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 街角で黄色い声が響くのが聞こえた。
 キャアっと手を打つ声色は、仕切られたブースの向こうからでもよく響く。思わずそちらに耳が傾いた。街並みのほんの小さな一角、エスニックな仕切りこそあれど、雑踏を掻き分けて耳を傾ければ会話は筒抜けだ。
 携帯をいじるフリをしながら、会話だけはその一方に集中した。

「本当ですよ。あなたの今日の恋愛運はかなり良い――特に北西の方角が良い。きっと今日中にでも、直感で分かるほど運命を感じられることでしょう」
「マジーっ! それって、ゆくゆくは結婚相手……とかってことですか?」
「もちろん。ああ、でもあなたはいざって時に少し奥手なところがある……。本命の人に、結婚や同棲の話を持ちかけるときに少々戸惑ってしまったり、気が小さくなってしまうのでは?」
「すごいすごい。当たってます!」

 ――当たり前だ。
 そりゃあ、誰だって結婚の話を切り出そうと思ったら多少の戸惑いや緊張が伴うものである。というのも、これはバーナム効果と呼ばれる心理学的なもので、汎用的な特徴をさも特定の自身にしか当てはまらないものとして捉えてしまう人間の心を突いた話し方。詐欺師の常套手段である。
 まあ、実際九割の占い師なんて詐欺師と変わりないだろう。その後女性はいくつかのお守りやらパワーストーンやらを売りつけられていた。良いカモである。そのまま話を聞いていたら、どうやら彼女はこのあと最初に運命を感じた男に親切にしなさいと占い師は告げている。

「……」

 私は待ち合わせをしている素振りで周囲を見渡した。
 店に入っていく彼女は、性格こそミーハーそうであったが容姿はそれほど派手でもなかった。少し考え込んでから、姿を見せた男の腕をつかむ。男は驚いたように私を見下ろして、羽織ったパーカーを翻しながら立ち止まった。

「ミチルさん?」
「ちょーど良かった。あっちの曲がり方のほうに変な男がいるんだよね、ちょっと様子見てきてくれないかな」
「……ああ」

 もともとスコッチと買い物に出ていたのだが、今は彼が煙草を買いに行くと外していたところだった。彼はやや解せない表情ではあったものの、駆け足に私が指さしたほうへ向かう。

「ありがとうございました〜」

 女性が店から出てきた。私はその背中を見送る。歳は新社会人といったところか、フレッシュさに満ちてはいるが、身に着けているアクセサリーや鞄はブランドものなのに野暮ったかった。そういった都会的なものに憧れがあるのだろう。

 私はわざと、その彼女の影に隠れるようにして歩いた。戻ってきたスコッチが、私を探すように視線を滑らせているのを見遣る。彼は私を見つけると、こちらに向かって歩みを進めてきた。

「きゃあっ」
「えっ、あ、悪い!!」

 男に狙われていると言っていた私が姿を見せなかったから、少々焦ったのだろう。人好しそうな彼のことだ。
 私の手前にいた、先ほどの女性に腕をぶつけてしまった。スコッチは慌ててよろけた彼女の体を支える。切れ長の視線が、焦ったように見開かれていて、中々にセクシーだと思った。

 私は女性の視線が熱くスコッチの顔へ注がれているのを確認してから、さっとスコッチの腕に抱き着いた。

「お兄ちゃん、財布見つかった!?」

 目に涙を貯めてスコッチを見上げると、彼は未だに驚きを隠すこともないまま、表情を僅かに歪める。何してるんだという思いは十二分に伝わったが、もう少しこのまま付き合ってもらわなければならない。

 私は浮かんだ涙を袖で軽く拭う。そして彼の腕をぐいっと引いた。
「どうしよう、ごめんね。私が新幹線の切符なくしちゃったから……」
 わざとらしくない程度に唇を戦慄かせて呟く。ごめんなさい、ともう一度視線を落とせば、女性は心配そうにこちらの顔色を伺った。

「大丈夫ですか? 何かありました?」
「あ、いや……」

 女性に首を振るスコッチを視線で制して、私は慌てたように顔を上げる。ぶんぶんと首を振って、気持ち控えめに笑った。

「ぶつかっちゃってごめんなさい。なんでもないんです」
「そう……? その、さっき新幹線がって……」
「……実は、新幹線の切符とお財布が入った鞄が……多分、私がトイレに行ってるときだと思うんだけど」
「まさか、盗られたの」

 私は敢えて肯定はせずに言葉を濁す。言いづらそうに押し黙っていると、女はさっとスコッチのほうを振り向き、自らの鞄に手を掛けた。

「いくらですか」
「……え?」
「新幹線代、お貸しします! いくらでしたか」
「そんな、気にしないでくれ」

 スコッチは持ち前の好青年らしい雰囲気で必死にそれを断ったけれど、女性は結局財布に入っていたらしい全額の三万五千円を押し付けた。私はそれを見て、必死に頭を下げる。

「ごめんなさい、本当にありがとうございます!」
「いいえ、気にしないで……。これ、私の連絡先ですから」

 スコッチもその流れで自らの携帯番号を彼女に渡した。私は何度もペコペコと頭を下げながら踵を返していく。マンションへの帰路を歩くこと十五分ほどしてから、ようやく私は彼が呆然と手にしていた諭吉たちをひょいっと取り上げた。


「ありがとー、スコッチ。丁度良いところで帰ってきたから助かったよ」
「ちょっとは罪悪感とかないのか」
「あのままだったら更にロミオトラップされそうなところを助けてあげたんだから、三万五千なんて安いもんでしょ」


 ふふんと鼻を鳴らしながら、それをポケットに突っ込む。ちなみに私が鞄を持っていないのは、昨夜のポーカーの賭けで私が勝ったからだ。(負けたら有り金を攫われるところだった。)

「ロミオトラップ?」
「有名なやり方だよ。占いでそれっぽいこと言って、その通りに相手が現れるって奴」
「ああ……。そういえば、そんな前例も多いな」
「前例なんて、刑事みたいな言い方しないでよ」

 べっと舌ベロを突き出して肩を竦めた。警察は嫌いだ。私の金稼ぎの邪魔をしてくる。それが仕事ということは分かっているけれど、私だってそうやって生計を立てているのだからしょうがない。
 スコッチは苦笑いして「悪かった」と謝った。私も勝手に利用してしまったのは確かだから、「こっちこそごめん」と一言伝えておく。

「それにしたって、お兄ちゃんって」
「だって、彼女って言ったらお金貸してくれないじゃん。下心あるんだから」
「そういうモンか?」
「当たり前! 世の中そんな優しくないよ〜」

 さっきの女性の顔、ちゃんと見たのだろうか。
 どう見たってスコッチを運命の相手だと思って惚れ込んでいた。まあ余程の金持ちでもなきゃ、さすがに初対面の人間に数万の現金は貸さないだろう。彼女の心は今頃スコッチとの恋愛計画でホクホクなことと思う。

「……なんかな」

 自分で仕組んでおいたことだけれど、その事実には少々腹立たしく思えた。
 スコッチは確かに顔が整っているしクールで、喋ると可愛いし、中々そこらに落ちてはいない男だとは思うけれど(私のタイプなので、かなり贔屓目ではある)、どことなく目立たない男だ。
 最初の印象通り、彼は日本において周囲に馴染みやすい。
 否、恐らくどの国にいっても、それなりに周りに溶け込んでいるだろう。そういう男だ。だからこそ、その魅力は一般の人がすれ違って振り返るようなものじゃあなく、一度会話を交わしてみないと分からない。

 それから、その人の好さに隠れた得体の知れない腹の内はミステリアスでセクシーだ。

 そこらの女がその魅力に気づくのは、私からすれば勿体ないように思える。私が口を噤んで唸っていたら、スコッチはポリポリと額を掻いてから女性に貰った連絡先のメモを細かく破いた。

「二度とあわないだろうし、別に良いんだけどな……」
「連絡先は?」
「飛び携帯の番号だよ。教えるわけないだろ」

 さも当然に言ってのける、決して美しいだとか絵画のようではない、人間らしい優しい笑顔が私の本能を擽る。本当に、彼もライのように人を殺しているんだろうか。疑わしくなるくらい、彼の笑い方は穏やかで青年らしかった。

 ダメダメ、いくら好みだって本気にならないようにしなくっちゃ。

 私はかぶりを振ってから、今日の夕飯を買いに近くのコンビニに寄った。稼ぎの分け前として、チューハイとツマミは奢ってあげることにした。