものなのだろう。そればかりは演技ではないと、どうしてか確信できる。まあ、これも一種の勘だけれど。

 一通りの曲が終わると、周囲を見てコツを掴んだのだろう。習得の早い男である。スクラッチの後激しい曲に切り替わったと言うのに、さもクラブの常連のように夜に馴染んでいく。ああ、一瞬の可愛い姿であった。

「子どもの巣立ちを見てる気分なんだけど」
「誰が子どもですか」
「え? 聞こえない!」
「こんな、母親は、嫌だと言ったんです!」

 私の耳元に寄せて、彼が通る声を大きく荒げた。そんな必死に言わなくとも、可笑しくて声を上げて笑ってしまった。バーボンはそんな私の顔を見ると、ピンクのライトが映ったグレーの瞳を僅かに細めた。いつもより、ほんの少し青年じみた表情であったように感じる。

「お酒は」
「飲むよ! バーボンの奢りじゃん」
「利口な取引だと思ったんですが」
「そう言っても、財布持ってきてないし!」

 けらけらと肩を震わせたら、彼はリズムを取った私のつま先を僅かに踏んづけた。それライにもされた、と泣き言を吐けばそれ以上踏むことはなかったけれど。甘ったるい顔つきのクセをして、すっと清涼感のある彼の衣服の香りが、私の鼻を擽ってクシャミを誘うのだ。