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「……それ、本当?」

 先日のクラブで知り合ったDJが渡してきた連絡先。誘われたバーで、私は目を瞬き目の前の男に聞き返した。彼はチャージで出てきたナッツを一つ摘まみ上げ、ハイボールをぐびぐびと飲み干した。

「ああ、知ってるよ。目立つ容姿だし、覚えやすい。バーボン、とか言ったっけ?」

 酒の名前なんて妙な渾名だから印象深かったと、男は笑いながら話した。彼らの周囲で彼らについて口を割る人物は、この男が初めてだったのだ。微塵でも得られる情報があれば良いと、私は奢りだからと言ってバーテンダーに酒を注文した。

「何、彼氏?」
「彼氏ってわけじゃないけど……。イイ感じの人。ねえ、やっぱり怪しい人なのかな。前付き合ってた男が悪い人でさあ、引っかかりたくないんだよね」

 今まで口を閉ざしてきた人たちの顔色を思い出して、組織について探るのは止しておいた。ようやく手に入れた足がかりだ。まずは個人的なことからで良い。ふんわりとプライベートなことだと嘯いて見せると、男は複雑そうに「そうかあ」と呟いた。

「どうだかな。良い噂は聞かねえが」
「ふうん。どんなふうに?」
「相当のタラシだとか、でも二晩は寝ないんだってよ」
「なにそれ……」

 そんな情報が欲しいわけではない。それじゃあただの女タラシのだらしない奴じゃないか。呆れたようにグラスをなぞって溜息をついたら、男は苦笑いしながら人差し指をゆらゆらと揺らした。

「いやいや。そういう意味じゃなく……一晩寝た女に朝陽はないって話さ」
「え……それってどういう」
「シー。あんまデカい声出すなよ」

 ごめん。私は無意識に声のトーンを落として謝った。彼は元々ニヤニヤとした目元を更にニヤっとさせて、こちらに顔を寄せる。どうやら、好奇心が旺盛で押さえられないタイプの人間だ。こういうタイプは自分から破滅するだろう。あまり長く関わらないほうが良いかもしれない。

「裏じゃ探り屋、なんて呼ばれてる。あの女どもが何やらかしたのかは知らないけど、少なくとも白い話じゃなさそうだ」
「ふうん、探り屋ね」
「姉ちゃんも、もしかして悪いコトしてんじゃないのか」
「馬鹿言わないでよ。そんな風に見える?」

 ふん、と鼻を鳴らしてあしらう。なるほど、探り屋か――。そんな渾名がつくということは、情報収集に長けた男に違いない。

「……そうか」

 私は一つ呟き、机に何枚かの札を置いて男に礼を述べた。もう行くのか、とピアスのついた口元が不満げにひん曲がったが、私はニヒっと笑って手を軽くひらつかせる。
「ごめん。バーボンとやらに一発かましてくるから。私のこと騙したわねってさ」
 また相手してね〜。
 愛想よく、いつもよりワントーン高い声で媚びを打ってから踵を返した。口を割ってくれたのは勿論嬉しいが、あまり口が軽い男だと私の情報まで筒抜けになってしまう。暫くは連絡を取るのをやめておこう。

 それより、問題は今の話の内容だ。

 たった一つ、されど私にとっては重大な情報だった。
 探り屋バーボン。そんな二つ名がつくほど、耳が早いメンバーなのだろう。そう評されれば納得はいくような雰囲気はある。ライやスコッチより話やおべっかも上手いし、人目を引く視線は懐に潜り込むのにも持ってこいだ。スコッチも話をするのは上手いけれど、もっと直感的に話している雰囲気はある。

 組織――きっと弱小なものじゃない。情報源に一千万円の大金を渡せるほど大きな組織。その中で探り屋と呼ばれる男は、さぞ優秀な情報屋であると想像に易い。

 ――ならば、私を雇った理由は?

 バーボンに探らせれば良いことを、高い金を払って私にさせる理由。
 簡単だ。組織が、バーボンのことを完全には信用していない。もしくは、今回任務内容になる裏切り者の候補として彼が挙がっているのだ。そして、それはもしかすると、あの三人全員がその候補なのかもしれない。

「ううん、もしかしたら一人くらいは……」

 全員を裏切り者候補として潜らせるのには、私ではリスキーすぎる。もし三人がチームであったら、一生裏切り者には辿り着けないままだ。組織側の人間が誰か一人は紛れていると思っても良いはずだ。

「――止まれ」

 急に響いた第三者の声に、ドキリと胸が鳴った。良い意味では、勿論ない。後頭部に突きつけられた無機質な冷たさは、ドクドクと脈を不安に打たせた。小さく息をついて、心を落ち着かせる。指先が震えないよう神経を使いながら、両手を軽く挙げた。

「……何、急に。不躾ね」
「お前、あの組織の関係者か?」
「藪から棒に……」
「バーボンのことを聞いていただろ」

 はぁ、と思わずため息を零した。先ほどのバーの話を聞いていたのだ。人は少ないと思っていたが、運が悪い。だから、と尋ねたら、男は震える声で喚いた。

「組織の連中のところへ連れていけ! 俺の、俺の娘を……」

 ちらりと視線だけで足元を見た。中々に綺麗な靴を履いた男だ。元の値も良いだろうし、手入れもされている。横にあった自販機が、時折不穏気にチカチカと瞬いた。ジィー、と電源が点いた音が静寂を満たす。

「それはお気の毒に。でも私何も知らないのよ」
「嘘だ! 知ってるんだろ、アイツと一緒にいたって、さっきの男が……」
「嘘でしょ、バッカじゃないの!」

 いくらなんでも、口が軽いにも程がある! 今さっきの話じゃないか。
 やっぱり情報を垂らされたからといって、不用意に噛みつかないほうが良いらしい。これからはもう少し相手を見極めて情報を集めることにしよう。これからの教訓を覚えながら、ひとまず今の状況からどう脱却しようか思考を巡らせる。

「俺の、娘……! くそ、くそ、お前みたいな女が生き残って、なんであの子が……」

 私はハァー、と今日で一番長く大きなため息をついた。
 腹が立ってくる。こんな話を聞かされて私にどうしろと言うのだ。娘を亡くしたことについては気の毒だとは思うが、関係のないことだ。その娘とやらが返ってくることで、私に百万でも転がり込むなら話は別だが。

「分かった。連れて行っても良いよ。条件次第だけど」
「……ああ、幾らだ?」
「一千万円で」

 鼻で笑いながら提示したら、後頭部に突きつけられた冷たさが、益々強く此方に押し付けられた。馬鹿にしているのかと、怒鳴る声がする。

「してないでしょ。私は私の命にそんだけの価値があると思ってるから……ね!!」

 彼の靴のつま先、小指辺りに狙いを定めて、今日はいていたピンヒールの部分で思い切り踏んづけてやった。最近ライ相手に使う手なので、身に沁みついている。(ライは、大抵寸での所で避けていくものの)

 唸った拍子に銃を叩き落してやろうと振り返って、力が抜けた。彼が持っているのは、折り畳み傘の先端だ。
「馬鹿にしてんのはどっちだよ……」
 こめかみに青筋が浮かんで、私は顔を歪め髪を掻き上げた。あんな風に感情を昂らせたことさえ馬鹿みたいだ。先ほどの当たり所さえ悪ければ、小指か薬指の骨にヒビくらい入っているだろう。走ることはできないはずだ。

 呆れ果てて彼の横を通り過ぎようとしたとき、ぐっと服の裾が捕まれた。思わずバランスを崩し塀ブロックのほうへ倒れ込みそうになったところを、誰かの腕が支えた。ぎょっとしてその腕の先へ視線を辿らせる。

 ブロンドの髪――バーボンだ。

 先ほどまでの会話もあって、動揺した心は上手く隠せただろうか。彼はその垂れた目つきをにこやかにさせて、私に大丈夫かと確認した。

「あー、うん……。どうしたの、こんなところで」
「少し通りかかっただけです」

 彼は肩を竦めながら、ちらりと横に倒れた男を見下げる。最初に出会った時のように、彼はにこやかに――そして冷たく微笑んでいる。そして倒れた男の、手の指先に踵を落とした。
 
「あがっ」
「……おや、失礼。そんなところに倒れ込んでいるからですよ」
「おまっえ、バーボン……!」
「さあ、人違いです。こちら治療費です――分かりますね?」

 高そうなグレーのジャケットの胸ポケットに、彼は札を何枚か噛ませたものを押し込んで、端正な顔立ちを男に近づけた。彼が頷きもしない前に、「ご理解いただけて嬉しいです」などと、いけしゃあしゃあと言い捨てた。

 私の腕を引いてスタスタと歩いていく姿に、怖いものだと肩を竦めて、少し駆け足に歩調を合わせた。

「ねえ、あのお金私も欲しい」
「本当にがめついな、貴女……」
 
 呆れた風ではあったが、その笑顔の氷はもう柔らかく穏やかに溶けていた。私は、内心ホっと安堵の息をつく。そうそう、私の前では出来るだけ、こっちの可愛いバーボンでいてもらわないと、困るのだ。