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 しかし、あの三人の中に裏切り者がいるとするなら、やっぱり私にできることは情報のでっち上げだろうか。三人ともソコソコ怪しい男たちではあるが、そんな中途半端な情報ではベルモットを騙すことはできないだろう。だからと言って、彼らのトップシークレットを私が握れるか――?
 一目で虜にできるほどの絶世の美貌があるわけでもなし(むしろ、それはあちらのほうだ)、なるべく信憑性があるように辻妻を合わせた報告書を作るしかない。ここは今までの詐欺師人生、一番の腕の見せ所である。

 とにもかくにも、彼らのことをもう少し根深く知りたいところだ。
 その行動パターンや仕事の手癖を覚えながら友好を深めることにしよう。相変わらず順位付けは上からライ、バーボン、スコッチではあるが、この際チャンスがあれば誰でも構わないとも思い始めていた。


「っ、わああ!?」


 室内に響き渡った声に、私の肩が思い切り跳ねる。ジョキっと顔のすぐ傍で小気味良い音が鼓膜を擽った。手に取られた毛束を見下ろして、私はパチクリと目を瞬いてから、「ああ〜……」とあきらめたように嘆息を零した。
 毛先を整えるだけのつもりだったのだけど、ざっくりと切られた毛先は輪郭のすぐ横あたりで止まっている。私が覗き込んだ鏡越しに、眉を下げた男が近寄ってくるのが見えた。

「わ、悪い……」
「良いよ。ビックリして手元狂わせたの私だし」
「いや、だって、自分の包丁を向けてたから……。言い訳だな、悪かった……」

 私は手に取った料理用の包丁をその場に置いた。鋏、まだ揃えていなかったと思い出したのだ。毛先を軽く整えるだけだし、刃物ならなんでも良いかと思ったのだけど。まばらになってしまった毛先を弄っていたら、スコッチは私の髪をするっと手櫛で梳いた。

「髪切りたかったのか」
「ちょっとね。こんなに切る気はなかったの」
「……ごめん。ちょっと待ってて」

 スコッチは心底申し訳なさそうに、名残惜しそうに私の髪を撫ぜると、リビングの荷物から鋏を取り出した。なんだ、あんな近くにあったのか。今度から借りれるように覚えておこう。それから洗面台にある櫛と、ゴミ袋を持ってくると私の背後に立つ。私は目を丸くして軽く振り返った。

「切ってくれるの?」
「こんなにしちゃったからな、責任取るよ」
「てか、切れるんだ。最初から頼めば良かった」

 スコッチは苦笑いして「大したことはできないから」と謙遜してみせた。私が鏡のほうへ視線を向けなおすと、スコッチの指先が私の後頭部を掠めていく。毛束をするっと掬って、シャキシャキと軽やかに音を鳴らしながら毛束が下へ切り落とされていく。

「慣れてんね」
「ん? ああー……。バーボンがな、アイツ頑固で扱いづらい癖毛なんだよ。だからオレがたまぁに切ってやるんだ」
「あはは、何それ。こんな組織の仕事中にそんなことしてるんだ」

 平和だねえ、と肩を揺らしながら笑う。スコッチも「まあな」なんて、可笑しそうに軽く肩を竦めていた。カラーバターで染めたオレンジ味の強くなったパンプキンカラーの髪が、はらっと敷いたゴミ袋の上に落ちていった。

 最初に切ってしまった位置に揃えるせいで、元はセミロングくらいに長かった髪はみるみるうちに短くなっていく。それでも、鏡の中の自分は先ほどより余程スッキリとしていて、首も不思議と長く見える。切りっぱなしだった毛先に僅かに重みをもたせるようなスタイリングに、私はつい顔をクイっと横に向けてしまった。背後から「うわっ」と声が零れる。

「あ、ごめん。ちょっと感動しちゃって」
「良いけど……ちゃんと前を向いていてくれよ。お客様」
「マジすごい。私毛量多くて、いつも店行くとめちゃめちゃ梳いてもらってるんだよ」

 なのに後頭部は綺麗に丸みを帯びていて、彼の腕の一流さを知った。おお、と感嘆の声が落ちる。スコッチは笑いながら「大げさだよ」と呆れたように毛先を整えていた。

 無骨な指先が、時折こめかみを掠めていく。心地いい、少しだけ冷たい体温だった。こめかみやら襟足やら、髪を掬うたびに深爪にされた指先がチリっと皮膚を柔く引っ搔いていく。その体温に、やっぱり少しだけドキドキとした。

 形を整えると、さっと櫛で切った毛を下に落として、彼は私の頭をポンっと叩く。鏡の中を見つめて、今度こそ横や斜めからその姿を見直してみる。

「綺麗! ありがとね」
「なら良かった。悪かったな、こんな短くしちゃって」
「すげー似合ってるから良いよ。見て、どう?」

 すっかりボブほどになった髪をくるりと揺らして、スコッチに見せつけた。見せつけるもなにも、彼が切ったものなのだが、彼は「似合う似合う」と私をあやすかのように微笑んだ。

「にしても、本当に多才だよね。美容師免許持ってたりする?」
「あはは、あったとしても偽造だよ……。あ、ここちょっとはみ出てる」

 スコッチは襟足からぴょこっと飛び出た髪を、手持ちの鋏でチョキっと切り捨てる。確かに以前に比べれば十センチ強は切ったので、雰囲気は違うけれど、この長さは案外嫌いじゃない。横顔が綺麗になれるし、跳ねやすい襟足も綺麗に纏まっていたので満足だ。

「いや〜、棚ぼただわ。頼れるのは仲間ってことだね」

 リップを塗りなおして、鏡の中の自分に向かいこっそりほくそ笑んでみる。大人っぽくて良いんじゃないだろうか。スコッチは床に散らばった髪を掃除しながら、かもなあ、なんてマイペースに語る。

「オレもついでに切ろうかな……。少し長くなってきたし」
「あ、私切ってあげよっか」
「そこは信頼できないなあ」

 ゴミ箱へのそのそと歩いていきながら、彼は後ろ姿だけで首を傾ぐ。確かにあまり切ったことはないけど。後ろ髪を似たようなかんじで切り揃えるくらいできるはずだ――たぶん、きっと。

「遠慮しとく」
「私のことなんだと思ってるの……」

 じとっと彼の顔を睨み上げると、スコッチはおどけたように笑いながら首を振った。特段器用なほうでもないけれど。別に女に鋏の一つくらいに握らせてくれても良いのではないか。

「違うよ、仕事の話じゃなくて……。オレの髪が心配ってだけさ」
「私がすごい下手みたいな言い方するじゃん」
「ちょっとでも拘りがあれば包丁で切ろうとは思わないだろ」

 そんなことを言っても、鋏が見当たらなかったのだもの。こう、斜めにして梳くみたいに使ったらもしかしたら上手いこと行くのではないかと思った。だから、鋏でやったら多分もうちょっとマシになるはずだ。
 そうやってごねてみたけれど、スコッチの返答は最後の最後までNOだった。穏やかそうなわりに、案外頑固な男だ。バーボンだったら、多分最後には「好きにして」なんてため息をついているに違いない。

 私は鏡の前を明け渡し、前髪を摘まんで鋏を片手にするスコッチを眺めた。薄っぺらい唇はムっと力が入っているせいで、ほんのり上唇が持ち上がっていた。バーボンのびっちりと並んだ睫毛に比べて、色素も密度も薄い睫毛が、瞬くと風に揺れる木枝のようで綺麗だった。

 私は頬杖をついて、シャキ、シャキ、と音を立てるその器用な手つきを眺めていた。真面目な彼の顔を見ていたら僅かに悪戯心が疼いて、そろっと前髪に持っていかれる手に向かって「ワッ」と冗談交じりに声を上げてみる。

「うわっ!」

 驚いた彼の手元から、シャキン! とひときわ大きな音がする。
 ハラっと落ちていく黒髪を眺めて、スコッチは普段穏やかそうな目つきを鋭くさせて、私の額へ中々強いデコピンを飛ばす。幸い前髪は然して切れていないようだったが、それっきり、スコッチの鋏は私の目につく場所には置かれなくなってしまったのだった。