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 あの歓迎会以来、キャンティはよく私を遊びに誘った。
 それは正真正銘遊びの時もあったし、仕事の話が混じることもある。彼女はライやバーボンのことを毛嫌いしていて(鼻につくらしい。分からないこともない)、アイツらがノックだったらぶち殺すと酔いながら喚いていた。
 おかげで、彼らが組織においてどういう立ち位置なのか、何となくだが聞き出すことができたのだ。多少の色眼鏡は入っているかもしれないが、私にとっては彼らの姿を把握する数少ない情報源だ。

 曰く、ライは組織の中でも一匹狼。
 最初こそあまり目立たない男だったけれど、今では彼単独の仕事が山ほどあるほど腕を買われているらしい。その単独さ故、ノックだと疑いが何度もかかったが、それをバネにするように手柄をあげ幹部に食い込んでくる男だ。

 バーボンは予想通り情報屋。
 頭の切れる男で、彼のアイディアだけで組織の金が何倍にも膨れたのだとか。どちらかといえばノックというよりはノックを見つけ出す側であったが、それ故に立場を疑われている。洞察力、観察力は組織で群を抜き、常に悠々としている。味方も多いが敵も多い。

 スコッチは――キャンティはその話をするときに、僅かに言葉を溜めた。
 言葉にし難いと、オレンジの綺麗な髪を掻きむしった。一見彼に非凡さはなく、そつなく仕事をこなすだけの男。ライやバーボンとは異なりコミュニケーション能力もソコソコで、組織の人間からも好かれやすい。
 キャンティは、彼が人を殺す瞬間を見たのだと言った。殺す寸前までは何とか言葉で説得しようとしていたのか、あーだこーだと言葉を連ねていたが、キャンティが煮えを切らして標的を殺そうとすると迷いも躊躇いもなく突然引き金を引いた。彼女はそう語った。

『……帰ろうか。重いもの持たせてごめんな』

 彼女の拳銃をそっと下ろさせて、スコッチは笑った。その時のことを、キャンティは不気味がって話した。

「スパイだとは思えないけど、スパイだったら一番嫌だってだけさ。あんなの殺したら、一生背中を狙われてるみたいだよ」

 デコルテの大きく開いた黒いオフショルダーを擦りながら肩を竦めた彼女に、私は内心引き攣りながらも苦く笑った。


「分かるもんな〜……。殺したら化けて出そうなの」


 どさっとソファに寝転び、首を回した。こき、骨が鳴る。彼の冷たい、心の底までを射抜くような視線を覚えている。日本人らしい特徴のない瞳の色なのに、何故だか鋭く、固く見えた。口元だけは笑っているけれど、瞳は今から私を殺そうとでもする弾丸に似ている。

 なのに、私の心臓がやけにドキドキと鳴っていた。
 怒っていたのに、恐れていたのに、どうしてか――高揚していたのは。

「誰を殺すって?」
「――うわっ!!」

 このドキドキは違う!! 断じてそういうものではなかった。今のは本当に、純粋に驚愕と畏怖が混じって心臓が跳ねた。ソファに寝転ぶ私を覗き込むように背もたれ側から上半身を折った男は、先ほどまで想像していた視線よりやや柔らかな目じりを微笑ませた。

「はは、なんだよ。まさかオレのことだったり?」
「……違うけど。いつ帰ってた?」
「いや、そっちが後だったよ。ベランダで煙草吸ってた」
「あ、そう……」

 あまり多くを語ったらボロが出てしまいそうで、私は素っ気なく返事をした。気まずい。心の奥ではさっさと謝ってしまえと思うのだが、中々口を突いて出ない。どうしたものかと、とりあえずボサボサになった髪を撫でつけていたら、先にスコッチがフっと息を零すようにして笑った。

 私はその笑い声にハっと彼の顔を見上げた。彼は人が好さそうに眉を柔くして笑いながら、ソファの背もたれに体重を掛けた。

「この間はごめんな。オレも酔っ払ってた」

 私が言いあぐねていた言葉を、スコッチは低く穏やかな声色のままさらりと言ってのける。それが妙に悔しくて、許す気もないのに曖昧に頷いてしまった。

「ちょっと、気が立ってる日で……八つ当たりみたいなもんだ。本当にごめん」
「……スコッチにも、気が立ってる日とかあるんだね」
「そりゃあ、あるさ。人間だから」

 ふうん、と鼻を鳴らす。
 あの時は私も苛立っていたし、もう怒ってはいなかったけれど、このまますんなり元に戻ってしまうのも僅かに残ったプライドが咎めた。ぱちんと両手を合わせてゴメンのポーズを作ってくるのは少し可愛いとか思ってしまったけれど、そんな姿を一瞥して口を開く。なるべく抑揚をつけないようにしようと思ったら、ただの拗ねたような口調になってしまった。

「じゃあ、一個だけ」
「……ん」

 私が何か条件をつけると分かって、先ほどまでつむられていた瞳が、片側だけこちらを伺った。僅かに首が傾げられる。

「なんでイライラしてたの?」

 尋ねると、彼は僅かに言葉に詰まった。それから「まあ、仕事で」とすぐ続けたけれど、珍しく嘘が下手くそだったので鼻で笑ってやった。スコッチは困ったように後頭部を掻くと、一度口を噤む。


「――……友人の、命日だったんだ。これで良いだろ」


 どこか感情を伏せるように、彼は告げる。
 ホ、とどこか心の隅が安堵するのが分かった。ぽつりと呟く彼の姿はあまりに人間らしく、良かったと思った。いくら理解できないといっても、彼もまた人間なのだ。友人の命日に心を痛めるようなことがあるらしい。

「仲良かった?」
「それなりにね」
「なんで死んじゃったの」

 彼は私の質問に僅かに眉を顰めて「無神経だな」と呟いた。確かに、少々マナーがなっていなかったかも。小さく怒ったかと聞くと、スコッチは大きくため息を零した。――「少しだけ」、人差し指と親指を、数センチだけ開けてこちらに見せつける。

「ごめん」
「――それ、わざと聞いたか」
「いや、わざとでは……ないと思うけど」

 決して嫌味で聞いたわけでなく、好奇心からだった。
 スコッチがどんな人物と仲が良かったのか知りたいし、どんな死に方に心を痛めたのかも。私の瞳を通して見る彼はどうしても読み切れないところが多すぎて、少しでも彼の心の内が知りたかった。

 スコッチは、私の顔を見てほんの僅かに表情の力を抜いた。
 ふう、と顔の強張った筋肉が解けて、皺が緩く消えていく様をどう取れば良いのだろう。私から見ると、その表情は「呆れた」と語っているようだと思う。

 それからぐっとこぶしを握り、パっと爆ぜるように指を開く。「ドカン」、落ち着いた声が独りごちた。


 爆弾か、それは気の毒だ。
 爆風で肺の内側までドロドロに焼けて息もできなくて、体はきっとひどく損傷するだろう。もし直接爆発に巻き込まれたのだとしたら、まともな死に目にも会えないかもしれない。組織が裏切り者を消すのには丁度いい方法かもしれないが、間違っても味わいたくない。

 スコッチは暫くその冷たい視線でどこか遠くを見つめていたようだったが、すぐにニコリと笑顔を浮かべて振り返った。

「で、許してくれるって?」

 表情のニュアンス的には「許してくれるよな?」くらいに聞こえたけれど、まあ良い。私としても、このままスコッチと曖昧に気まずい関係を続けていくのは痛手だ。彼のほうから歩み寄ってくれたのだから、今回はスルーしておこう。

「煙草ちょっとちょうだい」
「吸うの?」
「ううん。でも、何となく……嫌がらせになるかなって」

 飄々と笑うばかりの青年に、私は差し出されたシガレットケースから三本の煙草を引き抜いておく。「それ高いんだぞ、今は税金かかるんだから」、スコッチは文句を垂れたけれど、返せとは言わなかった。普段喫煙家ではないから、思いのほか煙たい香りに小さくむせ返ってしまった。